最近ちょっとした若手ピアニストのブームが来ている。辻井伸行、反田恭平、藤田真央、小林愛美、角野隼斗、亀井聖矢など、チケットが完売するスター奏者が多く、それに阪田知樹、務川慧悟、松田華音などか。男性が多い印象があるが、ピアノ・ファンはどうしても、稽古事として習っていた元ピアノ少女のお姉さまが多いので、若い男の子の応援団になってしまうのではないだろうか。とはいえ、申し訳ないがこの辺のスター奏者については、正直にいうとあまり関心がない(レパートリーが素晴らし過ぎる松田華音は例外として。)。むしろ、登場するとチケットが取りにくくなるので、後半に面白い曲が演奏される際などに迷惑している。客が入ることはクラシック業界としては有難いことではあろうし、いずれも実力者ではあるのだろうが、積極的に聴きに行きたくなるような音楽的あるいはレパートリー的な魅力を感じない。中では阪田知樹がレパートリーの面白さで気になることがある。なお、アデスなどを取り上げてくれる角野隼斗はレパートリーは面白いが、あまり演奏が好みではないし、チケットが取れない上、会場の雰囲気がちょっと馴染めないので強いて聴きたくはならない。

 

さて、そんな若手ピアニストに比べると、むしろ旬のピアニストと言えそうな二人が10月に立て続けにリサイタルを開く。河村尚子と小菅優である。まず、日本デビュー20周年を記念したという河村尚子のコンサート・ツアーの東京公演がサントリーホールで行われた。実力者の河村尚子については、協奏曲のソリストとしては何度か聴いたが、ソロのリサイタルは行ったことがない。プログラムの良さに惹かれて足を運んでみた。

 

9月30日(月)サントリーホール

バッハ=ブゾーニ シャコンヌ

岸野末利加 単彩の庭Ⅸ

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ7番

ショパン 即興曲3番

ショパン ピアノ・ソナタ3番

河村尚子(Pf)

 

あまりショパンの曲に興味がないので、もっぱら関心があったのは前半だが、ショパンも傑作のピアノ・ソナタ3番ということで聴き応えはありそうである。サントリーホールでのリサイタルは初めてであったとのこと。前半は技巧的な曲が並ぶためか、身体運動を邪魔しないように上は黒いタンクトップで下はパンツルックという活動的な服装で登場した。

 

最初の曲はバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番からのシャコンヌをブゾーニがピアノ独奏用に編曲したもの。ピアノ音楽ファンには有名な編曲である。同じシャコンヌについては、最近はブラームスが左手のみのピアノのために編曲したものが人気が高いが、確か、右手を痛めたクララ・シューマンのためにヴァイオリン独奏曲をそのまま左手のみのピアノのために移し替えたようなブラームスの編曲に比べると、ブゾーニの編曲は、まるで後期ロマン派の曲のように、旋律に和音を付けるのみならず対抗旋律なども加えて重厚無比な曲に仕上げており、ほぼ別の曲と言いたくなるほど印象が違う部分も多い。もっとも、当時の最高のバッハ解釈者とされていたブゾーニのバッハ観がよく出ている上、実に見事な編曲なので、原曲の無伴奏ヴァイオリン版の魅力は全く否定しないが、このピアノ版に惹かれるところは大きい。ほとんど弾けないピアノで音をたどってみるだけでも、実に発見が多く、むしろ原曲の解釈に参考になるところが多いようにすら思う。

 

ところで、このシャコンヌであるが、比較的シンプルで難しくない楽想から始めり、徐々に複雑化していくという変奏曲のようなシャコンヌ様式のためか、演奏会の最初に演奏されることが意外に多い。有名なリサイタル録音ではボレットのカーネギーホール・リサイタルやチェルカスキーの80歳記念リサイタルなどもそうである。そうした、ヴァートゥオーゾの系譜を河村も継ごうというのであろうか。

 

