常設のピアノ三重奏団としては大ベテランのトリオ・ヴァンダラーが紀尾井ホールのピアノ・トリオ・フェスティバル2024の一環として登場した。パリ音楽院の学生が集まって結成した団体であるがメンバー交代がないという。1988年のコンクールに優勝したというから、既に30年近いキャリアがあることになる。一度、実演に接して以来ファンになり、録音を買い漁ったりしたが、コロナ禍などもあり久しぶりの来日ではないだろうか。足を運んでみた。

 

6月28日(金)紀尾井ホール

ブラームス ピアノ三重奏曲1番(1854年初版)

シューベルト ピアノ三重奏曲2番

トリオ・ヴァンダラー

 

トリオ・ヴァンダラーはフランスの団体であるが、シューベルトを想起させる「ヴァンダラー」を団体名にしているように独墺系の作曲家も得意としている。今回は、ブラームスとシューベルトという独墺系の王道で勝負をかけてきた。しかも、ブラームスのピアノ三重奏曲1番については、後年に作曲家自身が改訂した版ではなく、若きブラームスが作曲したものそのままの初版を取り上げるという。なお、トリオ・ヴァンダラーは、ブラームスのピアノ三重奏曲全集を録音していて、それが大変な名演なのだが、そこでは改訂後のものを録音していたのだが、その後改めてこの初版も録音している。初版にこだわりがありそうだ。

 

舞台に登場したトリオ・ヴァンダラーは、ちらしの写真に比べるとかなり年輪を重ねた印象である(いつの写真を使っているのだか。)。頭髪がかなり白くなっていたし、ヴァイオリンは髭を蓄えてやや仙人風になっていた。プログラムによると、トリオのメンバーは、パリ音楽院で学び、1988年にコンクールで優勝した後に改めてアメリカで研鑽を積んでいて、ヴァイオリンのジャン=マルク・フィリップ=ヴァルジャベティアンはジュリアード音楽院で名伯楽ドロシー・ディレイに師事し、チェロのラファエル・ピドゥはインディアナ大学でシュタルケルに、ピアノのヴァンサン・コックも同じインディアナ大学でハンガリーの名ピアニストのシェベックに師事したという。シェベックは知名度はそこまでではなく、グリュミオーやシュタルケルの伴奏ピアニストとして知られているが、実は凄いピアニストであり、旧ERATOレーベルから出ていた録音集に入っていたリストなどは絶品である。3人とも凄いメンバーに師事している。

 

さて、この団体の特徴は、定位置に座ると、互いにほぼアイコンタクトをしないこと。特に合図を出さずとも自然に合ってしまう。長年の共演の積み重ねがなせる技なのかもしれないが、曲を隅々まで頭に入れているからかもしれない。その自然体での演奏が凄いのだが、長年共演しているからといって、お互いになれ合うということが一切ないのも凄い。結構、取っ組み合いのけんかのように丁々発止とやり取りをするのもこの団体の魅力である。さすがに年輪を重ねて少し丸くなってきた気はするが、各奏者が自身の個性を思い切り出し合っているのも特徴である。マイペースに朗々と歌うチェロに、普段は穏やかそうに弾いているのに急に馬力を出してくるピアノ、その間でバランスを取りつつ巧く音楽表現をリードするヴァイオリン、この絶妙のバランスがよい。

 

最初はブラームスのピアノ三重奏曲1番から。初版とはいえ最初の方は改訂版とそれほどは変わらない。楽譜を確認していないが、ヴァイオリンが聴き慣れない対抗旋律を弾いているのが目立つ程度であるので、改訂版に慣れていても、それほど違和感なく聴くことができる。印象的な旋律から始まるこの曲の最初の部分は、ブラームスの室内楽の中でも特に美しく、心を打つ部分であると思うが、トリオ・ヴァンダラーは比較的速めのテンポであっさりと進めていく。ヴァイオリンの対抗旋律まで入ってかなりごちゃごちゃするので、すっきりと進めたいのだろう。ここでは柔らかい音色ながらよく音が通る歌心に満ちたチェロに心が奪われる。非常にアンサンブルが練れていて、アイコンタクトなしでも完全に合ってしまう。ピアノ三重奏芸術の匠達である。

 

もっとも、この初版は1楽章の中間部から改訂版とはかなり変わってしまう。急にロマン派的というよりは、バロック的というべきか、ピアノ、ヴァイオリン、チェロがそれぞれ対位法的なフレーズを弾いたりする。結構急に作品の雰囲気が変わるのが面白いのだが、近くにいたうっとりとした表情で聴いていた客が慌てたようにプログラムを開いていたので、初版が演奏されるということをあまり意識せずに聴きに来ていたのだろう。ブラームスについては、ブルックナーと違って稿の問題などあまり頭に上らないであろう。トリオ・ヴァンダラーはこの初版を意識的に取り上げるだけあって、自然体で白熱して演奏する。後に改訂したくなったことがよく分かる長大な楽章なのだが、若いブラームスの意欲的な音楽がなかなか面白いし、トリオ・ヴァンダラーの演奏もいい。後年改訂しなければ、あれほどの名曲として認知されなかったかもしれないが、初版にも捨てがたい魅力があるので、素晴らしい演奏で、実演で聴けるのは大変に有難い。

 

