それが引っ越しお手伝いってか?! | 雨でも晴れても

雨でも晴れても

浮世の事も、浮世じゃないことも、それでも地球は回っている

そろそろ19年が経ちます。

おそらく、一生忘れないこの仕打ち。

心のしこり。

過ぎたことをというかもしれないけど、

本当に、今、思いだしてもムカつくんですよ。

 

 

 

引っ越しの当日の夜、

 

荷物も積みきって、トラックを送り出し

 

夜中のフェリーで釧路に向かう夜、

 

福岡から出てきた義母様を、最寄り駅まで拾いに行き

 

ちなみに、この最寄り駅というのは住んでいたところではない。

 

引き払っているので、そこで待てないので

 

僕の実家だ。

 

チョーめんどくせーだろ。

 

 

そこから、有明に向かって車は走った。

 

 

 

帝王切開で次男が産まれてから4ヶ月半の時だった。

 

ちなみに、荷物の詰込み9割以上一人でやった。

 

なぜなら、生まれるときには転勤してしまっていたから。

 

帰ってきたのは引っ越しの前夜。

 

全ての手続き、準備をご近所にて助けてもらいながら

 

実家に助けてもらいながら終わらせた。

 

荷物は到着まで4日みないといけない。

 

荷物はJR貨物で汽車移動だ。

 

1月末の北海道。網走。

 

流氷も着岸して一年で最も寒い極寒期なのだよ。

 

下手すると、どこかで停滞す可能性があるから一日くらい予備を作る。

 

車で移動するので人間はフェリーに乗る。

 

 

「小さい子連れて、移動は大変やから手伝うわ」

 

 

荷物の出し入れを手伝ってもらえるのかと思ったら

 

仕事の都合もあって休めないからと引っ越し当日の夜に来た。

 

 

 

 

 

 

有明ではエンジントラブルでフェリーが欠航になっていた。

 

何が何でも、翌日のうちに阿寒国立公園・川湯温泉まで移動しないといけないのだ。

 

宿とってるし!!

 

間に合うフェリーは無いか調べてもらうと

 

八戸から苫小牧に行けば何とかなると分かった。

 

1月末の東北自動車道を走った。夜に走った。

 

ハニーの運転だけでは疲れてしまう。

 

昨日、北海道から迎えに来たばかりだ。

 

雪の降る、夜中の東北自動車道を運転歴の短い僕も走った。

 

車が少なく、明かりも少なく・・・・

 

暗い、暗い。

 

福島あたりからは雪が降り、高速で走る車にぶつかる。

 

雪がヘッドライトに乱反射して、車のスピードのせいもあり

 

ものすごい勢いでぶつかってくる。

 

道も、いよいよ本格的な雪道になった。

 

スタッドレスを履いているとはいえ、雪道経験ゼロ。

 

流石に、仙台で変わってもらった。

 

東京から二時間、頑張った。

 

予定より早く八戸にはたどり着いたが、物凄い積雪でびっくりした。

 

なんでも、滅多にない大雪らしい。

 

八戸は比較的、雪が少ない土地だ。

 

苫小牧からは日勝峠を越えて道東に抜ける。

 

峠の開けた場所で、十勝平野を見た。

 

一面の雪で、真っ白な十勝平野を見たときのあの衝撃は一生忘れない。

 

気温はマイナス18度。 真昼間だ。

 

写真はイメージです。海外のモノですがこんな感じですね。

 

 

 

川湯まで無事につき、温泉で一泊して休んだ。

 

川湯の冬祭りの最中で、雪像やイルミネーションが幻想的で美しかった。

 

車で走るのは怖いが、こうやって見るだけなら美しい。

 

その後の、驚異の雪国生活がまだ分からないから綺麗だなと

 

単純に感じることができた。

 

翌日、網走入りした。

 

途中、鶴居村で初めて本物のタンチョウヅルを見た。

 

先に単身赴任していたハニーがいたので簡単な家財道具もあるし

 

布団は足りない分は借りれたので一晩を新しい部屋で過ごした。

 

翌日、無事にトラックは来た。

 

職場の皆さんが手伝いに来てくれて、荷物は入れ込むのは早目にできた。

 

いよいよ開梱だ。 

 

引っ越しは、詰めるより、開梱が大変。

 

 

 

 

しかし、その翌日、義母様は帰って行った。

 

隣町の空港まで片道冬なら30分は走る。

 

天都山(国定公園)の山を抜けていく。

 

冬道は厳しい・・・・・・・・・・

 

 

 

くそばばぁ、移動だけ付いて来て

旅行気分かよ!

 

ドライブして、温泉に入って

観光してバイバイかよ!

 

 

 

 

 

目が点になった。

 

 

 

 

 

誰一人知らない、右も左も分からない、雪と氷に閉ざされて

 

外に散歩にも出れない

 

人としての会話も成り立たない息子二人と過ごしながら

 

開梱を進める。

 

腰がガクガクになった。

 

詰めるのも一人、開けるのも一人。

 

結局は何もかも一人で9割がたをやることになり

 

帝王切開から5か月も経たないうちに・・・・・このハードなイベント。

 

乳飲み子を背負って階段を降りることもできなかった。

 

部屋は三階。

 

日々のご飯の買い物も行けない。

 

ハニーが帰ってきてからマーケットに体を引きずっていく感じだ。

 

それでも、日日薬で腰の痛みが引いてからは(半月ほどつらかった)

 

雪道運転を覚えて、自力で移動ができるようにした。

 

流氷が着岸すると、昼間でもマイナス10度を下回るような網走。

 

一年の半分は冬。

 

そんな中で一年半の生活。

 

義母様は、1週間ほどの休みをとって時々来た。

 

隣町の空港までの送り迎えは僕だ。

 

なぜなら、やつは平日に来るのだ。

 

客商売だから、繁盛期を外してずらしてやってくる。

 

平日はハニーがいないので、昼間も僕といることになる。

 

次男がいるから、クッションがあって何とかなるが

 

何の罰ゲームというか、とんだ修行だ。

 

 

 

 

 

 

実家の母は家の建て替えと、お産と、

 

その後すぐのこちらの引っ越しに手伝いで疲れ切って

 

引っ越しした後、倒れて暫く臥せったというのに

 

義母様は、プチ旅行楽しんで、お手伝いした気で帰って行った。

 

 

そして、この事件はこの後にも続くのであった。