久しぶりにショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲8番を聴きたいなと思っていた折にチラシで発見したのがひばり弦楽四重奏団という団体。よく見るとメンバーは豪華でヴァイオリンが啓子と朝子の漆原姉妹でヴィオラが神奈川フィルの首席の大島亮で、N響の首席の辻本玲がチェロを務めるという。このメンバーでショスタコーヴィッチがいいのかは分からないが、弦楽四重奏曲8番を演奏するというので足を運んでみた。なお、共演に若手ピアニストの牛田智大が参加してのショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲も演奏されるという。

 

6月26日(水)浜離宮朝日ホール

グバイドゥリーナ シャコンヌ

ショスタコーヴィッチ 弦楽四重奏曲8番

ショスタコーヴィッチ ピアノ五重奏曲

牛田智大(Pf)

ひばり弦楽四重奏団(漆原啓子、漆原朝子[Vn]、大島亮[Va]、辻本玲[Vc])

 

最初に牛田のピアノ独奏でグバイドゥリーナの「シャコンヌ」が演奏された。グバイドゥリーナはソ連=ロシアの女性作曲家である。師事したわけではないが、ショスタコーヴィッチに擁護されたというし、クレーメルが好んで取り上げたこともあり西側でも知られるようになり、ドイツに移り住んだという。知らなかったが調べてみたらまだご存命のようで、1931年生まれというのでもう90歳を過ぎている。クレーメルの録音で有名なヴァイオリンと管弦楽のための「オッフェルトリウム」は少し前にN響でも取り上げられたし、演奏機会も少なくない。今回演奏されたシャコンヌは1963年に作曲された作品で10分強ほどの作品。シャコンヌという古風な形式を採用し、パッカサリア的な変奏曲的な構造となっているが、かなりアヴァンギャルドな作風になっている。牛田は力強い演奏をしており、冒頭の和音からかなり思い切って激しく音を出していた。複雑な楽曲ながら、しっかりと整理して弾こうとしており、そこまで分かりやすい音楽ではないものの、何か構造的に音楽が構築されている様子は聴き取れる。対位法的な部分などもかなり音が分離するように意識して弾いていたし、激しい打鍵でも音が濁らず、なかなかなタッチ・コントロールも冴えていた。牛田は、テレビ番組「題名のない音楽会」への出演で有名になったそうだが、これまで何となくテレビで有名になった天才少年という印象で、「天才少年少女」に常に懐疑的な視線を注いでしまうひねくれ者としてはあまり関心を持ってこなかったが、少なくともグバイドゥリーナを嬉々として弾いているのは評価したいところである。若さもあってか、勢いで弾き切ってしまったようなところや、荒っぽいところも散見されたが、かなり攻めた演奏になっていたので、そういう細かいところは気にならなかった。悪くない演奏であった。

 

続いて、ひばり弦楽四重奏団でショスタコーヴィッチとなる。ヴァイオリンがベテラン2人で、ヴィオラとチェロは比較的若手という不思議なバランスの団体ではある。漆原啓子は、ハレー・ストリング・カルテットという団体で30年以上活動したらしいので、弦楽四重奏には慣れているのだろう。国立音大の客員教授や桐朋学園大学の特任教授を務めているというので、後進にも熱心なのかもしれない。セカンド・ヴァイオリンの漆原朝子も東京藝大の教授や大阪音大の特任教授を務めるというので、やはり後進にも熱心なのかもしれない。姉妹共に高名なようだが、実演に接するのはほぼ初めて。「ほぼ」というのは、子供の頃にどちらかのリサイタルに連れて行ってもらったことがあった記憶があるためである。ただ、10歳にもならない頃で、どちらかも覚えていない。ただし、「漆原」という名字が読めるようになったのは、その時の経験のためであったので妙に記憶に残っている。

 

演奏はというと、さすがに名手が集まっているし、室内楽経験豊かなヴァイオリンと、オーケストラでも常日頃からアンサンブルをしている低弦である、合奏の水準は高く、息もぴったりである。特に、ファースト・ヴァイオリンの漆原啓子は、ちょっとしたフレーズなども実に鮮やかに、見事なアーティキュレーションで演奏する。とても優雅で上質な演奏である。セカンド・ヴァイオリンの漆原朝子も歌い回しが上品で気品がある。やや我が道を行く感じのヴィオラに、朗々と歌いつつ、音楽をしっかりと支える辻本のチェロが組み合わさり、非常に水準の高い弦楽四重奏団である。

 

とはいえ、取り上げた曲がショスタコーヴィッチの自伝的要素の強いと言われている弦楽四重奏曲8番である。いわゆるDSCH音型が執拗に用いられ、自作の引用が多く、重苦しい、鬱屈したような音楽であるが、このひばり弦楽四重奏団の演奏は、一言でいえば、上手に過ぎる。鮮やかに、爽やかに、見事に弾かれ過ぎているというべきか。ショスタコーヴィッチの音楽はもっとじたばたしてもらいたい。必死で弾くことで迫力が出るように無理に難しく書かれたりしているのであるから、もっとゴリゴリと無駄に力を入れて、重ったるく弾いてもらいたいのだが、もちろん、真剣に力強く演奏しているのだが、何か鮮やかに決まり過ぎて、そこが演奏にある種の軽みを与えている。これが確信犯的な軽みなら、解釈の面白さにつながるのであろうが、演奏者は、重く弾こうといていたと思うので、そこは少し団体の演奏スタイルと曲の方向性にずれがあったのかもしれない。全体的に漂う、明るさ、上品さ、華やかさが、特にこの8番については曲に合っていないということなのだろう。3番とかの方が良かったかもしれない。

