反響があったので載せましたラブラブ

 

 

20時じゃないけど、こちらに書いたコラムメモ

反響があったので元原稿載せますビックリマーク

ダウン

 

 

 

私の最大の願いは息子が人生の最後の日を迎える時

「僕の人生は幸せだった」と言って天国にいけることです。

 

これは私に限らず、子を持つ親だったら誰でも

望むことなのではないでしょうか。

 

さてビックリマーク

 

日々の生活で自分が子どもに行っていることを振り返り「親である自分が子どもに何を望んでいるのか?」考えてみたことがあります。

 

そこに立ち返ってみると馬

 

子どもの人生の様々な分岐点で何をどう選べば良いか見えてくるような気がします。

 

幸せとは

幸せとは

 

良い学校に入る。

 

定型発達の子から刺激を受けて伸びる。

 

有名企業に勤めている。

 

優れた才能持って世間から評価される。

 

自分の才能で食べていける。

 

息子が幼い頃、療育施設をはしごし療育の鬼と化していた私はそんな風に思い込んでいました。

 

これらは息子にとって幸せにつながると信じていたからです。

 

けれども「本人にとってはどうなのだろうか?」と定型発達児に近づけようとする療育で苦しそうにしている息子を見て思ったことがあります。

 

私が選んだ息子の幸せ

 

息子が幼い頃、カラスの鳴き声を聞いて種類を言い当ててました。

 

耳がいいんだ。ピアノを習わせてピアニストか調律師になれるよう、頑張らせるのが親の務めビックリマーク

 

と思いこみ…

 

息子が描いてた絵

ダウン

 

才能発掘のため真顔

必死で習い事をさせていました。

 

 

でも、ピアノの練習をひどく嫌がり

 

「これでは辛い毎日で

 安心安全どころじゃないぞ」

 

と気が付きました。

 

小学校入学時は個別にきめの細かい対応をしてくれる特別支援学校を選びました。

 

 

学生生活最後は特別支援学校高等部に

進級させました。

 

ただ、特別支援学校高等部は高校の位置づけではありません。

 

 

卒業しても高卒資格は得られません。

 

そのためこれを嫌がり普通高校を目指すママ友もいましたが

 

息子には学歴は必要ないと考え、特別支援学校高等部に入学させました。

 

特別支援学校高等部を卒業しても大学受験の資格は得ることができる

 

特別支援学校高等部卒業後は

 

 

一般就労を目指すのではなく…

 

 

「定型発達の人でも高校卒業て、すぐに社会に出ないで専門学校や短大や大学に行く人もいるのだから

 

いきなり社会に出さず、就労移行支援事業所で2年間しっかりと勉強してほしいと」

 

と思い、福祉事業所に通わせました。

 

脳科学者の茂木健一郎さんの本に「他者との比較で自分の立ち位置を確認する」と書かれいました。

 

“周囲より自分が抜きん出ていれば幸せだけど、周囲も同じ生活レベルなら特別に自分が幸せだとは思わない。

 

このように、私達が常に他人との比較において幸福を感じるのだとしたら、幸せとは絶対的なものではなく相対的なものということになります。

 

(中略)

 

友達がどんどん結婚していき子どもに恵まれる中、自分一人がずっと独身でいると焦燥感にかられることもありますね”

 

『幸福になる「脳の使い方」』茂木健一郎著(PHP新書)より

 

幸せとは全体からみてどうかという相対評価ではなく、自分がどう感じているのかの絶対評価だということが書かれていました。

 

 “しょせん、幸せなんて自己申告”という綾小路きみまろの著書もあります。

 

世間から見てどうかとか、一般的にはこれが幸せだとか、親がこれが幸せだと思っているとかではなく、本人がそれをどう感じているかが重要だと思います。

 

羨ましく思うこともあるが

 

才能を持っている発達障害の人が世間から

脚光浴びていることがあります。

 

はたから見ればみんなから認められて、称賛され羨ましい限りなのですが…

 

本人は「人にはないものを持っていて幸せだ」と感じているかもしれませんし

 

「もっとゆったりとのんびりとした人生を歩みたい」と思っているかもしれません。

 

私の望みは息子が最後の人生の最後の日を迎える時「僕の人生は幸せだった」と呟いてあの世の私の元にやってくること。

 

そのためには人生の中で

 

療育の鬼と化して、苦手なことを克服させようと必死になることではなく、安心安全を確保してやること、療育はほどほどにすること。

 

勉強ができなくてもいいから、いじめられたり、自信を失くしたりすることは出来るだけ避け

 

学校へ行くことが楽しいと思えること。

 

通常級にこだわらないこと

 

私がこの世にいなくなっても頼れる大人が周りにたくさんいること。

 

だと思っています。

 

知人が言っていたことです。

 

「ちゃんとトイレに行けるようになったとか、偏食が減ったとか

 

目的地まで歩けるようになったとか

 

靴をそろえたとか

 

脱いだものをちゃんと洗濯かごにいれたとか

 

そんなことを喜んで、育てて、暮らしてきました。

 

絵も描けません、字も書けません。

 

すごい暗記力もありません。

 

スポーツもできません。

 

24時間テレビにも、パラリンピックにも、スペシャルオリンピックにも出られません。

 

ごく普通の障害者です。

 

それでも、あなたがいてよかった。

あなたでよかった。」

 

子どもが幸せな人生を歩むことが全ての親の思い

 

でも、その方法論や選択する道が親によって違ってきます。

 

それが、子どもにとってどうしてやることが良いのか、本人の目線に立って立ち返ってみることも必要なのだと私は思っています。

 

20時にまた寄ってねラブラブ