最近躍進中の葵トリオがフランスのピアノ三重奏曲の粋を集めたようなプログラムを披露した。葵トリオにはあまりフランスものの印象はなかったが、大好きなショーソンのピアノ三重奏曲が演奏されるというプログラムの良さもあり、足を運んでみた。

 

5月26日(日)神奈川県立音楽堂

フォーレ ピアノ三重奏曲

ショーソン ピアノ三重奏曲

ラヴェル ピアノ三重奏曲

葵トリオ(Pf:秋元孝介、Vn:小川響子、Vc:伊東裕)

 

日曜の午後に桜木町近くの神奈川県立音楽堂で開催された演奏会。横浜と言われると何となくお洒落なイメージを持ってしまうが、みなとみらい地域を目指しているらしき人で賑わう桜木町駅を降り、かなり急な坂を登って行くと見えてくるホールはコルビュジエに師事した建築家の前川國男の設計によるもので、古いが風情のあるホールである。

 

室内楽が盛んなフランスのピアノ三重奏曲といっても、有名曲となると意外に少なく、今回演奏されたフォーレ、ショーソン、ラヴェルは代表的な作品であるが、これ以外となると、ドビュッシーの若書きの作品がある他は、録音でサン・サーンスの2曲が時折出てくるのと、あとはフランクの若き頃の作品が最近録音が増えているくらい。そういう意味では王道のフランス・ピアノ三重奏・プログラムといっていいだろう。

 

最近は、チェロの伊東が都響の首席奏者となっており、ヴァイオリンの小川も名古屋フィルのコンサートマスターに就任し、ピアノの秋元もリサイタルを開くなど、それぞれ個人としての活動も活発になっている葵トリオであるが、やはり原点というべき三重奏での活動も大事にしてもらいたいところである。

 

さて、今回取り上げられた作品であるが、最初に演奏されたフォーレのピアノ三重奏曲は作曲家晩年の作品で、美しい局面が多々あるものの、なかなかきちんと音楽を組み立てるのが難しそうな渋い曲である。他方、ショーソンは作曲家の若い頃の情熱的な作品であり、ラヴェルの作品は中期の作品で充実した書法で精緻に書かれている。行く前は、まだ若手といっていいだろう葵トリオなので、フォーレは少し早いかなと想像し、ショーソンに若い情熱を注ぎ込んでくれることを期待しつつ、ラヴェルは技術的に大丈夫かなといった想像をしていた。

 

それほど大きくない会場はほぼ満席で葵トリオの人気の程が伺われる。最初はフォーレであるが、冒頭のピアノの導入部からチェロが入ってくると、そのチェロの歌い方の堂々たるところに感銘を受けた。全体的にチェロの伊東は豊かな歌心で朗々と弾いていて良かったと思う。他方、ピアノの秋元は、音色を美しく響かせようとしていて、特に高音はクリスタルのような音も駆使していたが、全体的に控え目で少々伴奏的な弾き方になっていた。確かに、ピアノがそれほど前に出ていく曲でもないが、少し控え目過ぎる感じがあり、もっと出た方がいいのにと思われるところもあまり突出してこない。根が謙虚な性格なのだろうか。ヴァイオリンも、美しく歌おうとしているが、以前聴いた時にはかなり刺激的に、攻めた音楽を作ろうとしていた小川にしては、良くいえば素直、悪く言えば単調な歌い回しになっている。アンサンブルもきちんと噛合っていたし、特に悪いところもないのだが、どうも音楽に生命力が感じられない。ただ、譜面を正確に弾いているという以上の印象が出て来ない。特に、2楽章など、弦楽器がユニゾンで朗々と歌うところが印象的で、ここがはまると凄い効果が出るのだが、あまり互いに感じて弾いている感じでもなく、2楽章もさっぱり終わってしまった。やはり、フォーレの三重奏曲はまだ早かったのではないだろうかという見立ては当たっていたようである。サン・サーンスのピアノ三重奏曲2番辺りにしておけばよかったのではないだろうか。もう少し曲を咀嚼して、曲への共感力が高まってから再度チャレンジしてもらいたい。

 

続いて一番期待していたショーソンのピアノ三重奏曲となる。「詩曲」が有名なショーソンであるが、室内楽的作品では、「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール」が有名で録音も多く、時折演奏会でも取り上げられている。それに比べると、その他の室内楽はまだまだ知られていないところがあり、不幸な自転車事故で作曲家が早逝した時に残された未完成の弦楽四重奏曲(ダンディが補筆)に加えて、ピアノ四重奏曲とピアノ三重奏曲があるが、いずれもなかなかな名曲ながら、演奏機会は少なく、録音にも恵まれていないところがある。その中ではピアノ三重奏曲は録音がそれなりにあり、ペネティエ・パスキエ・ピドゥーによる古典的名盤(HMF)や、ボザール・トリオ(Ph)、トリオ・ヴァンダラー(HMF)といった強剛がひしめく。華やかで技巧的なピアノ・パートに乗って、ショーソンらしい抒情的で美しい旋律を弦楽器が奏でるところが、何とも美しく、また、格好いい曲である。師匠であるフランクの影響を受けて、主な旋律が随所で回帰する循環書法を使っており、曲に統一感を出している。こういう曲であれば、葵トリオの鮮やかな演奏が期待できるのではないか。

 

