高瀬将嗣 | 詩子の'斬'と愉快な毎日

詩子の'斬'と愉快な毎日

殺陣技斗師。
芸道殺陣波濤流 高瀬道場 主宰
社)JAG理事

報道でもありましたように
昨日5月25日午前0時0分

私の最愛の伴侶であり
生涯を通じて
偉大なる師匠でもありました

高瀬将嗣が
その生涯を全う致しました。

主人には
叱られるかもしれませんが
主人との事を少し書かせて頂きます。

一昨年の11月に突然発覚した病。
胃癌、しかも転移をしている
手術不能のステージⅣ。

次々に出てくる検査結果に
言葉を失ってゆく私に

当人である主人は、
自分の事でありながら
ただ、ただ、優しく。

同じように衝撃を受けた娘の心も
あたたかく包んでくれました。

それから1日1日
薄紙を重ねるように
家族で過ごしてきました。

辛い治療でありながら
定期の病院通いは、
夫婦二人の中で
最大の楽しみとなり

総合病院の様々な検査を
どのようにしたら
効率よく済ませられるか
ちょっとしたゲーム感覚で
トライしたり

病院の中は
人間模様が渦巻き
それを
勝手に想像して、二人で話す事も楽しく。

子供好きな主人は
小さなお子さんを見て
その病状を気にしたり。

喧嘩ばかりしている夫婦を見ては
持って行き場のない憤りを感じたり。

年老いた夫婦を見て
こんな簡単そうに見えることが
私達には、叶う事が出来ないかもと
思う事が何より辛く。

主人は
そんな中で、小さなことを拾って
私や娘に
感謝の気持ちを伝えてくれ

私達が縁あって夫婦になれ
34年を過ごせた事の幸運を
確認しながら過ごしていました。

永遠に
この時が続くものだと
信じられるような毎日でした。

告知から1年6か月後
今年2月。

その日は、突然やってきました。

数値の変化から治療の休み。
さらなる数値の変化。
別の薬に挑戦するものの
良い結果を得られず。

3月 痛みが急激に主人を襲い
4月 食事が喉を通らなくなり
5月頭には、とうとう余命宣告。

人生の期限を切られた衝撃は
如何ばかりだったか。
それでも主人は
泰然自若として
やはり今回も私や娘の衝撃を慮り

一番大変なのは
家族だからと。

この病気になって
諦めてはいるが、絶望はしない、と。

癌との闘いの間も
精力的に仕事もこなし
遠くは見ないものの
先の展望を忘れない活動をしていました。

ジタバタと右往左往する私に

「俺はまな板の鯉だから
 全て
 お前の言うとおりにする」と。

私は
絶対に浮かび上がれない海の底で
ひとりで
手足をバタバタさせている
そんな無力感に苛まれながら

主人を失う日が来ない事
ただ、それだけを祈るだけでした。

強運の持ち主である主人が
本当に動けなくなる直前から
世の中はコロナ騒動で自粛となり

病を知られる事で
人に迷惑や心配をかけたくないという
主人の思いは
はからずも成就し、

病でキャンセルする仕事もなく

最期の刻を家族3人で
過ごす事が出来ました。


今、まだ私は
主人がいない事に
気付いていない、
気付きたくないのです。

多くの方が主人を悼んでくださって

懐かしい方々や
お付き合いのあった方だけではなく
直接、ご存知ない方までも

高瀬将嗣 という存在を
惜しんで下さっている。

今はただ、その事を
主人に伝えたい。

命の長さよりも
その人がなし得た事がすべてだ。

主人の日頃の言葉
その通りになりました。

最期の瞬間にも
見えない敵から
私や娘を守るような仕草を見せた
強く優しい夫であり

アクションや殺陣、
表現全てを愛した映画人、
愛すべき組織
日本映画監督協会の一員であり

自分のスタンスは
常にフェアーでありつつ
多少の齟齬があっても
弱き実演家の立場で動く
日本俳優連合常務理事であり

生涯を通じてのテーマは

「潔し」
そして、
「私」よりも「公」を優先。

國士
高瀬将嗣 として
生き抜いた主人の姿に
身内ではありますが
改めて感動しています。

また、高瀬は、Twitterを通じて
同じような病を得ている
皆様と交流ができた事を
心から喜んでおり
さらに皆様の病状を
最期まで気にかけておりました。

高瀬は、このたび
このように生涯を閉じましたが
自分の信じた生き方を貫いた事を
前向きに捉えて頂き
今後の治療に向き合って頂けましたら
幸いです。

皆様には長きに渡るご厚誼に
心から感謝申し上げます。

高瀬が眠る枕元で

2020年5月26日

高瀬詩子 拝