まだらボケといわれる時が一番大変。
と、思う。
やることなすことが
全部が全部おかしいわけでなく
もしかして分かっているの?
わざとなの?
と思えるような
妙に的を得た嫌がらせのような事を
絶妙にできるから。
なぜなんでしょうね?
どこの認知症患者さんも見事に
介護している人がカチンとくるような
疲弊するような
心に響くトンデモができるんですよね。
義理の親子の場合だと
もう本当に嫌がらせのような行動。
義母様も多かったですね。
今思えば、脳というブロックが
色々と欠けているのだと思えます。
だから、そういうことが起こってた。
とは思えるのですが
当時は全く思えなかった。
思ってみても腹立たしいんですよね。
だって、全てが分からないわけでなく
一部がおかしいだけ。
それが分かるなら、これも分かるはず。
って、思っちゃうもん。
でも、聞いた端から忘れるし・・・
本人はちゃんとできているつもりだし。
噛み合わないとこのことかですな。
う〇こまみれのパジャマも
ご本人は汚れているとは思わない。
「ここ、汚れているでしょ、」
と言っても認知の初期は
まだ変に意識もプライドもあるから
非は認めないし、妙に張り合うというか
敵愾心もある。
食べ物隠しまくっていたあの頃も
誰かが盗ると思っていた。
しかし、ボケも進行して
自分で思うとおりに動けない時期になると
今度はこちらを下僕のように使う。
更に動けなくなって、思考力もなくなり
食べることぐらいが楽しみになると
すり寄ってお願いしてきたりする。
実の親子だとどうだかわからないけど
どうも、義理関係だと認知初期から
まだらボケの時に敵対心を持つ人が多い気がする。
義母様は
「あんたの言うことなんて、聞きへんで」
という態度がありあり出ていて
近所に悪口も言って歩いたし
病院でもそう。
なにせ、看護師さんにも横柄な時期があった。
自分の身の回りのことをある程度できる間は
ずっと、敵愾心丸出しだったね。
そんなことだから、
今現在、親御さんがまだらボケな方は
手間もかかり、いろいろと大変だと思う。
何よりも、終わりなき実りのない
お世話を罵倒されても、
しなくてはいけないという
心が折れそうな
メンタルブロー半端ない時期。
その後の、症状が一歩先に進んだら
進んだで大変だけど
今度はメンタルブローより
ボディーブローな感じだった。
動けなくなり、下系完全介助とか。
初めての摘便は涙でましたから。
下痢時には腕や手がまみれたしね。
どうか、気晴らしをしっかり見つけて
心が壊れないようにしてほしい。
そして、辛いときには思いっきり泣いたほうがいい。
泣くのを我慢しすぎると
僕のようにバランスが壊れて倒れる。
こうなってしまえば、楽なんですがね。
まだらボケ期間って長いから辛いよね。
次は実母か。
ふぅ~
ボケの進行と、体の衰弱、
その兼ね合いがどうなることやら。