河村の演奏は原曲のヴァイオリン曲に引っ張られることなく、純粋にピアノ曲としてアプロ―としていたようだ。比較的速いテンポでピアノの打楽器的な、技巧的な側面を強調していた。音をいくらでも伸ばせるヴァイオリンとは違い、打鍵の後に音が減衰するピアノでは、あまり音を引っ張れないのでやむを得ないところであるが、そうはいっても原曲のヴァイオリンの響きを意識した演奏もあるところ、河村はそこは割り切ってピアノ演奏としてもっとも映える表現を選んでいたように思われる。その結果、原曲の愛好者としては、少し速過ぎて感じるところも多かったが、ピアノ演奏技術的には実に見事で、全ての音が丁寧かつクリアに奏でられていて、思い切り低音を響かせるところなどもかなり力強く響かせていた。もう少しためが欲しいと思うところなどもあったが、その余計な情感を入れずにインテンポで前に進めていくというのも一つの見識であろう。この曲の演奏後のトークで、オルガンの響きを意識したといった発言があったが、それほど残響を響かせたり、和音をたっぷりと取った演奏ではなく、曲の運動性の方により重きを置いた演奏ではあったとは思うが、複雑な和音が錯綜するところも実に明快に弾かれていて、とても見通しのよい演奏であった。曲の最後の方の和音の連打のところでは、より難しいパッセージを選択できる部分があり、ミケランジェリなどはそちらを弾いているが、河村は一般的な落ち着いた方で演奏していた。

 

次の作品を弾く前にマイクを持ってのトークがあった。基本的には次に演奏した岸野作品の説明をするためであったようだが、20周年ということでサントリーホールでのリサイタルは初めてであったこと、20年前にデビューする数日前に初めてサントリーホールに入って中村紘子の演奏するベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いて、こんなホールで演奏できるだろうかと(どうも、数日後にサントリーホールで演奏したということらしい。)思ったということなどを話していた。そして、岸野作品は、初めて委嘱した作品であるとのこと。岸野はケルン在住だが、京都のお寺出身で、日本庭園に親しんで育ったとのことで、まばらに雪が降り積もった日本庭園の様子を描いた作品で、連作の中の一曲ながら、ピアノのために書かれたものは初めてなのだということ、倍音を活用した作品で、その響きを楽しんでもらいたいことなどが語られた。

 

その岸野作品であるが、確かに響きの面白い作品で、低音を大きく鳴らしたり、高音域での下降音型のスケールを素早く繰り返して、まるで水が滝のように流れ落ちるように響かせるなどしたり、単音を連打するなどする。やや抽象的に響きを楽しむようなところがあり、倍音を作るため真ん中のペダルなども多用したりしていたようであり、なかなか演奏するのも大変そうな曲であったが、完璧なタッチで音色をコントロールして響きを組み立てていた河村の卓越した技量を楽しむことができた。曲はモダンながら和声は協和音的であり、むしろ次に演奏されたプロコフィエフの方が不協和音という意味では尖っているくらいである。時にさばさばしていると感じさせる河村のピアニズムはこのような現代曲には非常に力を発揮するようである。一度、NHKの番組で弾いていた矢代秋雄のピアノ・ソナタなど実に見事な演奏であった(王子ホールでのリサイタルで弾くことになっていたので調べたがチケットが完売で涙を飲んだ記憶がある。)。

 

前半最後の作品はプロコフィエフのピアノ・ソナタ7番で、いわゆる戦争ソナタ3部作の2曲目である。ポリーニやグールドの録音で有名な曲であるが、3楽章が独立してアンコールに弾かれることもある。河村は、恩田睦の小説を原作とした映画「蜜蜂と雷鳴」で主人公の演奏するピアノを担当していたが、そこで披露していたプロコフィエフのピアノ協奏曲3番の演奏が、一部ながら素晴らしく、是非全曲を聴きたいと思っていたので、ソナタでもプロコフィエフの演奏を聴けるのは嬉しいところである。そういえば、河村はプロコフィエフの名解釈者であるウラディーミル・クライネフに師事している。

 

