自己認識として「フランキスト」であるとまでは思っていないが、フランクの音楽は比較的好きである。晩年にその才能を開花させたセザール・フランク(1822年~1890年)は、有名な交響曲や交響詩、ヴァイオリン・ソナタに代表される室内楽(弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲など)、ピアノ曲などで知られているが、作曲家としての活動期間は長く、作品数も多い。オルガン奏者として活躍したこともあり、オルガン作品も多く、オラトリオなどもあり、どうも全体像がよく見えない作曲家である。そんなフランクの作品のみのオルガンのリサイタルが開催されるというので足を運んでみた。

 

10月24日(土)ミューザ川崎

フランク 前奏曲、フーガと変奏曲

フランク カンタービレ

フランク 英雄的小品

フランク 3つのコラール

中田恵子(Org)

 

演奏する中田恵子は初めて接した奏者である。東京女子大にいた時にオルガンの音色に魅了され、東京藝大とその大学院、さらにフランスに留学し、コンクールで優勝したこともあるという。バッハ・コレギウム・ジャパンで演奏していたこともあるらしく、神奈川県民ホールのオルガン・アドバイザーをしたりもしていたらしい。バッハ作品の録音が2枚ほどあるようであるが、最近Arcantusレーベルからフランクのオルガン作品集をリリースしている。リサイタルはその作品集と同じプログラムである。演奏会の最後に少し中田自身がマイクを持って話していたところによると、フランクのオルガン作品に魅了されていたが、わざわざ大きなホールで自主リサイタルをやるのに、フランクのみのプログラムとしたことに、周囲から「勇気があるね」と言われ(育ちの良さそうな方なので上品に言っていたが、要するに、周囲が言いたかったのは「正気か?」ということだろう)、日本ではフランクはあまり有名ではないのだなと感じたという。ヴァイオリン・ソナタの演奏頻度を考えれば、フランクが有名ではないという認識は少し違うように思うが、オルガン作品の作曲家としてのフランクの認識が高いとはいえないというのは的を射た感想だろう。とはいえ、ホールは、日本中から「フランキスト」が集結した結果かどうかは知らないが、ミューザ川崎の1階席と2階席(ただし舞台より客席側のみ解放)はそれなりに埋まっており、3階席にも少し人が入っていたので、思ったより集客は順調だったように感じられた。オルガンは、オルガンのところではなく、舞台上にリモートの演奏台を置いての演奏であった。女性オルガン奏者の中には足を使いやすいようにパンツルックを好む者もいるが、中田はスカートの長い淡い色のドレス(ただし、スカートの前方は少し短め)で、スカートの後方をオルガンの座席から後ろにたらすようにして、足元に対するカーテンのように使っていた。譜めくりがいたが、以前に聴いたオルガン奏者の大木麻理は、楽譜を紙芝居のようにして、弾き終わったページを少しずらして、次のページの冒頭が見えるようにしてから、引き抜くという方法で譜めくりをしてもらっていたが、中田は普通に横長の楽譜をめくってもらっていたが、譜めくりの人がかなり体を伸ばさないとめくりにくそうで、大木の工夫の意味が分かった気がした。

 

演奏会前半にはフランクが40代後半から50代半ばの壮年期に作曲された作品3曲を配置されていた。最初の「前奏曲、フーガと変奏曲」は、中田の優しい弾き方もあいまって、穏やかな印象の作品である。そこまで派手にオルガンを鳴らさないので、折角のミューザ川崎の大オルガンなのにと思ったりした。3つの形式の楽章を並べるのは、フランクの特徴で、晩年の傑作ピアノ作品も、「前奏曲、コラールとフーガ」と「前奏曲、アリアと終曲」と題されている。他方、この時期のフランクの作品には、まだその後のフランクの作品に刻印されている個性が開花していないように感じられる。続く「カンタービレ」もやや地味な印象。

 

前半の最後に演奏された「英雄的小品」は力強い作品で、ようやくミューザの大オルガンの真価が発揮され出したように感じられた。低音で特徴的な主題が出て来て、その後のフランクを少し予感させる要素もあり、シンフォニックな意味でもオルガンという楽器の能力をしっかりと発揮したものである。中田の演奏がこうした作品でも優しく、尖ったところ、攻撃的な要素がないので(とても穏やかな人柄なのだろう)、もう少し攻めてもよいように感じたところもあるが、几帳面かつ生真面目に丁寧に組み上げたフランク演奏には、実演でのオルガンの音の迫力もあり、なかなか聴き応えのあるものであった。この作品には後のフランクの萌芽が感じられた。最後に足のペダルで、「ド、ソ、ド、ソ」のような音型を鳴らすのが、ティンパニのようで(例えば、マーラーの交響曲3番の最後のような感じ)、なかなか痺れる格好良さがあった。

 

