英国を代表するオペラ・ハウスがロイヤル・オペラだとすると、米国を代表するオペラ・ハウスはメトロポリタン歌劇場(MET)であろう。そのMETのオーケストラがロイヤル・オペラと同じ日に東京で演奏会を開いていたというのも面白い。英米を代表するオペラ・ハウスを一日で聴くことが出来るとは。しかも、演奏会形式で大好きなバルトークの歌劇「青ひげ公の城」を演奏するという。午後にロイヤル・オペラの「リゴレット」を観た勢いで、夜にMETオーケストラの演奏会に足を運んでみた。

 

6月25日(火)サントリーホール

ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」組曲(ラインスドルフ編)

バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)

エリーナ・ガランチャ(Mez)、クリスチャン・ヴァン・ホーン(Bar)

ヤニック・ネゼ=セガン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

 

セガンは2018年からメトロポリタン歌劇場の音楽監督を務めている。カナダ出身のセガンは、メトロポリタン歌劇場とフィラデルフィア管という北米東海岸の劇場と管弦楽団の名門の二つに音楽監督として君臨しており、さらに欧州ではロッテルダム・フィルのポストも持っていた(現在は名誉指揮者)。そして、モントリオール・メトロポリタン管の芸術監督兼首席指揮者も務めているという。そのモントリオール・メトロポリタン管とは、ブルックナーの交響曲全集を録音しており、なかなか水準の高い全集なのだが、最近は同オーケストラとシベリウスの交響曲の録音を進めている。フィラデルフィア管ともラフマニノフの交響曲などを録音しており、他にも、ヨーロッパ室内管とベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどの交響曲やモーツァルトのオペラなどを録音している。要するに売れっ子指揮者であるが、安易に名門オーケストラとの仕事を優先するのではなく、出身地のカナダのモントリオール・メトロポリタン管も大事にしているところは感じがいい。

 

そのセガンとメトロポリタン歌劇場というと、2010年のビゼーの「カルメン」の映像が素晴らしく印象的である。今回共に来日したガランチャがカルメンを歌っているのだが、それが歌唱も演技も素晴らしいのである。きりりとした、ややきつめの、というよりもややきつ過ぎる美貌が印象的なガランチャが、奔放で自由で、コケティッシュで、そして自由なカルメンを変幻自在に歌っている。知り合いに観せたらガランチャの色気にメロメロになってしまったが、やはりカルメンには香り立つオーラが欲しい。そして、そのガランチャのたくましいカルメンを、実に活き活きとしたオーケストラさばきで万全にサポートしていたのがセガンである。そんなセガンとガランチャがバルトークで共演するというのであるから聴かない手はない。

 

さて、最初はワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲から。正直にいえば、レヴァイン時代のMETのオペラの映像はかなり観たが、オーケストラのレベルはお世辞にも高いとはいえないように感じていた。どうもその印象が強かったせいか、METのオーケストラのレベルはそれほど高いとは思っていなかったのだが、どうもそれは誤解であったようである。冒頭から速めのテンポで、力強いが引き締まったアンサンブルでオーケストラが走り出す。煽るようなセガンのテンションの高い指揮に鼓舞され、猛烈な推進力で音楽を進めていく。アメリカの団体らしく音色に特徴があるわけではないが、セガンが音楽をすっきりと整理しており、キビキビとしているし、やはり金管の鳴りっぷりが素晴らしい。歌うところもなかなか優雅に歌う。ワーグナーの序曲の中でも次から次へのいろいろなパッセージが登場し、勢いだけでもかなり押し切れる「オランダ人」序曲という選曲も良かったように思うが、いきなりの、テンションの高い凄演に圧倒された。METオーケストラ、やれば出来るではないか、というよりも、セガンの指揮が素晴らしいのだろう(あるいはレヴァインの指揮が今一つだったのだろうか。)。

 

続いてドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」から指揮者のラインスドルフが編んだという組曲である。第1幕「森」、第2幕第1場「庭園の泉」、第3幕第2番「城の地下窟」、第4幕第2番「城の一室」、第5幕「城の寝室」とオペラの5つの場面を選んでオーケストラのみで演奏するように編曲したものであり、いかにも職人指揮者ラインスドルフの手によるものらしく、30分程度でオペラを概観できるようになかなか巧みに組み立てられている。セガンはワーグナーとはうって変わって、しっとりとした音色で緻密な音楽作りを見せる。ワーグナーで、オーケストラを鳴らせることを誇示し、フランス音楽で精妙なオーケストラ・コントロールを出来るところを見せる。まさに硬軟併せ持つところを、歌劇場のオーケストラらしく、歌劇に由来する曲で示す。なかなか気の利いたプログラムの組み方である。正直にいうと、フランス語と一体化した語るような歌唱が魅力の「ペレアスとメリザンド」のオーケストラ部分のみをずっと聴いているのが、それほど面白いものだとは思わないのだが、オーケストラのみでこのオペラを描きたいという欲求は、恐らく歌手の個性やコンディションに左右されないで、ドビュッシーが精妙に組み立てたこのメロドラマの音楽を、万全の状態で再現したいという指揮者の魂を揺さぶるのだろう(ノットも自ら管弦楽用の組曲を編んでいる。)。セガンが、たゆたうようなドビュッシーの音楽を、デリケートにMETオーケストラに語らせたのは、なかなか聴き応えはあった。ただし、音色がニュートラルで、透明感はあるものの、ドビュッシーの音楽に欲しくなる、音色自体から立ち上る薫りのようなものがMETオーケストラにはないので、選曲としてはどうだったのかという気もする。少しまったりとした気分に浸りながら、ゆったりと音楽を楽しんでいたが、時折睡魔に襲われそうになり、あわてて姿勢を直していた。

 

後半はバルトークの「青ひげ公の城」である。約60分という演奏時間、歌手が2人という編成、歌詞だけでほぼ全てが語り尽くされている台本、細部まで詳細に描写されている密度の濃い管弦楽部分となると、無理に舞台を付けなくても演奏会形式で十分な作品である。むしろ、舞台など付けない方が、ストーリーも音楽も集中して楽しめるものである。実際、演奏会形式で演奏されることも多い。バルトークの傑作の一つである。

 

最初に語りが入るが、今回の演奏ではそこは録音で賄われたようである。語りの途中からオーケストラが弾き始めるが、METのあまり色のないオーケストラが、バルトークの過剰なほど細かく描き込まれたスコアを、実にクリアに、緻密に再現する。セガンも、複雑なスコアを要領よく整理し、まるで目の前にスコアが流れているように感じるほど。そして、しばらくすると歌手二人が入場してくる。バス・バリトンのホーンは初めて接した歌手であるが、鋭さよりも柔らかさのある歌い口、美しい声質で声量があり、オーケストラの中から湧き上がるように声が聴こえてくる。さすがはMETが選んだ歌手だと感心していたが、ガランチャが口を開くと全く雰囲気が変わる。ガランチャは、柔らかさよりも鋭さをたたえた歌い方で、最初から青ひげを尻に敷いたようであるが、青ひげに嫁ぎ、青ひげのことを知りたがり、城の扉を次々と開かせていくというユディット役にこれほど相応しい歌手もいないかもしれない。時には鋭く命令するように歌い、急に甘えたような、柔らかい、かすれる寸前のような猫なで声を出す、その硬軟を使い分けた声の演技力が凄い。しかも、決して特徴のある声質ではないものの、オーケストラの音量に関わらず、いつでもその声が聴き取れる。歌手は二人とも楽譜は前に置いていたが、ほぼ暗譜で歌っており、指揮台を挟んで左右に立った二人とも相手に語り掛けるところは、横の相方の方に体を傾けて歌うので、まるで対話をしているよう。ガランチャは、時に、すねたように青ひげと逆の方を向いたりもする。演奏会形式とはいえ、細かく演技が付いている。そして、歌っていないところでも、場面によっては指揮台を挟んで見つめ合う。真ん中で大きな身振りで指揮しているセガンの存在など全く目に入っていないような二人だけの緊密な世界がそこに生み出されている。もう二人の歌手、というよりも、特にガランチャに視線が釘付けになってしまう。