そのプロコフィエフであるが、河村の演奏はかなり独特であった。変わった解釈をしているわけではないのだが、普通は技巧の切れを誇示するためにどんどんと進めるところを実に丁寧に音を拾って、そこに内包された旋律をきちんと浮かび上がらせる。単なる打楽器的なリズムカルな和音の連打のように思っていたところにも、実は旋律線があるということをきちんと描き分けている。ただ、その分、音楽の推進力は多少は下がるが、テンポを決して遅くしているわけではない。もっとも、バリバリと弾く多くの演奏に比べると、はるかに湿っぽさと情緒のある演奏に仕上がっていて何ともユニークなプロコフィエフである。何となくよく知っているように思っていた曲について、自分がいかに表層的な部分のみを皮相的に聴いていたのだろうと反省させられた。3楽章も決して遅くはないが、丁寧な音楽作りで、全ての和声がきちんと響いてきて、弾き飛ばされるところの多い、和音の連打のハーモニーの移り変わりまでしっかりと響いてくる。これは単に速く弾くのとは違う、いやそれ以上に凄いテクニックに裏付けられた演奏であると深く感心した。3楽章については、勢いに任せて弾きまくる演奏も好きだけれど。この全てクリアにきっちりと弾く丁寧で几帳面な演奏スタイルは河村の個性と言っていいのだろう。こんな風にピアノ協奏曲3番を弾いてくれたらと想像すると、ゾクゾクするものがある。

 

後半はショパンが2曲となる。休憩中に衣装を変えて、今度は薄い水色(という色があるのか分からないがそのような印象の色)のドレスで登場した。前半の運動性と違って、後半は優雅なショパンということなのだろう。最初に即興曲3番が演奏された。歯切れがよく、くっきりとしながら見事に組み立てられた演奏で、抒情的というより理知的なショパンである。正直にいえば、あまり曲が面白いと思わないのであるが、演奏の水準が高いのはよく分かった。

 

そして、即興曲を弾き終えたところで、拍手も受けずにソナタ3番を演奏し始める。ショパンのピアノ作品の中でも屈指の名曲である。河村の演奏は細部まで神経が行き渡り、やや几帳面とすら思えるくらい、折り目正しく各パートを組み立てていた。歌う所は歌っているが、全体的に情緒よりも知が勝ったような、やや隙がないところがツンツンしているが、こういう硬派なショパンも時にはいいかもしれない。1楽章は随分とあっさりと弾かれた印象であったが、2楽章は細かい音まで精緻にコントロールされていて秀逸。3楽章は丁寧に響きを作っていたが、正直にいえば、もう少し音楽に起伏を作ってもいいのかなと、やや単調に感じられた。4楽章が一番音楽的にもよく流れていて躍動感も感じられて良かった。よい演奏だったとは思うが、苦手なショパンの曲を面白いと感じられるほどではなかった。

 

アンコールは4曲。最初のアンコールを演奏する前に、謝辞に加えて最新アルバムの「20―Twenty―」について、これまで弾いてきたアンコールを集めて、プロローグとエピローグを付けたものであると説明し、アルバムのプロモーションをした上で、最初にドビュッシーの「夢想」が演奏されたが、これは実に絶品な演奏で、歌い口が素晴らしく自然で豊かに音楽が膨らみを持ちつつ柔らかく、決して多彩ではないが、磨き抜かれた美しい音で奏でられていて素敵な演奏であった。続いてシューマンの「献呈」をリストではなくクララ・シューマンの編曲で演奏したが、こちらも慈愛を感じる情感の込められた演奏で素晴らしかった。さらにリムスキー=コルサコフの「くまん蜂の飛行」をラフマニノフ編曲で演奏していたが、右手の速いパッセージのタッチのコントロールの見事さと、合いの手を入れる左手の表情の豊かさに圧倒された。最後は最近話題のコネッソンの「F.Kダンス」という作品で、やたらとノリのよい楽しい作品で、河村の見事な技巧を楽しむことができた。とりあえず、早速、河村の新しいアルバムを注文しようという気持ちになった。

 

一番楽しみにしていたシャコンヌがやや好みと違う方向の演奏であったことなど、全てが好みであったわけでもないが、やはり非常に水準の高いピアノ演奏を聴かせてもらえて、その意味では満足させられた演奏会であった。とりあえず次は30周年を目指して益々ご活躍いただきたい。