紀尾井ホール室内管は四ツ谷にある紀尾井ホールを本拠とする室内管弦楽団で室内管ながら腕利きを集めた凄腕集団である。紀尾井ホールは新日鉄の創立20周年を記念して作られたホールとのことで、その流れで現在も日本製鉄系の財団が運営しているという。財政基盤がしっかりしているためか、紀尾井ホール室内管も優秀な奏者を集めて年に数回の演奏会を開いているが、首席指揮者にライナー・ホーネックを迎えたり、今回指揮したピノックを第三代首席指揮者に迎えたりと割と大物を引っ張ってくる。割と選曲も攻めている。昨年素晴らしいメンデルスゾーンの「賛歌」を披露してくれたピノックが登場するというので、比較的オーソドックスなプログラムながら足を運んでみた。

 

6月21日(金)紀尾井ホール

ウェーバー 歌劇「オイリアンテ」序曲

ドヴォルジャーク ヴァイオリン協奏曲(独奏:クリスティーン・バラナス)

シューマン 交響曲1番「春」

トレヴァー・ピノック/紀尾井ホール室内管

 

最初はウェーバーの序曲である。ピノックは1946年生まれというからもう80歳近いが足取りも軽やかに出てくる。割と小柄であるが、結構、激しく腕を振り回し熱い指揮をする。ウェーバーの序曲は、物凄いテンションと速いテンポで開始され、最初の弦楽器の速いパッセージがほとんど金管にかき消されてしまっているほど。人数が多くない弦楽器の機動性を最大限生かした快速テンポに、一切遠慮なく吹かせる管楽器が前面に出てくる。どちらかというと室内楽に相応しい紀尾井ホールはそこまで大きくはないので、室内管でもその音圧がビンビンと響いてい來る。この序曲を聴いていると、(少なくとも初期までの)ワーグナーがいかにウェーバーに影響を受けているか分かる。腕利きの各奏者がしっかりと演奏しているので、燃焼度が高く、音の密度も濃いが、ピノックが絶妙にバランスを取っているので、音楽が重くならない。その凝集しているのに軽快な歩みで進む、エッジの利いた尖った音楽に、最初の序曲から圧倒される。やはりピノックは凄い指揮者である。

 

続いてドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲になる。独奏者は1990年ラトヴィア生まれというクリスティーネ・バラナスという若手。2度目の来日らしいが今回が公式デビューになるという。ピノックとは昨年11月にベートーヴェンの協奏曲で共演したことがあるというし、今年2月にはプレトニョフが作曲したというヴァイオリン協奏曲を作曲者プレトニョフの指揮で初演したのだとか。今売出中の若手ということなのだろう。白で統一され動きやすいようにだろうか下もズボンというすっきりとした衣装で登場したバラナスは割と長身で、とても元気そうである。舞台裏でも調弦をしていたような音がしていたが、舞台に出て来ても、コンサートミストレスの玉井菜採からAの音をもらって改めて入念に調弦を行う。やや長めの髪を邪魔にならないように入念に肩の後ろに配置してからヴァイオリンを構える。

 

ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲は激しい管弦楽のパッセージから独奏ヴァイオリンがいきなり和音で入り、最高音までアルペジオ風のパッセージで上がっていく。バラナスは最初の上り詰めた高音こそ少し音程が決まらなかったが、すっきりとした透明感のある音色で、テクニックも安定感がある。ドヴォルジャークであるが、ピノックの指揮するオーケストラはあまり民俗的な香りは出さず、精度は高く、すっきりとした音楽作り。それに、バラナスの、やはりすっきりとした独奏が乗る。このバラナスという奏者は、粘ったり過度の表情を付けることのない、さっぱりとした演奏をする人である。決して淡泊に弾いているわけではないが、センスよく清潔感がある。割とあっけらかんとしていて、健康的で自然体の解釈による演奏である。ドヴォルジャークとしては、もう少し土俗的な要素が欲しくなるので、ちょっとさっぱりし過ぎな気もするが、これはこれで楽しく聴ける。この癖の無さが存外ピノックに気に入られているのかもしれない。

 

そういう芸風なので、さっぱり、すっきりとした1楽章は、紀尾井ホール室内管がきっちりと盛り立てるので、割と爽やかに聴くことができたが、清潔感のある歌い回しが美しいものの2楽章はやや単調になってしまっていた。2楽章が終わってすぐに3楽章に入るかと思いきや、少し間を取ってから始まった3楽章も、民俗的な旋律を舞曲風ではなく、妙に颯爽と演奏されていて、それはそれで新鮮である。とにかく、全体的に健康的で爽やかさが印象的なヴァイオリン奏者であった。ロンドンとベルリンで学んだようであるので北欧的なセンスの良さといっていいのかは分からないが、清新な芸風である。無邪気そうな表情と相まって何となくほんわかした空気感を作り出せる奏者である。「アリガトウゴザイマス」となぜか日本語で言ってから「バッハ、アレグロ」と叫んでアンコールに無伴奏ヴァイオリン・ソナタ3番の4楽章を演奏したが、これが実に爽やかながらなかなか鮮明で、駆け抜ける清新な風のような演奏で素敵であった。ドヴォルジャークよりもバッハの方が合っているかもしれない。

 

後半はシューマンの交響曲である。冒頭のファンファーレこそゆったり目のテンポで開始したものの、主部に入ると猛烈にテンポを上げて切れ味鋭く音楽を進める。ただし、粗さはなく、各奏者がしっかりと音を出していて、その機動力のあるアンサンブルから活き活きした音楽が立ち上る。ほぼ限界に近い速いテンポを採用しているものの、さすがは腕利き集団、一糸乱れずにエッジが利いた鋭い表現でキビキビと演奏する。ピリオド派によるシューマンというと、ガーディナー指揮する全集が高い完成度を誇っていたが、そのガーディナーの演奏を少し思い起こさせる(ただし、ガーディナーの方があっさり目であるが。)。もっとも、ゆったりとしたところの弦楽器などはバロック音楽のような透明感のある実に美しいハーモニーを作り出す。全体的にごつごつした、尖った、激しいシューマンに仕上げられていた。聴いていてとにかくワクワクしかしない。こういう、全くルーティンになっていない、まさに音楽が今この瞬間に生み出されているような刺激的な音楽体験は滅多にできない。終始一貫して速めのテンポでグイグイと進めていたが、4楽章の最後の畳みかけるようなアッチェルランドまで強烈な演奏であった。

 

終演後に満足そうな表情のピノックを見ると、ピノックもやりたい音楽が出来ていたのだろう。バロック音楽のイメージの強いピノックであるが、前期ロマン派の音楽にも高い適性を持っているようである。ピノックは紀尾井ホール室内管の首席指揮者の任期を延長するというが、このコンビは聴き逃せない。いや、今、東京で聴くべき組み合わせはピノックと紀尾井ホール室内管かもしれないとすら思う凄い演奏であった。ピノックももう若くはないが、見たところ元気そうに見える。また元気に来日していただきたい。