もう少しだけ、信じて。 | 遠足生活

もう少しだけ、信じて。

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案の定、またしても徹夜明けです。

本当に、なんとかして仕事のスピードをあげないと、こうやって日々、睡眠にばかり皺寄せがいってしまいます。





この時間になると、すっかり、まちも目覚めていて通学中の中学生や高校生がたくさんいます。


学生だった頃は、疑うことに戸惑って過ごしていたように思います。

誰かを疑うこと自体が不安で、また一方で信じることも不安。
信じたことが、裏切られる不安と裏切られることを予想できなかったことが知られることの、不安。

不安はいくつも重なりながら、でも、どこかで信じている。そんな感じがします。




ところが、だんだん、歳をとっていくと自分にずるくなってきて、物事を半信半疑で受け取って、約束も話半分で信じるようになってくる。

それは、裏切られて傷つかないための予防線で、不安をつくらないための手法。
信じるよりも、予測が先に立ち、妥協が不安をつくらないようにする。

そして、いつからか疑うことが前提になってしまっているように思います。



もちろん、いろんな詐欺事件や○○商法みたいな犯罪が増え、インターネットという虚偽もどこかで常識のような世界が、日常の中にある現在では、それはしょうがないことなのかもしれません。




でも、最近、なんだかそのあたりのことも、ぐるっと一周して、やっぱり信じることも必要なんじゃないかと思ったりします。


自民党から民主党に政権交代し、アメリカでいわゆる黒人の大統領が誕生している、今。

僕のようなNPOで働いて生活している人も増えてきていて、社会起業家が憧れる職業の一つにすらなりそうな、今。


きっと数十年前なら、考えられないことではないかと思います。



世の中は、やっぱり変わらないのも真実なら、いつも動いているのも、真実。

どこを見ても時間は過ぎていくなら、イイコトの方向に動いていく社会を見ていたい。



そういうことを、社会を、もう少し信じてもいいのかもしれませんね。