最近、休刊していたレコード芸術誌がオンライン・コンテンツとして復活したらしい。見てみようとしたら有料会員にならないと見れないコンテンツが多くてちょっと悩み中である。クラシック関係の雑誌は他にもいろいろとあるが、特集が面白そうな時に買ってみるのがMostly Classic誌である。特集あり、演奏会評あり、録音評あり、業界のニュースあり、連載ありとごった煮のような雑誌であるがちゃんと続いているので読者は付いているのだろう。写真が多く見やすいのもいいのかもしれない。そこに連載を持っているのが、ピアニストの小山実稚恵と小菅優である。その小山が、毎年やっている「以心伝心」という協奏曲の夕べの企画について書いていた。何でも全4回の企画で、今年が3回目であるとのことで、1回目は大野和士指揮する都響と、2回目は小林研一郎指揮する日フィルと共演し、3回目となる今年は広上淳一指揮するN響と共演するという。なかなか豪華ではないか。広上とは1歳差で同じ時代を経て来た「戦友」のような間柄なのだとか。N響と演奏してみたかったというブラームスのピアノ協奏曲1番と、モーツァルトのピアノ協奏曲27番というプログラムも少し面白い。失礼ながらベテランと呼んで差し支えないであろう年代のピアニストの中では実力者である小山の気合の入った企画であるし、プログラムも良いので足を運んでみた。

 

10月5日(土)サントリーホール

モーツァルト ピアノ協奏曲27番

ブラームス ピアノ協奏曲1番

小山実稚恵/広上淳一/NHK交響楽団

 

最初はモーツァルトの最後のピアノ協奏曲である27番から。コンサートマスターはマロこと篠崎史紀であるが、そのせいか分からないが、弦楽器のアンサンブルが実に素晴らしい。広上の優雅な音楽作りに、木管もよく歌い、なかなか素敵な序奏である。小山にモーツァルト弾きというイメージはあまりなかったが(何となく、リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ辺りが得意という印象)、磨き抜かれたタッチで、(失礼ながら想像以上に)繊細なタッチ・コントロールで実に美しいモーツァルトを奏でていた。普段のやや重めの打鍵を、モーツァルト用にカスタマイズしていたらしく、優しく、丁寧に、コロコロと転がるようにピアノを鳴らしていて、かなり素敵なモーツァルトであった。ただし、聴いていると、その常ならぬコントロールにかなり集中力を使っていたようで、やや同じ調子の弾き方になっていた感じもあった。もっとも、これだけタッチをコントロールして精妙にモーツァルトを演奏できるピアニストがどれくらいいるだろうか、というレベルに到達していたことも確かで、清新なピアノ協奏曲27番には相応しい弾き方とも思われた。少し、指がもつれたようになった箇所があり、技術的な完成度はいつも高いと思っていた小山にしては珍しいなと思ったが、人間そういうこともあるだろう。

 

慎重に弾き進めていた1楽章には少し緊張感と硬さがあるところもあったが、伸び伸びと歌っていた2楽章以降は少し力が抜けたようで、3楽章は楽しそうに弾いていた。広上の躍動感ある優雅な伴奏とも相まって、かなりレベルの高いモーツァルト演奏であったと思う。もう少し、音楽作りに起伏があってもいいように思われたが、そこはある種静謐な演奏を目指していたのであろう。

 

さて、休憩時間になると、会場に微妙な違和感が。何か2階のR側の廊下に規制線を敷こうとしている様子があり、明らかに耳にイヤホンを付けた、およそクラシックを聴きそうにない屈強な黒い背広をきちんと着用した男性がうろうろしている。どうも皇族がいらっしゃる気配が濃厚である。後半が開始されると予想の通り、上皇・上皇后ご夫妻が満場の拍手を受けて登場した。小山は親交があるのだろうか。

 

さて、後半はブラームスのピアノ協奏曲1番である。前半は水色系でキラキラ光る素材も使われた(あるいは宝飾品を付けていた)ドレスであったが、後半は赤系のドレスに着替えて登場した小山は丁寧に上皇ご夫妻にお辞儀をしていた。ブラームスのピアノ協奏曲1番は、元々は2台のピアノのためのソナタとして構想され、その後、交響曲とすることも検討されたらしいが、結局、ピアノ協奏曲となったという経緯がある。そのせいか、管弦楽部分もかなり充実している。N響は少し前に、ルイージ指揮で、ブッビンダーの独奏で演奏していたが、弦楽器こそマロこと篠崎のリードの下でなかなか気合が入っていたが、ホルンなど金管を中心に吹き損じが目立ったのが残念だった。広上の指揮は決して悪くなかったので、ちょっと残念だったのだが、モーツァルトより芸風には合っていそうな小山の独奏が、モーツァルトに比べると力強さもあったが、なぜか妙にミスタッチが多く、安定感がない。弾けていないわけではないが、かなり弾き損じがあったので、もしかすると体調が万全ではなかったのではないかと心配になってしまった。

 

小山は、重厚な作品を割とパワーフルにバリバリ弾くような印象を持っていたのだが、実は繊細に音色を磨き上げて、あまり荒っぽさはない。重厚な難曲も丁寧な弾き方できちんと折り目正しく演奏する。その絶妙なバランス感覚が持ち味なのだろう。ブラームスの重厚な和音の連打も音色が濁らないように精妙にコントロールしつつ、きちっと弾き進めていく。正直にいうと、もっと、激しい打鍵で豪快に弾いてもいいのではないかという部分もあったが、そういうことをしないのが小山であろう。ミスタッチが目立ったのは残念であったが、その丁寧な弾き方には一つの一貫した美学があり、広上の重厚さよりも優雅さを強調した指揮とよく合致していた。

 

その優雅な演奏様式は2楽章で最も功を奏していたかもしれない。小山のタッチの美しさが映えていたし、特に弦楽器の合奏が美しい音色で音楽を引き立てていた。そしてほぼ間を置かずに始まった3楽章は、やはり少し不安定で、少し焦ったような、先に進むようなピアノ独奏が気にはなったが、ミスタッチはさておき、それが結果的には音楽を前に進めていた部分もあり、その推進力を巧みに受け止めた広上の柔軟な指揮もうまく方向性が合致していて、なかなか魅力的な演奏になっていた。特に、最後の方は、弦楽器を中心とした管弦楽のアンサンブルのスピード感が素晴らしく、それに焦り気味のピアノがうまくはまり、なかなか勢いのある、迫力のある、手に汗を握るオーケストラとピアノの対話が実現しており割と良かった。この3楽章の後半は、ツィメルマンとラトル指揮するベルリン・フィルの演奏の迫力が素晴らしいのだが、それを少し彷彿させるようなスピード感があった。

 

アンコールはブラームスの子守歌1曲。やや速めのテンポで弾いていたのは、やはり体調を慮ったのではないかとも妄想されたところだ。戦友であるという広上との相性が意外に良いのも面白かった。ミスタッチが多かったのはさておき、体調不良が杞憂であることを祈念している。この以心伝心の協奏曲シリーズは来年もあるようであるし、小山には益々の活躍を期待したい。とりあえず、早く伊福部昭の協奏風交響曲を録音してもらいたいのだが・・・