ご訪問ありがとうございます。Spiritual Dancer Tatemasaです。



本日は不思議な体験記です。


名古屋市に位置します、笠寺観音さまに母と弟とお参りさせて頂きました。

地元なのですが、この歳になりの初めて?(今世において)の参拝になります。

西門を一礼し、入らせて頂きますと、


直ぐに行者堂が位置していまして、僕も大好きな小角さまに感謝をお伝えでき、ここには何か強力な結界が張ってあることを感じました。

 弟がふと、数十メーター離れた背面の場所に向かってあれはなんだろ?と聞かれ、振り返って見ると、瞬間に『あっ!』となり、そちらの方面には正直に歩みを進めたくない自分もいましたが、行ってみる事に。


弟に何故その後ろの事を僕に聞いてきたんだ?と返すと、後ろで綺麗な着物を着た女性がこっちをずっと見てるから、最初は参拝の人だと思ってたが、消えてしまったので、気になったからと言う。


その場所に着いて確認すると人質交換の碑となっています。


左が信長の兄の信広公と右が家康の幼少の頃の竹千代公です。


ここで、織田と今川との間で人質交換された場所となっていました。


先程、行者堂にてお参りをしていた僕達に綺麗な着物を着た女性がずっとこちらを見ていて消えた。。。と弟が言たのは。瞬間的に竹千代公の母親だとわかりました。


んー、僕にその女性の感情が伝わって来たので、早々にその場を離れて玉照堂の方にてお参りへ。


僕が弟の方へ振り返り見ると弟はまだその場で合掌🙏したまま動いてません。


何やら独り言を言ってる様に見えるけど、確実に対話してます。


僕の方は僕の方でこの時に突風が強く吹いて来て訴えかけられてくるものを感じています。


後からお互いに話し、弟の話しを聞くと、


『そなたの母親かえ?良いなぁ、一緒におれて』と突然綺麗な着物を着た女性に声をかけられて、

『そうですよ』と弟が返します。

表現は忘れた会話がありますが、覚えてる通りに記します。

『われは子供を手放さなければならなかった。その深い悲しさそなたにわかるか。まだその時の後悔の思い残りここから離れられん。』

この様に弟と女性との会話があり、まだまだ話しは続いたのですが、

その女性はビジョンを弟に見せてきて

『このありさまは何事じゃ?われの時にはこの様な者は誰もおらなかった。国の政ごとを決めるのには命がけじゃ。』

と国◯議◯堂での居眠りをしている様子をハッキリと見せてきて徳川の家紋の様なものまで見えたと話してきました。


この母親がどなたの母親で名前も誰かわかりましたのでお察しください。


その体験談を元に。


私達の今、住む世の中での親子関係はいかがでしょうか。


お父さんと馬が合わない、お母さんがうるさい。子供がうっとしい。育児放棄のニュースや親子での憎しみのニュースも聞こえてきたりします。


本来、女性なら母性愛があると思います。その戦国時代に我が子を人質として手放さなければならなかった、悲しい哀しい思いとてもやるせない気持ちになります。


どうぞ、今一度親子関係を見つめて愛ある。愛を知るこの愛知県より親子愛を魂で思い出し『仲良し』の時代になる事を意図してブログを記します。


平和で平穏な世の中に願いを込めて。