こちらの冊子に記事書いたので載せときます

 

【内容】

 

発達障害の人は、人間関係を築くうえで、〝相手の気持ちを考えてコミュニケーションをとることができない〟などの困難を抱えています。

 

そのような苦労をしている人がいるのに、定型発達の人のなかには、自身のことを、「俺ってそれ系だから」と自慢げに言う人がいます。

 

このような人のなかには、自分が時間にルーズで、約束を守らないことを注意された時に、「僕は発達障害系だから許してね」と、開き直っているケースもあります。

 

また、わが子についても、しつけができていなくて、わがままなだけなのに、〝うちの子は発達障害かもしれない〟と思いたがる親御さんもいます。

 

このような言い方を、発達障害と診断を受けている当事者が聞くと、「コミュ障」「それ系」「空気が読めない」などの軽い言葉では済まされない過酷な日常を送っているので、非常に不快に感じます。

 

また、このようなケースもありました。ある母親が、病院の待合室で騒ぐわが子を叱ることなく、「うちの子は多動ちゃんだから許してね~」と周囲に言っているのです。

 

この母親は、子育てがうまくいかないのを、自分のしつけのせいだと思いたくないために、発達障害であるというお墨付きが欲しいのかもしれません。

 

教育現場でも、同様なケースがあります。学校の先生に指導力がないために、学級崩壊をしてしまっている場合でも、「うちのクラスには発達障害の子がいる。

 

その影響から、教室から出て行ったり、私語をやめなかったりする児童が大勢いるのだ」と、原因を発達障害のある児童に求める先生もいるのです。

 

その一方で、友だちと一緒に何かをするよりも一人で遊んでいたいタイプのわが子に対して、〝うちの子は自閉症かもしれない〟と不安になる親御さん。

 

さらには、椅子にじっと座っていられなくて、元気に走り回っているわが子を見て、〝注意欠如/多動性障害(AD/HD)かもしれない〟と不安になる人もいます。

 

 

これは例えば、「○○癌の初期症状は○○である」と耳にすると、体の症状を全部それに当てはめて不安になる人がいますが、それと似ています。

 

でも、無理もないのです。なぜかと言うと、人間の行動や態度は、境界線が曖昧なグラデーションだからです。

 

例えば、性格についても、明るい人・暗い人が「数値70以上は明るい人で数値30以下は暗い人です」などという基準はつくれません。

 

個々の感覚で相手を捉えて言っているだけだからです。また、これだけ医学が進歩しても、採血して「はい、あなたのお子さんは発達障害です」といった客観的な生物学的マーカー(指標)はありません。

 

しかし専門機関では、これまでの知見や経験から、発達障害か否かの診断を客観的に行ってくれます。

 

もし、わが子の行動に少しでも不安を覚えるのなら、決して自己判断をせずに、専門機関を受診することが大切ではないでしょうか。

 

前にもブログでシリーズで書いてますラブラブ

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