山田和樹の後任として読響の首席客演指揮者となったヴァルチュハが来日した。2022年に読響を初めて指揮したのにいきなり首席客演指揮者に就任したというのは余程相性が良かったのであろうか(2022年の来日時の指揮にそれほど強い印象は残っていないのだが)。リャードフ、ハチャトリアン、チャイコフスキーというオール・ロシア・プログラムとマーラーの交響曲3番の1曲プログラムを披露するというので、マーラーの方に足を運んでみた。

 

5月21日(火)サントリーホール

マーラー 交響曲3番

エリザベス・デション(Mezzo)

国立音楽大学(女声合唱。指揮:工藤俊幸)、東京少年少女合唱隊(指揮:長谷川久恵)

ユライ・ヴァルチュハ/読売日本交響楽団

 

ヴァルチュハは1976年生まれでスロヴァキア出身。あまり録音はないが、欧米でオペラとコンサートの双方で活躍しているらしい。それほど背は高くはなく痩身で、40代後半だがまだ若々しく、軽快に舞台に出て来た。首席客演指揮者に就任して初めての登場ということであるので、オーケストラの献身的な演奏が期待できそうであるし、2日前にも同じマーラーの3番を横浜みなとみらいホールで演奏していたはずなので、より練れた解釈が聴けると期待を胸に演奏の開始を待った。

 

演奏であるが、期待が高すぎたのかもしれないが、あまりしっくり来なかった。読響はそれなりに気合を入れて音を出していたが、まず最初のホルンの強奏から音が濁り気味なのが気になった。最初は緊張しているのかと思ったが、終始オーケストラ全体の音が濁り気味であまり透明感を出そうとしなかったので、指揮者の音作りの好みなのかもしれない。そして、ヴァルチュハは、音楽を丁寧に作っており、決して遅いテンポを採用しているわけではないのに、全く音楽が躍動しない。もちろん強弱の起伏はきちんと作られているのだが、平板で一本調子になってしまっている。マーラーの交響曲3番の1楽章といえば、いかにもマーラーらしい、躍動感と振幅の大きい表情豊かな長大な楽章であり、マーラーならではの魅力に満ちた音楽だと思うのだが、几帳面にきちんとスコアを鳴らしているのに、音楽が停滞気味になり、どうも感興がのって来ない。極めてオーソドックスな解釈で、何も変わったことはしていないのだから、きちんとスコアを鳴らせば、それなりにマーラーの音楽を堪能できると思うのだが、何とも淡泊というか、何かしっくり来ない音楽が続く。一つには各楽器はきちんと弾いているのだが、楽器間のバランスの取り方や、強調する声部などの整理が不十分であることもあるかもしれない。指揮者の整理不足なのか、オーケストラが指揮者の意図を汲みきれていなかったのかはよく分からないが、やや全ての楽器が漫然と鳴っている瞬間がある。この楽章は、マーラーがこれでもかとしつこく濃厚に描き切ろうとしているようで、長いは長いが、退屈することはなく、聴いていて長すぎると感じたことはなかったのだが、今回は、何度もそろそろ終わるかと期待し、その期待が何度も裏切られた。1楽章の最後は、さすがに少しテンポを速めて迫力を出していたが、何か全体的にしっくり来ない。

 

のんびりとした可愛らしい舞曲風に始まる2楽章も淡々と音楽が進む。特に悪いわけではないが、もう少し躍動感をもって、楽しそうに演奏できないのかなという気もする。どうも全体的に微妙にリズムが重く、一つのパッセージから次のパッセージに移る時の間が気持ち長く、もたついた印象を受ける瞬間があるのだが、これは音楽を丁寧に組み立てようとした結果かもしれない。3楽章は、曲想が演奏傾向と合っているためか、中では比較的面白く聴けた。途中で舞台外からポストホルンが聴こえるが、舞台に向かって正面のオルガンの左側の扉が開いていたので、そこから吹いていたのだろう。非常にマイルドな音色でうっとりとするポストホルン・ソロであった。

 

4楽章はメゾ・ソプラノの歌唱が入る。歌ったデションは初めて接した歌手だが、第一声からその声の深みが印象的であった。歌い方は重く、ある意味どすの利いた鋭さ、激しさのある声で、決して声を張り上げることがなくても、その声が管弦楽の音の中から立ち上がってくる。恐らくかなりの声量がありながら、それを絞って密度の濃い声を出していたのだろう。じっくりとした落ち着いた歌い方も含めて曲想によく合っていて素晴らしかった。4楽章から間髪入れずに5楽章となる。舞台正面の客席(いわゆるP席)に、向かって左手に少年少女合唱団、右手に女声合唱団が配置されていた。迫力には欠けていたし、ハーモニーの精度が少し緩かったところもあったが(少し音が濁り気味になっていたのは、これまた指揮者の好みかもしれない)、楽しそうに歌っていたのが良かった。やはり管弦楽が躍動しないので、停滞感を生じた部分もあったが、そこは楽しそうな少年少女合唱団が何となく音楽を前に進めてくれていて、この楽章は比較的楽しく聴くことができた。

 

そして長大で静かな6楽章である。読響の弦楽セクションが情感を込めて演奏しようとしていたし、指揮者もこの楽章はかなり細かく指示を出し、細部まで歌わせようとしていた。躍動感が必要のない楽章なので、ヴァルチュハの方向性が悪い方向に作用しないはずなのだが、抒情的に歌わせようとするあまり、やはり音楽の流れがよくない。瞬間瞬間は美しく仕上げられているのだが、情感豊かにうねるように進み、繰り返し頂点に達しながら終結部に向かって行く音楽の全体像や方向性が、今一つ見えて来ない演奏なのである。瞬間瞬間をそれらしく響かせてしまうオペラ指揮者としての癖が出ているのかもしれないが、音楽が盛り上がってくるところが、毎回同じような感じで、何度かそろそろ終わるのだったかななどと思わされ、裏切られ、かといって最後がそれに相応しく盛り上がった訳でもなく、何度目かの盛り上がりがそのまま終わったような印象であった。細部に目が行き過ぎて全体の設計が甘かったのではないだろうか。最後の音をしっかりと響かせ、残響が消えて指揮者が腕を下ろして力を抜くまで少し時間を取る間、静寂を貫いた客席は素晴らしかったし、むしろもう少し間を取って余韻を楽しんでも良かったのではないかとすら思われた。客席の反応は悪くなく、感動した人もいたのであろう、ブラボーも飛んでいたが、どうも全体としてはあまり好みではなかった。

 

やはりテイストが合わないと思ったカーチュン・ウォンのマーラーの方が、やりたいことも明確であったし、色彩感豊かに鮮明に鳴らすオーケストラ・ドライブも見事であった(単に解釈の方向性が好みではないだけ。)。それに比べるとヴァルチュハは、そこまでコンセプトが明確でもないし、オーソドックスな解釈で淡々と進めていて、まだ関係が薄いこともあるかもしれないが、読響を鳴らせてはいるものの、今一つ十分にコントロールし切れていないようにも感じられる。首席客演指揮者に就任したばかりなので、これから関係が深まって行った時にどのような化学反応が生じるのかは分からないが、期待して臨んだ演奏会だっただけに、少し拍子抜けしたことは否めない。ヴァチュルハと読響が今後どんな展開をするのか、まだ少し見守る必要がありそうだ。