20時じゃないけど書く
私は子どもを産む前から特別支援学校教員免許を持ち、障害児については普通の母親よりも知識や経験もあった。
でも、私は教員免許取得のときの実習期間で重度で強度行動障害のある自閉症の子を担当して、自信がついたよりもむしろ逆で
「私は親になったらとうていこういう子は育てられない」と強く感じ、親になる自信を失くしてしまった。
そして、自閉症の子を育てている親御さんに対して尊敬のまなざしを送っていた。
さて、その5年後、私は自閉症の子を産んだ。
私の経歴を知っている定型発達児を育ててる友人から
「やっぱり、子どもは親を選んでくるんだね。立石さんだから育てられると思って、立石さんのところにやってきたんだね」と変な励ましの言葉をかけらた。
友人関係を優先したかったので、反論はませんでしたが、心の中で「なんだと、こっちは定型発達児がほしかったのに」と言い返していた。
■新聞に
ある新聞に、障害がある子どもを産んだ母親は、我が子を育てられる資格がある母親に授かると掲載されていた。
その言葉で前向きになる人もいるかもしれないが、私はそうではなかった。
■育てる中で親になっていく
あれから22年経過
負け惜しみでもなく私は今度産むことが出来ても自閉症の今の息子がいい、と思えるようになった。
■どうしてか
どうしてこう思えるようになったかというと
普通という呪縛から解放されて、私自身が自由な思考になったこと
障害児ママ達のコミュニティにいて、自分の世界が広がったこと
障害児に関わる放課後等デイサービスのスタッフ、特別支援学校の先生達、就労移行支援事業所の皆さんと知り合いになって交流を深めることができたこと
だ。
■街中の紺色の服
11月の幼稚園受験、そして、2月の小学校受験の時期が近づいてくると街中に似たような紺色のスーツを着たママや子どもたちをちらほら見かける。
「私には一生、縁のないことだな」と切ない思いをすると同時に、受験戦争の中に巻き込まれなくてよかった
ママ友同士の足の引っ張り合いの中に巻き込まれない子でよかったと思うことがある。
真の受容とは…
今まで持っていた親の古い価値観を捨てること
我が子に対して
「あなたは、あなたのままでいい」と承認すること
この作業は、まさに「普通」であることの呪縛を断ち切り、「世間体」とか「世間並み」といった横並びの生き方と決別し、我が子にとって最も幸せな生き方を理解し寄り添うこと
だと思う。
ただ、強度行動障害のある重度の自閉症の子、知的遅れない発達障害の生きづらい子の子育ては私には到底、無理だと思う。
今の息子だったら、育てられるので私を選んでね。
また、20時に寄ってね
お薬の話だよ
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直ぐにお答えできないこともありますが
できるだけ早めに書きますね
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