7月の読響は若手の指揮者を招聘している。一人はオーストリア出身のカタリーナ・ヴィンツォーで、もう一人がドイツ出身のグランディである。そのヴィンツォーが指揮する定期演奏会では矢代秋雄のチェロ協奏曲が演奏されるということで足を運んでみた。

 

7月9日(火)サントリーホール

コネソン 「ラブクラフトの都市」から「セレファイス」

矢代秋雄 チェロ協奏曲(独奏:ユリアン・シュテッケル)

ブラームス 交響曲2番

カタリーナ・ヴィンツォー/読売日本交響楽団

 

ヴィンツォーは1995年生まれのオーストリア人の女性でウィーンやチューリヒで学んだという。24歳でダラス響の副指揮者、2020年にはマーラー国際指揮者コンクールで3位に入賞したのだとか。来年30歳になるまさに新進気鋭の若手女性指揮者ということなのだろう。当たり外れはあろうが、若手を積極的に招聘するのは読響のいいところである。

 

最初に取り上げられたのが最近注目されているフランスの作曲家ギョーム・コネソンの作品である。1970年生まれのコネソンであるが、DGやChandosなどのメジャー・レーベルからも録音が出ているので、現役世代としては売れっ子作曲家といっていいのだろう。聴きに行けなかったが、少し前に、沖澤のどかも作品を取り上げていた。指揮者のドゥヌーヴが積極的に録音しており、何曲か聴いたことはあるが、そこまで強い印象を残す曲にはまだ出会っていないが、オーケストラをよく鳴らした、センスのよい聴きやすい作風の作品を書く人である。

 

舞台に颯爽と現れたヴィンツォーは小柄であるが、全身を大きく動かして、精力的な音楽作りをする。色彩感豊かな華やかな音色をオーケストラから引き出し、軽やかに音楽を前に進める。低弦も含めて重さよりも華麗に歌わせる方を重視しており、重心は軽めながら、オーケストラをそれなりに整理しつつ、派手に鳴らす。小気味よくキビキビと音楽を進める、華麗な芸風のようだ。10分弱のコネソン作品は、聴きやすい作風であるが、そこまで印象的ではないので、一度聴いただけではその真価はよく分からない。割と華やかな響きが心地よい佳作であり、ヴィンツォーの芸風には合っていたように思われる。

 

続いてドイツ出身、1982年生まれの俊英チェリストのシュテッケルを迎えての矢代のチェロ協奏曲となる。シュテッケルは初めて実演に接した奏者であるが、録音もそれなりにあるようだ。楽譜はタブレットを譜面台に置き、足元に置いたペダルを踏んで自分で譜面を先に進めつつ演奏していた。便利な世の中になったものである。少し瞑想するように時間を取ってから弾き出すが、内省的な演奏をする人で、ひたすら抒情的に弾き進める。20分程度の単一楽章形式の矢代の作品は、冒頭から基本となる音列をチェロに奏させつつ、管弦楽と交互にそれを展開させていくが、静かにチェロが歌う部分が多く、じっくりと聴かせる音楽になっている。1960年にN響が世界一周の演奏旅行をした時に、堤剛を独奏者としてこの矢代のチェロ協奏曲も取り上げていたようで、ポーランドで演奏した時の録音が残されている。シュテッケルのひたすら情緒的に嫋々と歌うチェロに対し、ヴィンツォーも慎重かつ丁寧にオーケストラに応えさせており、緊張感のある演奏に仕上がっていた。矢代には中村紘子が初演した、激しい打楽器的な独奏部分が魅力的なピアノ協奏曲もあるが(実演で聴いた小菅優の演奏が素晴らしかった)、全く違うタイプの音楽であり、歌い、瞑想する楽器、チェロの魅力をよく引き出した作品である。静かな部分が多いので、客席からのいびきや、物を落とす音などがよく響き、近くの席で睡魔に襲われたと思われる人の、チェロの音よりも大きい曖昧模糊とした寝言をずっと聞きながら矢代の音楽を十分に堪能できたかは微妙なところもあったが、実演で聴けたのは良かった。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲1番からサラバンドで、静かに丁寧に抒情的に演奏していた。シュテッケルは抒情派のチェリストなのだろう。

 

後半はブラームスの交響曲2番である。ヴィンツォーは、華やかによく歌うブラームスを目指していたようであり、1楽章などはオーケストラに細かく指示を出し、色彩感豊かな音色を作っていた。もっとも、テンポ早めにキビキビと音楽を進めていくものの、全体にアイディアが空回りしているところもあり、少しせわしない印象もあった。2楽章も丁寧に歌っていたが、3楽章辺りからは、徐々に読響のブラームス演奏の伝統が頭をもたげ、指揮者が「指揮している」というよりは、オーケストラの演奏に指揮者が合わせて「指揮させられている」印象に変化していった。4楽章など、かなりオーケストラ主導の演奏に思われた。熱心に精力的に指揮するヴィンツォーに対し、オーケストラはかなり献身的に応えていたようには思えたが、ブラームスの交響曲2番で読響をコントロールし切るには、まだ指揮者に剛腕さが足りなかったのではないだろうか。ただし、全体的に軽妙ですっきりとしてテンポの速めなブラームスを目指していたのはよく分かり、それなりに仕上がっていたので、悪い演奏ではなかったし、この指揮者がブラームスを振るなら2番しかないだろうなとも思ったところ。もっとも、弦も16型で臨んだ読響のパワーフルな音をコントロールし切れてはいなかったし、読響の熱の入った演奏がかえってヴィンツォーの目指すブラームス像から離れていったところもあったようにも感じられたところでもある。ヴィンツォーには、これから解釈を磨いていったもらいたいなと思ったところである。

 

いろいろと書いたが、ひたすら暑さが辛い7月に清涼な風を吹き込んでくれた演奏会ではあった。