 

とはいえ、やはり名手達の熱演である。ちょっとした違和感は感じつつも、作品世界に引き込まれるところは大きく、集中度、緊張感の強い演奏であったので、こちらも集中して聴いていたし、精度の高い演奏であったことも間違いない。実演としては、高いレベルに達していたと思う。ただ、散々聴いてきた、ボロディン四重奏団の演奏(作曲家の前で演奏したら、演奏が終わった時に作曲家が泣いていたという逸話がある。)や、ボロディン四重奏団のファースト・ヴァイオリンだったコペルマンが組織したコペルマン四重奏団の演奏で聴き慣れてしまっているので、何か違和感があったのだろう。幾ら耳学問で理解したつもりになっても、旧ソ連の壮絶な監視社会の実情が分からないのと同様に(むしろ、まさに現在進行形のウクライナの戦場の実態ですら我々はよく理解していない。)、現代の日本に生きる我々になかなかこの弦楽四重奏曲8番の世界観を内在的に理解することは難しいのかもしれない。ただし、以前に聴いたモルゴーア四重奏団は、より深い共感をもって演奏していたように感じられたが。

 

休憩を挟んでピアノ五重奏曲となる。第1楽章の冒頭からなかなか気合の入った牛田のピアノが力強く和音を鳴らし、いい雰囲気で始まった。これはなかなかと思ったが、弦楽器が入って来て以降にピアノが絡むところが、少し音量のバランスを取ろうとして遠慮したり、ショスタコーヴィッチの音楽を牛田が咀嚼し切れていないのかなと感じられるところもあった。その結果、ここぞというところにピアノが鳴らしてくれなかったり、少しピアノが遅れ気味になったしていた。もっと自信を持って思い切り鳴らし続けても、弦楽器は音量も大きい名手達なので大丈夫だったのではないかと思ったので残念であった。

 

他方、弦楽器陣も、1楽章はなかなか力強いアンサンブルと見事なハーモニーで良かったが、2楽章の長大なフーガになると、淡々とした演奏に過ぎる感じになってしまった。このフーガはなかなか劇的で、もう少し起伏があった方がいいのだが。美しく演奏されているが、表面的に整え、磨き上げることで満足してしまったところがあったのかもしれない。

 

3楽章は牛田のピアノも丁度いいかと思ったが、かなり快速テンポで演奏した結果、ピアノが弦楽器のテンションに付いていけず、和音の連打など少し遅れ気味になってしまったり、タッチのコントロールが追い付かなくなったのか、音が濁ってしまったところなどが少し目立ってしまっていた。もう少しピアノの精度が高ければと思ってしまった。

 

4楽章は熱く歌う弦主体の音楽作りが功を奏しなかなか聴かせる演奏になっていた。ヴァイオリンの、折に触れて漏れ出す華やかさが、曲の重苦しさとずれる瞬間もあったが、そこは嫋々と、朗々と歌うチェロと、折に触れて曲の雰囲気を重苦しく引っ張り戻すヴィオラの演奏が曲の基調を作っていたので、全体的なフォルムがきちんと作り上げられていて、なかなか熱っぽい演奏になり、結果、かなりの名演になっていたと思われる。ピアノの粗さもこの楽章は気にならない。

 

そして、最後の5楽章は急に牧歌的に、明るくなるが、この楽章については、ピアノの牛田のタッチのコントロールが今一歩なところがあり、最初の方で出てくる印象的なメロディを音色で聴かせるには至っていなかったし、少々、5楽章の音楽について共感しきれていなかったのではないかという印象を受けた。弦楽器は楽しそうに軽やかかつヴィヴィッドに演奏していたので、共感していたのだろう。なかなか芸歴が違うメンバーが集まっていたせいか、ショスタコーヴィッチに対する音楽観のようなものが十分に共有されないままに、全員が弾けてしまうので、本番まで来てしまったようなところが感じられた。巧いが少しバラバラというところか。まあやむを得ない部分もあろう。

 

凄くいい部分がありつつも、少し気になるところも多いという評価しにくい演奏であった。やはりショスタコーヴィッチの音楽世界を十全に表現するのは難しいのだろう。アンコールは3楽章を再演するのかと思っていたら、5人で違う作品を演奏し出した。聴きやすい旋律が登場する愛らしい作品で、シューマンのような、でも違うし、などと悩んでいたら、途中で、妙にボロディンを彷彿とさせるメロディが登場したので、もしかしてと思っていたら、やはりボロディンのピアノ五重奏曲の2楽章とのことであった。答え合わせを見てから、自分が分かっていたと言い張るのはみっともないのだが、今回は完全ブラインドテストながら珍しく作曲家を当てられたので、最後にちょっとテンションが上がった。

 

ひばり弦楽四重奏団は、ベートーヴェンに取り組んでいて、近くにベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の録音をリリースする予定とのことである。ベートーヴェンが一段落したので、ショスタコーヴィッチに取り掛かるつもりなのか、あるいはボロディンをアンコールで弾いたようにロシアの弦楽四重奏作品に取り組むつもりなのか、まだ方向性はよく分からないが、曲によってはかなりいい演奏をしてくれそうな団体である。しばらく、その動向を見ておきたい。