サントリーホールは大ホールとブルーローズという小ホールがある。ブルーローズは室内楽等で用いられている。大ホールに足を運んだ時に室内楽の演奏会をやっていたり、何かイベント(発表会であろうか)をやっているらしい、華やかな衣装に身を包んだ紳士淑女が多数いることもある。そんなブルーローズであるが、毎年6月頃にチェンバー・ミュージック・ガーデンと銘打って室内楽の演奏会を集中的に開催している。堤剛サントリーホール館長の下で、アカデミーと銘打った若手も含めて多数の団体が室内楽の演奏会を開いている。気になる公演もあるが、日中の公演もあり、予定が合わなかったりしてこれまで足を運んだことはなかったのだが、今年は大好きなダネル弦楽四重奏団が登場するというので足を運んでみた。

 

6月10日(月)サントリーホール(ブルーローズ)

プロコフィエフ 弦楽四重奏曲2番

ヴァインベルク 弦楽四重奏曲6番

ショスタコーヴィッチ ピアノ五重奏曲

外山啓介/ダネル弦楽四重奏団

 

さてダネル弦楽四重奏団であるが、ベルギーのブリュッセルで1991年に設立されたという30年以上のキャリアのある団体である。ベルギーの団体であるが、ロシア=ソ連の作曲家に熱心に取り組んでおり、特にショスタコーヴィッチについては弦楽四重奏曲の全曲演奏会を開いたり、全曲を2回録音している。今回演奏されたヴァインベルクについても弦楽四重奏曲全集を録音している。ショスタコーヴィッチの1回目の録音が素晴らしく(2回目は注文したがまだ届いていない。)、随分愛聴していたということもあり、一度実演で聴いてみたいと思っていた。愛聴していた1回目のショスタコーヴィッチの全集以降にチェロ奏者の交代があったようだが骨格に変化はないだろう。

 

そのダネル弦楽四重奏団であるが、渋いおじさま4人衆である。後から加わったというチェリストが一番年上に見えるが、演奏は非常に精力的で力強い。ヴィオラは年齢不詳で妙に若々しいが、発する音も朗々としていて爽やかである。ファースト・ヴァイオリンのダネルはやたらとアクションが大きく、ここぞと歌うところになると、座ったまま片足を大きく上げてのけぞるような姿勢になって嫋々と歌う。録音では気にならなかったが、実演で聴くと少し線が細い。そして、セカンド・ヴァイオリンが、一番緻密で、一番安定感がある。恐らくアンサンブルの要はこのセカンド・ヴァイオリンで、ここでアンサンブルのバランスを取り、音楽の骨格を作って、それに乗せてファースト・ヴァイオリンに歌わせているのだろう。そして全員の音色が同じ方向性で、渋みがありつつも、マイルドで滑らかかつ艶やかである。ショスタコーヴィッチを得意としているというのに、全く金属質なキンキンしたところのない豊穣でまろやかな音色である。リズム的な鋭さはもちろんあるし、鋭角的な表現も思い切りやるのだが、不思議とその音色のまろやかさは保たれる。凄い音色のコントロール技術である。

 

最初に演奏されたのがプロコフィエフの弦楽四重奏曲2番。2曲あるプロコフィエフの弦楽四重奏曲であるが、この著名な作曲家の作品の中ではややマイナーな部類に属するであろう。録音もなくはないが、比較的最近出たパヴェル・ハース弦楽四重奏団のものや、コペルマン弦楽四重奏団のもの(2番のみ)といった隠れた名盤はあるものの地味な存在に留まっている。プロコフィエフは、ヴァイオリンやチェロのための協奏曲やソナタはなかなか良い作品だが、弦楽だけの曲となるちょっとその魅力が出ないところがあるような気がする。やはりピアノがメインの作曲家であるし、弦楽器だけだとこの作曲家特有のリズムの面白さが生き切れない感じがする。弦楽四重奏曲2番は、そんな中ではかなりプロコフィエフらしさが出た曲だと思うし、よく聴くと面白い工夫や仕掛けがふんだんに盛り込まれているのだが、通して聴いた時の印象が薄い。ダネル弦楽四重奏団の演奏は、さすがにソ連系の作曲家を得意としているだけあって手慣れたものであり、ふくよかな、まろやかな音色ながら、プロコフィエフらしい切っ先の鋭い剣を振り回しているような、近付いたら切られそうな尖った音響を作り出しており、演奏としては楽しめたが、その演奏をもってしても曲の面白さに完全に開眼するに至らなかったのは、本領を発揮したプロコフィエフならもっとゴツゴツとした変幻自在の音楽を書くだろうにという期待値に曲が至っていないためのような気がしてしまう。きちんとプロコフィエフの曲を聴き込んで行けばよかったのかもしれない。

