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3兄弟の母・たもです!

ごくごーく普通の

サラリーマン共働き家庭だったけど
40歳前に

「私の人生、このままでいい?」

と考えはじめ……。
新卒から15年勤めた会社を退職。
2024年に3兄弟(2歳双子&5歳)を

連れて世界一周へ。


2030年に2回目の

子連れ世界一周を計画中です。

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我が家は東京に住んでいて

そこそこ中学受験もさかん。

長男が小学生になったし、

中学受験について調べておこう!

と思って少し前に色々な本を読んでみました。

 

 

 

色々調べてみて感じたのは

「経験」としての受験には

(合否に関わらず経験としてうまくいけば)とても価値がある、

という話には大納得。

でも、

それが中学受験をする(させる)

理由としては弱い気がする。

ということ。

 

 

 

なぜ、これほどまでに

中学受験が話題になるのか。

そして私自身が気になってしまうのか。

そのあたりの理由、構造が

自分でもうまく言語化できておらず。

なんだか違和感が残ったままでいたのです。

 

 

 

で、最近この本を読んでいて。

 

 

 

 

は!!!!と気付かされたことが

あったので忘れないうちに記録しておこうと思う。

 



 

======

(以下本書より抜粋)

 

 

多くを持っている人が格上なのか。

格下がいないと自分の優位性もないはずなのに。

 

 

体験格差を問題視することが

皮肉にも階層固定化につながりかねない

 

 

皆が「成功」を手にできない

ロジックを設定にしておきながら

「格差があるね」と、

「違い」を「優秀」の問題にするのは

いかがなものだろうか

 

======

 

 

今の世の中において

「成功」(ここで指す成功の定義は主に経済的なこと)

は一部の人にしか得られない、

そういう仕組みになっている。

 

 

 

でも、私たちは

なぜ成功者がその地位にいられるか?

という根本的な問題には目を向けず

(というか目を向けないような仕組みになっている)

どうしたら「成功できるか」を考える。

 

 

 

でもそれって

結局、世の中の「成功」に自分を(子どもを)

合わせていき、

それを再生産していくこと、

に繋がっている。

でも、結局「成功」できるパイは限られているから

「成功」できないことに苦しむ、、、

という悪循環に陥っていくのではないか。

 

 

 

と、かなり大枠でとらえると

そんな負のループに陥りかねない行為なのではと。

 

 

 

もちろん中学受験を全否定するつもりはなくて、

(私も子どもが中学受験をする可能性は十分にあるし)

ただ、「なんか中学受験が気になる」、

その心理背景には社会の構造があり、

しかし社会構造による価値観は

自分の中に「内面化」されているから

「なぜ巷で成功者といわれる人たちがその地位にいられるのか」

という部分を議論するきっかけがない。

そして構造は、

今の自分の「生きづらさ」に

多かれ少なかれ繋がっている部分があり、

もしかしたら中学受験が

その連鎖をつくることに繋がっているかもしれず、

それってどうなんだろう?

という。

(もちろん中学受験だけではなく、早期教育とかもこの構造に当てはまるなぁと)

内面化された部分に気づかずに、

「なんとなく」で巻き込まれていくことへの

恐ろしさが違和感だったのかなと。

 



とはいえ。

過ごす環境を選ぶ、と言う意味で

受験はとても有意義な選択肢であると思う部分もある。

(公立でも私立でも、合う合わないって必ずあるから。会社でも同じだよね)

だから受験=悪、と言いたいわけではない。

このニュアンス難しいね。

 

 


、、、何ともまとまりのない文章(!)

 

 

ただ、違和感は突き詰めていくと

誰かが必ず言語化してくれている、

で、そこでさらに自分の考えが広がることがある。

ので、読書って面白い

と思うと同時に、

良書を読むたびに

「あぁ、私って何も分かってなかったのだな、、、」と自分の無知に愕然とする。

ブログや音声配信をしているけど、

そのときは意気揚々と書いたり話したりしたことが、あとで見返すと「全然わかっていないじゃん」と恥ずかしくなったり。

そんなことをアレコレ考えると、

書いたり話したりするのが億劫になる。

(特に文章だと手軽に読み直せて恥ずかしさが倍増するので、ブログで読書記録とかマイオピニオン的な話を深く書くときに、手が止まることが多い)

けど、よくよく考えると、

どんなに有名な教授であっても

知らないことは必ず(そして膨大に)あるのだから、私が無知なのは当たり前であり。

億劫になるのは

まさに私が「正解」を求めているからじゃん!!

(=失敗を恐れている)

とハッとする。

知らないことがいっぱいでも、

自分が稚拙な内容を発信しているとしても、

それを恥じずに受け止めていられる自分でありたいと感じていますにっこり

(着地点が中受まったく関係ない、、、!)


 

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