2楽章はあまり改訂版とは大きな違いがない。このスケルツォ楽章は中間部に非常に美しい部分があるのだが、トリオ・ヴァンダラーの演奏は、一見すると醒めて演奏しているのだが、むしろそのさらりとした弾き方の中からじわりとブラームスの情念があぶり出されてくる。むしろ、こういう作品をこれでもかと感動させてやろうと弾いたり、弾き手が感動してしまったりしていると、かえって聴いている側が醒めてしまう。

 

3楽章は内省的で沈殿するようなブラームスのロマン性が濃厚に立ち込める楽章であるが、こういう楽章を、センス良く、ある意味お洒落に演奏できるのはフランス人の感性なのだろう。ねっとり弾くわけでもないのだが、妙に情感が込められた演奏に耽溺できる。ブラームスは若い頃から妙に老成した音楽を書いていたのだなあと改めて感じる。

 

4楽章も基本的には同じなのだが、途中でいろいろなパッセージが入って来て、妙に長大な楽章になっている。それをスケール感大きく演奏してくれる。三人とも徐々に音もよく鳴るようになり、かなり迫力が出て来ていた。いかにベテランとはいえ、やはり楽器が温まるのには少し時間がかかるのだろうが、最後は白熱したアンサンブルで激しく終わる。いや初版もこうして聴くととても素敵な音楽である。

 

後半はシューベルトのピアノ三重奏曲2番。あまりにも美しい2楽章が有名であるが、作曲家の早過ぎた晩年の作品で、亡くなる前の年に作曲されている。晩年のシューベルトの作品は、個々の曲に愛着があり過ぎるのか、妙に長大な作品が多い気がする。素晴らしい楽想を発展、展開させているうちに、いつそれを止めればいいのか分からなくなってしまうのではないだろうか。交響曲8番「グレート」、弦楽五重奏曲、ピアノ・ソナタ21番などでいつも感じるのだが、特に意図的に壮大に書こうという意欲は感じないものの、長大である。このピアノ三重奏曲2番にもその気配がある。4楽章などいつ終わるのだろうかと、何度もそろそろ終わりかなと思わされるが、なかなか終わらない(そこが魅力でもあるのだが。)。

 

シューベルトの作品になると、ピアノが音は多いのに、軽快さをもって演奏しなくてはならないし、音色も透明感がないと綺麗に響かないのだが(特に4楽章)、トリオ・ヴァンダラーのピアニストのコックは、そこまで重過ぎない打鍵と、精妙な音色コントロールで実に見事にシューベルトを演奏する。純粋にピアノ奏者として見れば、一流のコンサート・ピアニストに比べると、純然たるテクニックなどは傑出しているとは言い難いところもあり、チャイコフスキーやラフマニノフのトリオになるとテクニック的にギリギリな感じが出てしまうのだが、その分、猛烈に激しく弾いて音楽の迫力をかえって強めたり、とにかく音楽を表現する技術に大変に優れた奏者である。つまりピアニストとしては一流ではないかもしれないが、音楽家として一流なのだ。シューベルトについては、かなりこのピアノが音楽を大きく作り、それに弦楽器が気持ちよさそうに合わせつつ歌う。実に伸びやかな演奏である。

 

朗らかで躍動感ある1楽章も素晴らしいが、やはり白眉というべきは2楽章。速めのテンポでさらりと演奏を始めるが、その速めのテンポの中に、ねっとりとした情念が、さらりと埋め込まれており、有名な旋律を楽器を変えつつ演奏しているうちに、それが様々な方向から照らし出される。そして、三人の奏者の情感が実に自然に徐々に高まっていき、頂点に到達する時には実に熱い演奏になっている。それが、さらりと行われているのが凄い。やはりこの人たちは只者ではない。

 

3楽章は軽やかに駆け抜けて、長大な4楽章になるが、ここではピアニストの美しいタッチが際立っていた。正直にいうと、ピアニストは少し調子が悪そうで、ミスタッチも散見されていたが、この4楽章では立ち直っていて、物凄い精妙な打鍵コントロールで、クリスタルな粒立ちのよい音色で、宝石を転がすように鍵盤を縦横無尽に操っていた。ヴァイオリンもチェロもそれに完全に一体化している。一瞬たりとも目も耳も離せない、演奏者の集中力に客席も引き込まれる。密度と純度の高い、親密かつ白熱したアンサンブルである。

 

アンコールは、ヴァイオリン奏者がフランス訛りで「ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン、アレグレット」と叫び、ピアノ三重奏曲6番の2楽章が演奏された。最後まで独墺系の作曲家で固めてきたが、とても親密で素敵な演奏であった。

 

世の中は選挙シーズン、英仏も総選挙をするというし、アメリカの大統領選、自民党の総裁選についてのニュースも多いし、何よりもやたらと多数の立候補者が出た都知事選もあるが、いずれもどうもぱっとしない話である。都知事選にいたっては、積極的に選びたい人がいる雰囲気ではなく、何となく誰が他よりはましかといった感じで論じられている傾向すらある。そう、積極的に選びたくなる選択肢が示されていないのが、世の中の状況を混沌とさせている気がする。しかし、ピアノ三重奏団については安心である。トリオ・ヴァンダラー一択である(断言)。また来日して、もう一つの柱のフランス音楽なども聴かせてもらいたい。特に、最近録音したフランクやヴィエルヌの室内楽や、録音してから久しいショーソンなどを演奏してくれたら存外の喜びなのだが。