 

続いて演奏されたのは近時再評価が著しいヴァインベルクの弦楽四重奏曲6番である。念のため書いておくと、ヴァインベルクはポーランド出身ながらユダヤ人であることからソ連に亡命した作曲家である。ピアノも上手であり、ショスタコーヴィッチと親しく、ショスタコーヴィッチ本人と共演して交響曲10番の2台のピアノ版を録音しているが、これが壮絶な演奏であり、2楽章の速さたるや凄く、オーケストラ版と比べるのもどうかと思うが、恐らく演奏時間最短記録を保持しているのではないだろうか。ピアニストとしては、ボロディン弦楽四重奏団と自作のピアノ五重奏曲を録音したりしている。極めて多作家で、オペラ、交響曲、弦楽四重奏曲、協奏曲、ソナタ、チェロやヴァイオリンの独奏のための作品、室内交響曲等々を多数残している。正直、全貌がよく分からない作曲家であるが、最近再評価が進んでいていろいろな作品が録音されている。随分前に出ていたOlympiaレーベルのヴァインベルク・エディションを苦労して集めたり、敬愛するコーガン独奏のヴァイオリン協奏曲などは聴いてきたが、正直にいえば、ショスタコーヴィッチ的な響きもあるが、今一つ捉えどころのない作曲家という印象であった。とはいえ、クレーメルが積極的に取り上げるようになり、録音も増え、かなり前だが下野竜也指揮するN響も交響曲12番を取り上げたりしたので、熱心なファンにとっては一応は知られた存在であろう。

 

ダネル弦楽四重奏団は17曲あるという弦楽四重奏曲を全て録音しているのでヴァインベルクのスペシャリストというべきであろう。6番は6楽章制のかなりの大曲で、演奏者にかかる負担も相当に大きい曲のようである。これまた聴き込んで行けばよかったのだが、随分前に一度聴き流した程度で臨んでしまったので、正直にいえば、曲をきちんと理解できたとは思わない。ただ、ショスタコーヴィッチを彷彿とさせるようなスケールの大きいい鋭角的で抑圧された、鬱屈とした情念がにじみ出し、ショスタコーヴィッチを超える諧謔性を感じさせる作品で、演奏するのも、技術的に至難なだけではなく、音楽的にどう組み立てるかも難しそうな作品である。しかし、きちんと理解できたとは言えないものの、底の見えないような深い感情の渦とそこから発露される異常な表現力をもった音楽に、何か圧倒されるものを感じさせられる。ダネル弦楽四重奏団の演奏も、フォルムを崩すことなく、一見淡々と弾いているようで、力強くエネルギッシュにヴァインベルクの表情豊かで深い音楽を描き、その感情のあやのようなものをえぐり出す。その独特の迫力に、どんどん惹き込まれていく。ヴァインベルクの弦楽四重奏曲がこれほど深い世界観を持ったものだったとはと強い感銘を受けた。決して分かりやすい音楽ではないし、ショスタコーヴィッチが単純に思われるほど、ねじ曲がった複雑な感情の発露となっているが、そこから滲み出る作曲家の心の声は、聴き手の心をえぐるのである。

 

こういう生々しい音楽は、まさにその曲とのみ対峙できるような、実演で聴いて初めてその真価に触れることができるのかもしれない。曲と真摯に向き合う音楽家の演奏姿も含めてヴァインベルクの音楽の真骨頂なのだろう。とにかく心を揺さぶられる音楽であった。聴き手も、曲を知って聴いていた人がどれだけいたかは分からないが、熱狂的な拍手をしている人も散見されたので、ヴァインベルクの音楽の凄みと、演奏者の熱気を受け止められた人もいたのだろう。