休憩を挟んで「3つのコラール」が演奏された。この作品はフランク晩年の、亡くなった年の作品で、オルガン奏者=作曲家として、バッハに範をとりつつ、バッハに対抗するように作曲された作品であるという。3つのコラールがそれぞれ大曲で1曲目は変奏曲、2曲目はパッカサリア、3曲目がコラール幻想曲であるという。既に晩年の傑作群を作曲した後のフランクの作品ということもあり、前半に演奏された作品とは全く違うレベルの、よく書かれた濃密な作品である。50代から60代でフランクの音楽が一気に発展したことがよく分かる、正直にいえば、ほぼ別人の作のように感じさせられる。晩年のフランクの変化は凄いなあと、大器晩成という言葉を思い出し、自分もまだまだこれから発展できるかもしれないと、自身を慰めてもみた。

 

1曲目の変奏曲は、あまり明確な変奏曲風というよりも、冒頭に提示されたコラール的な主題を使ったかなり自由な形式で音楽を展開させていったような印象を受けたが、オルガンという楽器の表現力を駆使し、小さな音から大音響まで表現の幅が広い。2曲目はパッカサリアらしく、通奏低音のように続く音型があるが、バッハのパッカサリアに比べると厳格ではなく、あくまでも一つの音型を繰り返しつつ展開されるという形式を用いつつ、自由に音楽が展開されるようで、後半にはフーガ風にその音型が処理されたり、かなり派手に鳴らされるところもあり、圧巻の作品である。そして、3曲目は、確かにバッハに対抗するような巨大な幻想曲で、きちんと分析的に聴いていないので、全体の構造などはよく分からなかったが、力強い音楽で、フランクらしい楽想が多く登場する曲でもあった。中田もミューザの大オルガンを気持ちのよいほど鳴らして演奏していた。

 

演奏は前半の作品群と同様に丁寧で、几帳面で生真面目なもので、豪快に尖って攻めるところはなく、優しく積み上げて行くような演奏スタイルである。優しく誠実な奏者の人柄が出ているのだろう。鳴らすべきところはオルガンから大きな音を出していたものの、全体的におっとりとし、穏やかで、上品である。もっとも、フランクという作曲家は、晩年の傑作群を生み出した際に、作曲の弟子であったオーギュスタン・オルメスという女性に恋をして(不貞関係があったとも、異性としてはあまり相手にされていなかったとも言われている)、その老いらくの恋が晩年の傑作群を生み出す原動力になったとも言われている(ヤナーチェクにも似た話がある)。実際に、フランクの晩年の傑作群、つまり今日のコンサートホールで演奏される機会の多い作品はほぼ全て、フランクがオルメスに作曲を教えるようになった1876年以降に作曲されている(交響曲、交響詩「呪われた狩人」、交響詩「プシュケ」、交響的変奏曲、交響詩「ジン」、ピアノ五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、「前奏曲、コラールとフーガ」「前奏曲、アリアと終曲」など)。サンサーンスなど、自らが初演したピアノ五重奏曲について、フランクのオルメスに対する感情を読み取って、過度に煽情的であるといった感想を述べていたらしい(その、サンサーンスはオルメスに何度も求婚していたらしいので、単なる痴情のもつれという気もするが)。そういう意味では、中田の演奏は、そうしたフランクが晩年に燃やしていた激情の炎を表現するには、やや清潔感があり過ぎたかもしれない。宗教的な意味合いを感じさせる「3つのコラール」をあまり煽情的に演奏するわけにもいかないかもしれないが、少し弾き方を変え、もっと劇的に、攻めて演奏するという作戦もあったかもしれない(淡い色の衣裳で演奏していたが、後半は情熱の赤の衣裳に変えてみたり)。

 

なお、中田がバッハ・コレギウム・ジャパンで弾いていたこともあるためか、鈴木雅明が来ていて、いろいろな人から声を掛けられていた。勝手に日本中からフランキストが集まっていたコアな演奏会かと思っていたが、そうした関係者が多数来ていたのかもしれない。

 

アンコールの前に中田がマイクを持って謝意を語っていた。内容は既に紹介したような、このリサイタルを開くに至ったフランクへの愛を中心的に述べたところであった。アンコールは、音盤には入っていないフランクの作品が演奏されることを期待していたが、残念ながら演奏されたのはバッハの「最愛のイエスよ我らここに集いて」というオルガン・コラールであった。穏やかで丁寧に演奏されて、演奏会が終わった。フランク作品が続いた後なので、フランクでなくとも、フランス・オルガン楽派の、例えば、ヴィドールやヴィエルヌの作品を演奏するなどしてくれても良いのにと思ったが、そこは中田のレパートリーのもう一つの柱であるバッハにしたのだろう。終わった後にサイン会もやっていたらしいが、サインをもらうことに関心はないので、そのまま帰路についた。

 

とはいえ、一部の作品ばかり演奏されるフランクの作品の中でも、なかなかまとめて聴く機会のないオルガン作品を集中的に演奏してもらえたことは興味深いことであった。こういうところを機に、もう少し(ヴァイオリン・ソナタ以外の)フランクの作品が演奏されるようになると嬉しいところである。全国のフランキストよ立ち上がれ!!