 

バルトークの「青ひげ公の城」では、4人目の妻として嫁いできたユディットが、青ひげの城の7つの扉を次々と開けていく。扉の中には、拷問部屋、武器庫、宝物庫、庭園、領土、涙の湖、そして7つ目の扉の中に3人の妻達、という象徴的なものがある。権威、武力、財力、美力、支配力といった青ひげの外面的な力を最初の5つの扉で示すが、新しく妻となったユディットはそれで満足せず、青ひげの内面にも踏み込もうとする。そうすると、そのような各種の権力で覆われた青ひげの人間的な部分が露わにされ、満たされない心が涙の湖として現れ、最後に、朝と昼と夕方に出会ったという3人の前の妻が登場し、最後に夜に出会ったというユディットも青ひげの4番目の妻として取り込まれてしまう。理解できるような、よく分からないような台本であるが(外面的な権力では人間は計り知れないという寓意とも、あまり他人の内面に踏み込むなとも警句とも、多様な解釈が可能だろう。)、扉という形でひたすら青ひげの人間性が露わにされていく心理劇という話の性質上、舞台演出は別になくてもよく、むしろ歌手の表現力と洞察力が問われる。

 

これまで録音でも色々と聴いてきたが、今回のガランチャの歌唱は間違いなく最高のユディットだと思う。(実際は知らないが)かなりキツイ性格であろうと思わせるキリリとした容姿と、S性すら感じさせる鋭い歌い方ながら、時には甘えたような演技もできるしたたかさも表現できてしまう、そんなガランチャの資質にも合っているのだろう。押され気味ながら美しく歌う、茫洋としたホーンの歌も青ひげという人物には合っているようだ。そんな二人が密度の濃いバルトークの音楽の奔流の中で、青ひげとユディットに成り切って歌っているのである。これはもう圧巻である。

 

もちろん、そんな歌唱を前にセガンとMETオーケストラも大発奮している。バルトークの緻密なスコアを精密に描き出す。途中でトランペット4人がバンダとして2階席の客席から見て左前方で吹いたりしていたが、やはり圧巻なのは、オルガン(ホールのパイプオルガンではなかったが)まで動員する5つ目の扉の「領土」(英語だとキングダム)では、2階席の右前方にさらにトロンボーン4人が動員され、大音響を生み出す。物凄い迫力になるが、その冒頭でもガランチャの叫ぶような声はきちんと響き渡る。オーケストラも最後まで緊張感のある、密度の濃い演奏を繰り広げていて素晴らしい。

 

最後に青ひげの長めのモノローグがあり、ユディットは黙ってしまうが、ホーンが歌っている間も、身じろぎもしないガランチャは立っているだけでも演技をしている。やはり一流のオペラ歌手の表現力は凄いものがある。

 

最後は静かに終わるが、客席も圧倒されたのか、指揮者が緊張感を解くまで拍手は我慢していた。当然のように割れんばかりの拍手となる。何度も呼び戻される演奏者達であるが、セガンは、オーケストラも後ろにも向かせて、後方席の客にもお辞儀をさせる。中々サービス精神旺盛である。あまりにも拍手が鳴りやまないので、拍手を抑えるような指揮するような仕草をしたら拍手が鳴り止んだ。セガンは少し面白がり、もう一度拍手しろといった仕草をして、また拍手を抑えてみたりと、拍手を指揮してみる。少し客席と遊んだところで、急に話始める。簡単な謝辞を述べた上で、大要、「申し訳ないが、この作品の後に用意したアンコールはない、明日に同じホールで、巨大な曲(マーラーの交響曲5番)を演奏するのでそれを(アンコール代わりに)聴きに来てくれ」と述べて退場した。セガンもなかなかの役者である。

 

同じ日にロイヤル・オペラの「リゴレット」とMETの「青ひげ公の城」と連続して観るという実に贅沢な一日であったが、最後はガランチャのユディットに圧倒されて帰路についた。興奮冷めやらず、他方、翌日に現実に戻って仕事に行くのがこれほど嫌だと思った日もなかった(別の理由で行きたくないと思う日はあるけれど。)。