残念ながら葵トリオの演奏はそれほど曲に合っていなかった。この作品は、静かな序奏と、主部に入るとかなり激しい音楽になるが、ピアノがかなりピアニスティックに激しく弾かないと様にならない。ピアノがガンガンと激しく鳴らすところに、抒情的ともいえる旋律を奏でる弦楽器が絡むことで、音楽に熱量が蓄積されていく。しかし、秋元のピアノは伴奏風で、鐘を転がすような可憐な響きを使って、かなり上品かつ控え目にピアノ・パートを弾いてしまっていて、全く迫力が出ない。弦楽器も、それに合わせて上品に歌ってしまい、音楽の熱量がさっぱり上がらない。ショーソンの独特の情念うずまくようなロマンティシズムが全く立ち現れない。いつもドキドキ、ワクワクしながら聴く、うねるような1楽章がこれほど冷静な、起伏が乏しく、平板に演奏されるとは思わなかった。軽やかな2楽章も躍動感に乏しく、丁寧に音をなぞっている感じで、抒情的な3楽章もやはり平板。再び情念の炎が燃え上がる4楽章もかなり型通りの演奏で、炎が燃え上がる前に消火剤がまかれてしまったような、火が起きそうで起きないようなフラストレーションの溜まる演奏になっていた。もしかしたら、ショーソンのロマンティシズムを脱構築して、ひんやりとしたショーソンを目指したとでもいうのか。いやどうも、この曲についての曲に対する咀嚼と共感度が低かったのではないだろうか。特に、ピアノが曲に共鳴していなかったように思われた。期待をしていただけに残念である。

 

休憩を挟んでラヴェルのピアノ三重奏曲となる。このラヴェルはなかなかの熱演であった。曲が奏者三人にとっても理解できるものであるということもあるのだろうか。ピアノも3曲の中では唯一、主体的に思い切った表現で弾いており、それが全体のバランスの良さにつながっていた。ただ、派手にペダルを使って和音を響かせているピアノが、少々、タッチが粗くなっており、ペダルも多用し過ぎて、ミスタッチもあり、かなり音が濁ってしまっていた。音楽の流れの掴み方は良かっただけに、その音のコントロールの緩みは残念であった。弦楽器も、フラジオレットを多用するなど、技術的に難しいところで、必ずしも万全ではなく、細部はかなり粗い演奏になっていた。ただし、細部は一番瑕が多かったが、音楽的には最も雰囲気が出ていたのがこのラヴェルであった。技巧的にはかなりの難曲であるし、果敢に正面から取り組んだチャレンジ精神には敬意を表したいが、もう少し細部を丁寧に仕上げてもらいたかった。

 

ということで、少々、消化不良感が残る演奏会になってしまった。プログラム終了後に、マイクを持ってチェロの伊東が少し話をする。フランスのピアノ三重奏曲は演奏しないわけではないけれど、珍しくまとめて取り上げてみたこと、ピアノ三重奏曲の全曲録音プロジェクトの第一弾であるベートーヴェンのCDが発売になったこと、6月にサントリーホールでやるコンサートは完売だけれど、秋に紀尾井ホールでも演奏会があるので、よければ来てもらいたいことなどを飄々と語っていた。アンコールは、ドビュッシーの若書きのピアノ三重奏曲から2楽章。可愛らしいメロディが印象的な曲で、ピアノの弾き方が曲調に丁度合致していて、楽しそうで溌溂とした弦楽器の演奏も相まって、この日の演奏の中では最も葵トリオらしい活気のある演奏で楽しめた。ドビュッシーを全曲やれば良かったのではないだろうか。

 

率直にいって、難渋なフォーレを上手に組み立てて聴かせ切る馬力も、ショーソンの激しい音楽を燃え上がらせるピアノの大見栄にも、ラヴェルを精緻かつ怜悧に弾き切る技術的な完成度にも、どれも少し足りなかったということなのだろう。アンコールのドビュッシーのみ丁度身の丈に合っていたように感じられた。これは選曲が芸風に合わなかったということなのか、メンバーが独自の活動で忙しくなって曲を練り上げるのに充てられる時間が減ったということなのか、また、オーケストラでの活動が増えた弦楽器が、調和的になりおとなしくなってしまったということなのか、よく分からないが、ちょっと葵トリオが心配になってしまった。意欲的なプログラムを組んでいただけに残念である。

 

帰宅して改めてペネティエ・パスキエ・ピドゥーによるショーソンのピアノ三重奏曲を聴いてみたが、まさにこれこそが、ショーソンの情熱だなと改めてこの名演に感じ入った。もちろん、過去の名盤と実演を比べることは意味がないのだが、ペネティエの、まるでピアノ協奏曲の独奏を弾くような勢いのあるピアノを聴くと、こういうように弾かないと音楽が映えないのだよなと改めて思った。ヴァイオリンのパスキエも、ピドゥーも実に伸びやかに、美しく、時に抒情的に、時に激しく旋律を奏でていて、まさに情念の炎が立ち上がっている。そう、こういう熱量が欲しいのだ。

 

やはり葵トリオに真骨頂は独墺のロマン派の作曲家でこそより発揮されるように思われる。もちろん、芸域を広げていってもらいたいと思うが、まずは少しスコープを狭めて焦点を絞った方がいいのではなかろうか。まずはベートーヴェンを全曲録音するそうなので、その辺から、きちんとレパートリーを積み上げていってもらいたい気がする。フランスものはもう少し後で改めて取り組めばいいのではなかろうか。(などと、今を時めくピアノ三重奏曲に大胆な提案をしてみる。)

 

ただ、ショーソンのピアノ三重奏曲は改めて実演でいい演奏を聴きたいなどとも思った。ついでに言えば、ピアノ四重奏曲も。コンセールは時折演奏されているが、なかなか予定が合わずに聴きに行けないのが残念である。結局、ショーソンをもっと聴きたいだけかもしれない・・・