現存する日本のクラシック系の音楽家で最も有名な人は誰だろうか。小澤征爾と坂本龍一が亡き後の今であれは一人しかいないだろう。久石譲である。久石の名前は映画音楽作曲家として広く認識されている。北野武の映画など、幅広く映画音楽を担当しているが、やはり久石の名を高めたのは、一連のジブリ映画であろう。宮崎駿のアニメ映画が世界を征服していくのと相前後して久石の音楽も世界を席巻していく。伊福部昭は、映画音楽、特に、ゴジラなどの特撮映画でも一切手を抜かず、その理由を、「若い人が耳にする音楽だから」といったことを言ったというが、まさに若い人が聴きながら育ったのがジブリ映画である。どこからを「ジブリ映画」と言うかはやや面倒であるが、宮崎駿が監督したアニメ映画としては、未だに傑作と名高い1979年の「ルパン三世カリオストロの城」は違うが、1984年の「風の谷のナウシカ」から2023年の「君たちはどう生きるか」まで、ジブリの宮崎駿の監督作品は全て久石が音楽を担当している(「紅の豚」や「風立ちぬ」のように主題歌が異なる例はあるが)。そして、ジブリ映画は、世界のジブリである。久石の音楽も日本のみならず、世界中でジブリ映画の音楽として聴かれている。そんな久石であるが、作曲家としてはミニマル音楽にシンパシーを持っているようである。そして、久石は近時は作曲のみならず指揮活動にも精力的に取り組んでいる。近時は日本センチュリー管とのコラボレーションが目立つが、新日フィルもよく振っていた。他に、自ら設立したオーケストラもある。そして、久石は指揮が思いのほか上手である(以前、新日フィルを指揮したグラスとストラヴィンスキーを聴いてその見事さに驚愕した)。ベートーヴェンの交響曲全集が刺激的と話題になったが、一般的なクラシック作品を巧みに指揮する。自らの知名度も活かしつつ、有名曲を指揮して、久石目当てに聴きに来たファンをクラシック音楽の扉に誘うと同時に、自分のルーツであるミニマル系の音楽を中心とする演奏会も開催する。しかも、その知名度のためか、久石が振る演奏会のチケットはよく売れる。最近は、世界の有名管弦楽団に客演しているし、遂に、名門DGレーベルに録音するようにもなった。そんな我が世の春を謳歌している久石が、ミニマル音楽の原点に立ち返るように、フィリップ・グラスの初期の名作交響曲と自作を振るという。すぐに完売したらしい公演であったが、幸いにもチケットを入手できたので、足を運んでみた。
8月26日(水)サントリーホール
グラス ‘Low’Symphony(交響曲1番)
久石譲 Concerto for Orchestra
久石譲/フューチャー・オーケストラ・クラシックス
同じ演目で25日にも演奏会が開催されていたので2日目ということになる。久石作品は日本初演であったようだが、その栄誉は前日の演奏会のものだろう。フィリップ・グラスのコアな交響曲と久石の新作という演奏会にどんな人が集まるのか、普段行くようなクラシックの演奏会とは違うだろうとの予想はしていたが、なかなか独特の雰囲気であった。まず客層がとても若い。全体的に女性が多く、女性に連れられた男性がそれなりにいる。子連れもおり、若いグループもいる。服装は、Tシャツなどカジュアルか、ちょっとオシャレをしたドレス(?)の女性などいるが、年齢層が若いので、何となく映画館に来たような気持になる。そして、かなり外国人も多かった。やはり世界のヒサイシなのだろう。
管弦楽は久石が立ち上げた若手を中心としたアンサンブルのフューチャー・オーケストラ・クラシックス。弦楽器は14型で対抗配置。ピアノ、チェレスタ、ハープにかなりの数の打楽器も入る。コンサートマスターは近藤薫で、メンバー表を見ても良くは分からないが、時折、目にしたことがあるような名前もあったので、在京のオーケストラ・メンバーやフリーランスなどから幅広く腕利きを集めたのだろう。
