あしだ畳店のブログ あしだのジョウ(畳)
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畳って何で出来てるの? 畳の構造 

 こんにちは あしだのジョウです。

 

暑いですね~~。 当店は業務用扇風機しかなく毎日滝のような汗と熱中症になったかのように

仕事が終わったときはフラフラ状態です。

 

さて今日は 畳って何でできてるの? と 構造ですね。 

 

畳の構造は 

土台となる 床(とこ)  

表面を覆う 表(おもて)

ふちを囲む 縁(へり) 

で構成されています

 

畳床 (土台)

ご覧のように 向って左端の藁床(藁で作られている) 、

それ以外は建材床(インシュレーションボード、スタイロフォームで作られている)

 

畳表 (表面のゴザ)

イ草 (天然素材) で作られたもの

 

和紙 で作られた物

 

プラスティックで作られた物

 

 現在はカラーバリエーションを含め多彩になりました。

 

 

畳縁 (ふちに付くもの)

無地縁と柄縁 です。 これはほんの一部です。何百種類の柄があります。

ここの写真の物はすべて化繊製です。 昔は 本麻、純綿 等が使われていました。今でもありますが高価な物になります。

 

ご覧のように 昔は 藁、イ草、麻、綿 等の天然素材ですべて作られていましたが、 現在は 化学素材を使ったものが多く使われており 用途やお客様のニーズ、使用環境に応じて使い分けが出来るようになっております。

 

材料のことは次回から詳しく(機能など)書かせて頂きますね。

畳って いつから 今のような畳になったの??  畳の歴史

 

 

  こんにちは アッシーです。

 

  皆さんが 普段見慣れている 畳   いつからこのような畳になり お部屋に敷き詰められて

  使うようになったのでしょう??

 

  畳の歴史

 

  奈良時代

  存在する最古の物は  御床畳 (ごしょうのたたみ) といい  正倉院に保管されています。

  木の台の上に置かれた  真薦 を編んだゴザのようなものを5,6枚重ね床とし、イグサの菰で覆って

  錦の縁がつけれていた物   

  最初は ゴザのようなものを 寝床として使った

 

  平安時代

   寝殿造り になり 必要なところに部分的に配置した。  

   座布団のような座具、 寝床としての寝具  であった。

 

  鎌倉時代

   書院造 になり  畳が 床材となり  部屋全体に 敷かれるようになった

   ただし、これはあくまでも身分の高い人のみ。

 

  室町

   部屋全体に畳がしかれるようになり 正座がはじまった。

 

  安土桃山

   お茶(茶道)が発展し 畳の敷き方も変わってきた。

   この頃より 町人の家にも徐々に使われ始めた

  

  江戸時代

    武家では 畳は広く普及したが 町人に普及し始めたのは 江戸の中頃以降。 農民には

    まだまだ普及されていなかった。 それまでは野生のイグサを使っていたが 備後地方を中心に

    イ草の栽培が始まった。

    畳職人としての正業が始まったのも江戸時代

 

  明治時代

    農村にもようやく普及し始めた

    明治維新後に畳は一般に広く普及していった

    この頃に 畳を長く使う知恵  天日干し、畳表の裏面を再利用する裏返しなどが行なわれるようになった。

 

   昭和時代

    一般家屋から 公営住宅 アパート に至るまで 和室が主流となり  まさに畳全盛期。

 

   平成時代

 

    天然素材(イグサ、藁)で作られていた畳が建材素材(プラスチック、紙、スタイロ、インシュレーションボード)に変わり始めた。

    畳の厚さも60mmだったのが最薄15mmが多くなってきた。 

 

    こう見ると 近年 畳は劇的に変わった。 特には天然素材から化学素材に変わった事が一番大きい。生活様式が変わり

    住宅環境、生活環境が大きく変わったからだと思う。 今の時代に合った畳とは??  そしてこれから畳はどのように変化していくのか?   

    

    でも、やっぱり僕は天然素材の畳が好き!!  家の中に草原がある。こんな自然と一体感になれる家、習慣文化 日本にしかないですもの!!

 

 

    

畳(たたみ) って なに??

 

 すご~~くお久しぶり の投稿になります! あしだのジョウ です。 

 

  みんなに たたみ の事を知ってもらい身近に感じて欲しいな~~~

  と思い 今日からまた ブログ再開します。

 

 今日のタイトルは まさに そもそも 畳って なんだろう ??? です。

 まずは 歴史的観点から見ていこうと思います。

 

 ウィキペディア の中で以下のように

 

 

畳の原点は古代から存在する。古代の畳は、(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称であり、使用しないときは畳んで部屋の隅に置いたことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされる。

 

 そう もともと  敷物すべての総称!だったんですね。 

それをたたんだ事が 語源という なんだか意外と適当なネーミングで今の時代だと 畳をたたむ??????。 ですよね。

 

 

 

浜松のイグサ栽培と畳表展

アッシーです。
今皆さんに一番伝えたい事、知って頂きたい事は畳の ん~ というより 畳の材料の現状と今後です。
現在 浜松博物館で ‘浜松のイグサ栽培と畳表・ミシロ織り ’展が開催されております。 先日これに行ってきました。







感想をいえば 興味深い資料ばかりで興奮しっぱなしでした。 嬉しかった事も悲しかったこともあります。 悲しいで言うのなら ここの資料は過去の物である事。 以前は 浜名湖周辺でも数種類のイグサが栽培され畳表の生産も盛んに行われていた事でしたが、約8年前に最後の生産者(農家)さんもやめてしまいこの地域での畳表栽培が終焉strong>してしまいました。 ここの資料を見る限り一昔前までほんとに盛んに行われいた事が伺えたので悲しく複雑な気持ちになりました。 ただ、一つ嬉しかった事として ‘太イ’ と言われる品種を栽培されている農家さんがまだ残っているということが分かったことです。 残念なのはこの 太イ は畳表用ではなくてイ縄にされ民芸品に使われてるそうです。でも、イグサ栽培が残ってるというだけでも本当に嬉しいのです。近いうちに訪ねて見たいと思います。
浜名湖周辺では 備後イ、七島イ(琉球)、太イの3種類が栽培されてたようです。 まったく一緒ではありませんが当店にあるものでご紹介します。 左から 備後イのかわりの熊本イ、太イ(熊本産)、七島イ(大分産)です。





皆さんに知って欲しいのは、イグサの生産をなくしてしまった地域は ここ浜松だけではなく 日本一の産地だった備後地方(広島、岡山県付近)もほぼ全滅状態なのです。凄い勢いで生産者が減少しています。現在は熊本県八代市に約500軒、その他の県に 数軒ずつのみとなってしまいました。 皆さんが大好きな畳 もしかしたら近い将来なくなってしまうかもしれません。  でも、僕は 絶対に守りたい! 後世に繋げたいのです!!  多くの同志と共に頑張ります! 皆さんも是非お力をお貸しください! お願いします

リスタート!

こんにちは アッシー です。 大変ご無沙汰してしまいました。
ま~ いろいろとあり 長らくこのブログを休止しておりました。
が、 やっぱり伝えなくてはいけないことが いっぱい い~っぱい あるとあらためて思い 私の想いと共に、再びこの場に書いていこうと思いました。
勝手で申し訳ありませんが よかったらまたお付き合い頂ければ幸いに思います。 宜しくお願い致します


動画などは フェイスブックページ  あしだ畳店・あしだのジョウ(畳) に載せますので そちらも合わせて見ていただけるありがたいです。
https://www.facebook.com/tatamiashida/
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