僕を殺してと言った知人の子

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知人の書いたもの 長いけど心にズシンと来たので共有するね

 

息子は発達障害(注意欠陥多動性障害)です。

 

初めて発達障害の疑いを指摘されたのは5歳の時でした。

 

そこから正式に診断がつくまでの間

 

私は「どうか息子に障害がありませんように」

 

と祈り続けました。

 

親が「我が子の人生をできるだけ困難なく過ごせますように」

 

と願うのはごく当たり前の感情です。

 

しかし、私の願いは純粋に息子の人生を心配するだけのものではありませんでした。

 

正式に診断がついてから、表面は障害を受け入れたように振舞いましたが、

 

本心では「障害児は嫌だ」と思っていた私は、息子の特性に寄り添った療育ではなく、

 

とにかく息子を普通にしようと頑張りました。

 

学校の同級生と同じレベルの生活がおくれるように、

 

息子の出来ないこと、苦手なことを克服させようと色んなことを試しました。

 

それが息子のためなのだと本気で思っていました。

 

しかし私が息子を普通にしようと頑張れば頑張るほど、

 

息子は苦しみ精神不安定になっていきました。

 

息子に何度も言いました。

 

「なんでこんな簡単なことができないんだ。普通にできることだ、

 

ちゃんとやろうという気持ちが足りないから出来ないんだ。」

 

息子は母の期待に応えようと一生懸命頑張りました。

 

それでも私に努力不足だと責められ、どんどん精神的に追い詰められていきました。

 

そんな状態を数か月続けたある日、息子にこう言われました。

 

「なんでこんな出来の悪い子産んだの?ママを悲しませてばかりでごめんなさい。僕を殺して。」

 

息子のこの言葉でようやく気付くことができました。

 

息子が人生で苦労しないために普通になって欲しかったのではなく

 

私が障害を受け入れたくないから、普通になって欲しかっただけなのだと。

 

それからの私はまだ5歳の息子に「殺して」なんて言葉を言わせてしまった自分の在り方を反省しました。

 

息子から障害を排除しようとするのをやめ、

 

障害ごと息子の一部として受け入れることの出来る自分になれるよう努力しました。

  

出来なくてもいい。優れていなくても、同級生の平均値に届かなくても今のままのあなたが大好きだよ。と

 

息子に伝え続けました。

 

そんな中、私がどうして受け入れることができなかったのかその答えを見つけます。

  

「そのままのあなたでいいよ」息子に伝え続けたその言葉は

 

私自身がずっと母から欲しかった言葉だったと気づきました。

 

思い返せば幼少期、母から

 

「いい子でいなさい」

 

「人に迷惑をかけてはいけない」

 

「なんでも一人でできるようになりなさい」

 

と言われ続けました。

 

だから、人並にできない息子をどうしても受け入れられず、

 

直さなければと強く押し付けてしまったのです。

 

出来なくてもいい、そのままのあなたで素晴らしい。

 

何度も何度も息子に伝え続けながら、同時に自分で自分に伝え続けました。

 

そうすると、日に日にあらゆる不安から解放されていくのを感じました。

 

心に装備した重たい鎧を少しずつ脱いで軽くなっていくような感覚でした。

 

そして息子も、行動面での成長は課題を残したままでしたが、

 

精神的な落ち着きを取り戻し以前のようによく笑う男の子に戻っていきました。

 

こうして子育ての優先順位を大きく考え直した私ですが、その先には新たな壁がありました。

 

それは学校との連携です。

 

発達障害の特性に添って育てていきたい私と、

 

特性を改善させ成績をあげようと息子に人一倍の努力を求める担任の先生と、考え方の違いで何度もぶつかりました。

 

「大切なのは息子の心です」と訴える私に、先生は涙目になりながら熱くこう話されました。

 

「街で大人になった教え子に会った時、立派な職業に就いていると聞くと嬉しくなります。

 

逆にそうでないと聞くと残念に思います。

 

息子さんは今頑張ればこの先大学受験も狙えます。

 

そしてちゃんとした企業の就職も望める。

 

息子さんにそうなって欲しいから私は厳しくしてでも、

 

今私がしてあげれることを全部してあげたいのです」

 

この言葉を聞いて、私は親以外に息子の将来をこんなにも真剣に考えてくれる人がいるのかと、嬉しく思いました。

 

でも…

 

数年前の私なら先生の手を握り「先生!息子をお願いします!」

 

と頭を下げていたかもしれません。

 

しかし、この時の私はこの先生の言われることが正しいとは思えませんでした。

 

私は先生にこう問いかけました。

 

「ちゃんとした職業に就けば幸せになれるのですか?そうでない人間は不幸なのですか?

 

私は息子に社会的に立派になって欲しいのではないのです。日々幸せだと感じながら心豊かに生きて欲しいのです。」

  

この問いの答えをこの先生から聞くことは残念ながらできませんでした。

 

もし大切な人が交通事故にあい、生死をさまよったとしたら必ずこう思うでしょう。

 

「生きて欲しい。他に何も望まないから、ただ生きて欲しい。」と。

 

人はよく失ってから大切なものに気づきます。

 

失ってからでは遅いのです。最後に、この文章を読んでくださった全ての方へ。

 

そのままのあなたでいいよ、そのままのあなたで素晴らしいのだから。

 



 

 

 

 

 

全文字、立石の指導動画付きです笑

 

 

 

ベル毎晩 20時に更新してるよメモ