前半はフィリップ・グラスの交響曲1番である。素材をブライアン・イーノとディヴィッド・ボウイのアルバム「Low」(1977年)から採用したとのことで、’Low’Symphonyとされており、1992年に作曲された、その後10作以上を数えるフィリプ・グラスの交響曲の原点となる、記念すべき最初の交響曲である。イーノなどのオリジナル作品を知らないので、どこまでがイーノとボウイで、どこまでがグラスなのか良くは分からないが、確かに、グラスの楽想とは少し違う素材を使いつつ、グラスらしいミニマルの書法で作曲されている。3楽章形式ながら1時間近くを必要とする大曲である。他方、グラスらしさは出て来ているが、まだグラスの個性が完全に確立していない時期の作品でもあり、その後のグラスの手慣れた作曲技法による作品を聴き慣れると、初々しく、他方でやや個性に欠ける印象もある。久石は、今回の演奏に先だってニューヨークのカーネギー・ホールでも同じプログラムでの演奏会を開いたそうで、その際は、グラスが夫婦でリハーサルから聴きに来ていたという。プログラム冊子にはグラスからのメッセージも記されている。
さて演奏はグラスのミニマル音楽を、色彩感と生気に富んだ表情で、躍動感あふれる演奏をしていた。グラス独特の繰り返しのくどさがあまり正面に出ていない作品ということもあるが、久石は語り口が上手で、ミニマルらしくリズムをしっかりと一定のリズムに乗せつつ、大きな起伏もしっかりと作って行く。グラスの交響曲を録音し続けているデニス・ラッセル・デイヴィスなどに比べても、語り口が上手なので、とても聴きやすい。同じミニマル音楽の作曲家としての作品の構造に対する鋭い目線と、ジブリ音楽のコンサートを通じて培った、聴きやすさへの感覚が見事に組み合って昇華している。近くに座っていた外国人の姉妹がずっとしゃべりながら聴いていたし、暑かったのか、プログラム冊子を扇子のようにパタパタしていたので、少しうるさかったが、グラスの音楽を満席のサントリーホールで静かに聴かせてしまう久石のパフォーマンス能力は凄い。
作品は、大雑把にいうと、やや穏やかな典型的ミニマルな作りの1楽章、すこしリズミカルになる2楽章、落ち着いた静かな音楽の続く3楽章からなり、1時間弱続く。とはいえ、不協和音は登場しないし、今どきのゲーム音楽に親しんでいる世代にはグラスくらいの繰り返しのミニマル音楽は何の違和感もないかもしれない。実際に、休憩中には、「意外に聴きやすかった」とか「悪くないけどちょっと地味」といった感想が聞こえて来たが、ミニマル音楽への拒否感などは全くなかった(途中で出て行った人もほとんどいなかった)。サントリーホールという舞台で、生オーケストラを使って、グラスの魅力を叩き込むミニマル宣伝大臣久石の面目躍如たるところだろう。あまりクラシック音楽に慣れていないようで、楽章の間で毎回拍手が入るが、久石もオーケストラも慣れている様子であった。
グラスの中では、イーノやボウイの素材を使った、ポップスに近い要素のある最初の交響曲を取り上げたのは、そうした客層の特性を考えて敢えてしたのかもしれない。個人的に、ミニマル系の作曲家で好きなのは、米英のグラスとナイマン、ポーランドのグレツキとキラールなのだが、その中では最も原始ミニマル色が強いところから始めていたのがグラスだろう。グラスは多作家で、そこまで聴き込んでいるわけではないが、協奏曲や合唱が入る作品の方が、よりグラスの書法が活きるような気がしていて、交響曲は少し単調に思われる瞬間があるし、一度、オペラを映像で観ようとしたが、あまりにも執拗に繰り返されるので、途中でうんざりしたこともあった。他方、ヴァイオリン協奏曲1番や2番は徐々にヴァイオリン奏者のレパートリーに入ってきているし(特に1番は名曲)、2台のティンパニと管弦楽のための幻想的協奏曲も圧倒的な印象を与える作品であり、実演でも取り上げられることが増えている。久石の活動が、既に売れっ子であるグラスの音楽がより幅広い層で聴かれるようになる契機になると良いだろう。
休憩を挟んで久石の管弦楽のための協奏曲が演奏された。久石の純音楽については、正直にいえば、まだ適性に評価できていない。何曲か聴いたが、しっかりとした筆致で作曲されているし、意外に斬新で先鋭的な表現も入れて来るが、敢えて映画音楽で示す分かりやすさを排しているようで、硬派な作品として仕上げている。もっとも、そのためか、人気が出て忙しい中で、速筆で作曲しているのか、少し音楽に凝集力に欠けるところがあり、また、アイディア先行な気がする。まだ久石の本気の作曲の語法に馴染んでいないだけかもしれないが。