 

後半はピアニストの外山啓介を加えてのショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲となる。外山は初めて実演に接したが、ちょっとイケメン風の爽やかな感じの若者である。ピアノの重厚な和音から始まるピアノ五重奏曲であるが、外山は慎重にショスタコーヴィッチの対位法的な書法を音化していく。ピアノの音色に少しくぐもったようなところがあり、もう少し開放的な抜けるような和音を響かせてもらいたかったし、もっと音量も上げても良かったと思うのだが、共演する弦楽四重奏団に配慮をしてか、やや抑え気味に鳴らしているようにも見えた。ただ、弦楽四重奏が入ってくると、むしろ弦楽器の音量の大きさにピアノが劣勢になっていた。ダネル弦楽四重奏団は、2回も弦楽四重奏曲は全曲録音している割に、知る限りピアノ五重奏曲の録音はないようであるが、ショスタコーヴィッチの音楽語法は知り尽くしている。実に手慣れた、自家薬籠中のものといったこなれた演奏であり、その自然体ながら濃い表情が、丁寧ながら慎重過ぎてどうしても淡泊になってしまうピアノとかなり対照的であった。もう少し思い切って濃く表情付けをした方がアンサンブルは良かったようにも思うが、なかなか踏み込めないのだろう。むしろ、弦楽器が音楽を少し煽り、それにピアノが突き上げられてテンポを上げる場面なども散見された。そういう意味では、この演奏は特に静かな2楽章の長大なフーガと、ピアノがリズムを刻む中で弦楽器が嫋々と熱く歌い上げる4楽章が白眉であった。ダネル弦楽四重奏団のバランスが取れた、しかい熱っぽさのある演奏がよく映えていたし、ピアノもそれをよくサポートできていた。他方、テンポの速い3楽章など、弦楽四重奏のテンションの高さにピアノが少し及び腰になってしまい、音楽の流れを停滞させていたところもあり、今一つ全体に燃焼し切れいない印象が残り、5楽章もピアノの印象的な旋律などがやや表情が一本調子で彫りの深い弦楽器の表情付けと淡泊なピアノが、あまりうまく絡み合っていなかったように感じられた。とはいえ、ダネル弦楽四重奏団が大きな音楽の流れを作っていたので、それにうまくピアノが乗っていたところはショスタコーヴィッチらしい諧謔が湧き上がっていて、聴き応えがあったし、外山も決して頑張っていなかったわけではないが、正直にいえば、ピアノと弦楽四重奏団の芸の格の違いが際立って出てしまっていた気がする。まあベテランと若手で芸歴の違いも大きいしやむを得ないだろう。むしろ、外山にはいい共演機会になったのではないだろうか。

 

アンコールはないかと思っていたら、3楽章を再演してくれた。今度はダネル弦楽四重奏団が最初に演奏した時よりもかなりスピードを上げて弾き出し、ピアノが必死にそれに付いていく感じであった。アンサンブルは乱れ気味のところもあり、粗い演奏であったが、必死で弦楽器のテンポに喰らい付くピアノの熱量が最初の演奏時よりも格段に上がり、圧倒的に迫力があった。そう、ショスタコーヴィッチにはこういう熱量が欲しいのだ。やはりダネル弦楽四重奏団も外山が入ったことで遠慮していたのだろう。アンコールで、本来のダネル弦楽四重奏団のやりたい演奏を披露してくれ、ようやく合点が行った。外山にもいい経験になったのではないだろうか。

 

ダネル弦楽四重奏団には是非また来日してショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲の全曲演奏会を開いてくれないだろうか。もちろん、ついでにヴァインベルクの弦楽四重奏曲の全曲演奏会も嬉しいが、およそ集客の見込みがないであろう。ようやく実演に接することのできたダネル弦楽四重奏団は、予想のとおり、素敵なおじさま4人組であった。