詩子の「笑う門には福来る」

詩子の「笑う門には福来る」

大阪生まれのアラカン。
目の中に入れても痛くないはずはないけど、可愛い孫Pが二人。
生き甲斐は仕事。
時代劇の殺陣と現代劇のアクションを指導。
好きなものは、ひと。

芸道殺陣波濤流 高瀬道場
テレビや映画、舞台における
殺陣やアクションの指導構成、演出を
行う団体(法人名(株)ガイズエンタティメント)
府中に本部道場を運営している。
加えて俳優のマネージメントや
俳優のプロフィール撮影、
リール制作など付随する業務も行っている。

開講スタジオは、
府中本部、新宿、都内各所、大阪、ニューヨーク。
大阪芸術大学をはじめ
各種学校、養成所、プロダクションでの
指導を行っている。

創立者 高瀬将敏(日活アクション作品多数)
流派開祖宗家 高瀬将嗣
(映画監督、脚本家、アクション監督、殺陣師)
代表師範 森聖ニ
主宰 多加野詩子

◎師範
森聖ニ
瀬木一将
多加野詩子
香純恭(N.Y本部)
吉水孝宏
高瀬巴
この時間になっても
大勢の人たち。

主人が生きていた頃は
毎年欠かさず
この日は靖國神社へ。
今は、私が主人の魂と共に
義父の代わりに
お参りをさせていただく。

平和を願う心は
それぞれのやり方で
良いと思う。

大事なのは、忘れないこと。
あの時代があって、今がある。
戦い抜いた人たちが
犠牲になった人たちが
いたから、今がある。

この平和を
なんの苦労もなく
手に入れたものでなく
多くの人たちの犠牲の上に
手に入れたこと。

感謝と祈りと語り継ぐことを
忘れては、平和は保てない。
綺麗な言葉や口だけの「反省」など
〇〇の役にも立たない。
…と主人は言うだろう。

戦後80年。
今の日本を見て
主人は、なんというだろう。

追伸
義父が言った。
明日の命もわからぬ中で
何かあった時には
「靖國で会おう」と言いあった戦友達。
最期の時に必ず
「お母さん」と言って
死んでいった戦友達。
儂は、母親の顔を知らないから
(物心つく前に亡くなった)
最期になんと言えば良いか
わからなかった。
……私は、泣いた。







今年は、珍しく

盆休みを取りました。

ちょっと、ここら辺で

立ち止まった方が良いかなと。


少しづつですが

普段できない身の回りの整理を

しています。


特に

姑から譲り受けた着物を

改めて見直して


できる限り

袖を通せるようにと思っています。


以前も

このブログで書きましたが

姑は、本当に怖い人で🤭


明治生まれに育てられた

江戸っ子。

まったく容赦がない。


何度も叱られ、怒られ、

時にはお尻を叩かれました。

(20歳超えてましたがね🤭)

姑からすると20歳そこそこの私は

甘ちゃんで、考えたらずで

心底、

腹立たしかったのだと思います。


呉服屋の娘だった姑は

自身でも和裁が得意で

ほぼ、着物は

自身で誂えていました。


私が若い頃

姑は、一念発起して

なんとか和裁を仕込もうと

奮闘してくれました。

ある時、好きな浴衣の反物を

買ってこい、一緒に縫うと。


怖い姑の言葉に逆らえるわけもなく

一日の終わりに

姑の部屋で

チクチク針を動かす私。


よくわからないのと

うまくいかないのと

一日の疲れまでが加わり、

居眠りまで💤


結局、姑が待ちきれず

教えてくれながら

あっという間に

1枚、縫い上げてしまい

私が関与したのは、片袖のみ。


今、箪笥の整理をしながら

その浴衣を眺めて

姑の細かく正確な縫い方と

心配りに

改めて感動しています。


汗をかくところには

もう一枚の当て布を

襟が崩れないように

しっかりと縫い上げ

よく動く脇やお尻の部分は

さらに細かく。

最近買った市販の浴衣と比べて

笑っちゃう感じです。


腹立たしい嫁だったにも関わらず

その細やかな仕事ぶり。

姑の気持ちを

この浴衣が

代弁してくれているような気がします。


亡くなって、はや18年。

親戚も少なくなり

世の中から姑の存在は

徐々に消えていくけれど

この縫い目が

姑という人を

思い出させてくれます。


私があちらにいく時には

この浴衣を着せてもらいたいな。

娘に言っておかなくちゃ。

この浴衣の価値は

私しか分からないだろうな。

なので、ね。


それにしても

どんな小さな事でも

何かの仕事を遺す事が

私に出来ているだろうか。


暗澹たる気持ちになっている

盆休み。


✨おまけ✨

この間、磁器ろくろに

挑戦しました。

超、難しかったけれど

楽しかった😊


矢鋪與左衛門(秀治)先生と


詳しくは、こちら



この夏に久しぶりに
ガッツリ「演じる」ということに
再挑戦しました。

結婚前、私の心躍ることの最大は
演じることでした。
でも、人生の決断の中で
この喜びは、いつしか心の中から
見えなく…というより
排除する事が
役割と思ってきました。
選んだ人生は、素晴らしく
後悔はかけらもありません。

ただ、一人になるという
まさかの出来事から5年を経て
今回、ご縁と呼びかけで
ある人物を
演じる事となりました。

もちろん、これまでも
殺陣をする時は演じる事を
忘れたわけでなく
ただ、主が殺陣やアクションを
見せることで

今回のようにその人の
人生のターニングポイントから
戦いに挑む心情と恋を
自身で描くことは
本当に久しぶりでした。

記憶力の衰えも著しく…💦
(💢本当に腹立たしい)
セリフを自分の言葉にするまでの
時間がとてつもなく
まどろっこしくて。
舞台袖に待機する怖さから
逃げたくなる気持ち。

でも、一歩
舞台に踏み出した瞬間
舞台は、
自分の場所になりました。
スイッチが入り
お客様と一緒の空間を
感じる心地よさ。

歳を重ねたからこそ
深く感じる事が
できたのかもしれません。

ご縁と呼びかけに
感謝です。


恋と懺悔


仇打ち


楽屋


生徒達Part1


生徒たちPart2



ラジオ時代の仲間


あー、楽しかった