今回演奏された「オケコン」は2026年にワシントン・ナショナル響、トロント響、カーネギーホール、サンフランシスコ響、パリ管、ロイヤル・フィル、シカゴ響、サンタ・チェリーリア国立アカデミー管など10団体の委嘱によって作曲されたという。世界初演はワシントン・ナショナル響で、5月14日から16日に行われた、作曲されて間がない新作ということいなる。アメリカ、カナダ、フランス、イタリアといった日本のアニメ文化の受容が進んだ国々の団体が中心となった委嘱であるが、錚々たる団体からの委嘱を受けているのが凄い。作品は45分程度の大曲で、バルトークの同名作品と同じく5楽章形式からなる。1楽章と3楽章はリズムの面白さが強調され、2楽章と4楽章はメロディックな部分がフォーカスされており、5楽章ではその二つの側面が合体するという。
1楽章は最初から躍動案のある速いテンポの作品で、打楽器がリズムを刻む中で管弦楽がミニマル的でありながら、そこまで繰り返さない、適度な動きのある音楽である。久石のタクトが的確で、オーケストラを上手くリードしているので、音楽がとても流れ良く進む。初めて聴いた作品であるし、正直にいえば、よく分からない部分もあるが、聴きやすい作品である。1楽章が終わったところで拍手が入るのは前半と同様であったが、近くの席の人達が、「やっぱり久石は凄いね。さっきのやつよりも全然いいよ~」と話していたので、客の好みはグラスより久石であったようだ。
2楽章はそこまでではないが、確かにリズムよりも旋律が重視されていた。分かりやすい旋律を使っているわけではないが、独奏楽器がよく歌い、管弦楽のための「協奏曲」という側面がよく出た楽章であった。ジブリ・ファンからすると、ようやく久石のメロディが出て来たと感じたかもしれない。終わるかなと思うと終わらないところもあり、思ったよりも長い楽章であった。
3楽章は再びリズミカルな楽章となる。正直にいうと、作風としては同じような感じで、思い出そうとしても同じような印象の楽章が並んでいたところもあるが、1楽章よりも3楽章の方が打楽器セクションがより激しく用いられていて、ミニマル的な均一なリズムをマリンバ等が刻むかと思うと、管楽器などがかなり大きな動きをしたりするし、弦楽器も鋭いガチャガチャした楽想を格好良く鮮やかに弾いていた。少し「春の祭典」に似た感じであるが(久石は「春の祭典」を録音している)、変拍子から変拍子に続くストラヴィンスキーに比べると、変拍子が大きな全体の拍感の中で管理されており、その管理された中での錯綜したリズムが面白い。
4楽章は少し和風の旋律が登場し、それが展開されていく。メロディ・メーカーとしての久石の魅力が少し滲み出ていた気がするところで、ジブリ音楽のファンは楽しめたかもしれない。最後の5楽章は確かにいろいろな要素がまとめて注入されたような音楽であったが、どちらかというと、リズムに寄った音楽であったように思われた。面白かったが、全体に少し長いと感じられる瞬間もあった。意外に長いのはミニマル系の音楽の特徴なので良いのだが。
アンコールはなく、終演後には、拍手が鳴りやまず、各パートの奏者を立たせ、オーケストラを讃えた久石が、再び舞台に戻ってきたところで、オーケストラも拍手をして久石を讃えていると、客席が一斉に立ち上がり、スタンディング・オベーションになっていた。何やらミュージカルを観に行った時のような客席の反応で、客層のバックグラウンドはミュージカルなどの舞台芸術好きが多いのかなと想像したりした。
なお、録音していたようなので、もしかすると将来発売されるかもしれない。どこまで客層にグラスや久石の新作が音楽的に刺さっていたのかはよく分からないが、久石の国民的、いや、世界的人気を目の当たりにした演奏会であった(夏休みだったのも影響しているのかもしれない)。ジブリ音楽を入り口に、久石からミニマル、そしてその他のクラシック作品にも手を伸ばしてもらいたいものである。
久石は、その自身の人気を活用して、エストニアの作曲家スメラの作品などを日本センチュリー管で取り上げたりしていて(スメラは知られざる名作曲家で関西でなければ聴きに行きたかった)、その活動からは目が離せない。ただし、周囲の客層があまりにも違い過ぎて、少し居心地が悪かったのも事実であるが。それにしてもS席は12000円、D席でも4000円と若者には決して安くないだろう演奏会を2日連続で完売にさせる久石の動員力に感嘆しつつ、最近の若者は豊かだなあと思ったりした。少子高齢化のため親世代の財力が少ない子に注ぎ込まれ、人手不足で売り手市場という条件のためもあるのかもしれないが。あるいは推し活には出費は気にしないのかもしれない。
久石には、その知名度を良い意味で濫用して、今後ともいろいろな音楽を広めてもらいたい。