主要なキャストに外国人を招聘することの多い(お雇い外国人の伝統?)新国立劇場であるが、ヴェルディの「椿姫」というオペラ・レパートリーのストライク・ゾーンど真ん中の演目の主役に日本人の中村恵理を抜擢した。代役ではなく(中村は代役では歌ったことがあるらしい。)、最初からヴィオレッタに日本人が配役されたのは初めてなのだとか。中村の歌唱にはいつも感心していたので、どんなヴィオレッタになるのだろうかと足を運んでみた。
5月19日(日)新国立劇場
ヴェルディ 「椿姫」
ヴィオレッタ 中村恵理
アルフレード リッカルド・デッラ・シュッカ
ジェルモン グスターボ・カスティーリョ
フローラ 杉山由紀
ガストン子爵 金山京介
ドゥフォール男爵 成田博之
ドビニー侯爵 近藤圭
医師グランヴィル 久保田真澄
アンニーナ 谷口睦美
ジュゼッペ 高嶋康晴
使者 井出壮志朗
フローラの召使 上野裕之
新国立劇場合唱団(指揮:三澤洋史)
フランチェスコ・ランツィロッタ/東京フィルハーモニー交響楽団
演出はヴァンサン・プサールのもので2015年のプレミエという。新国立劇場で「椿姫」を観るのは初めてなので、このプサール演出も初めて接したが、シンプルながら、鏡のような床や壁を使った美しい舞台で、ピアノがいろいろなものに見立てられる。第2幕1場で宙に浮いた状態で固定されている鳥や傘の意味がよく分からなかったが、変な読み替えもない(ただし、序奏の間に、幕に「椿姫」のヴィオレッタのモデルとなった女性の墓碑銘が映し出されるなど凝った仕掛けもある。)。そのシンプルな舞台に、華美な衣装がよく映えている。全体的にセンスの良い、お洒落な演出である。
ランツィロッタは欧州でのオペラ指揮の経験が豊かな指揮者らしいが、非常にくっきりとした音楽を作る。管弦楽部分もきちんと整理し、縦の線をきっちりと合わせる。テンポは速くなく煽ることもしないが、オペラの伴奏だからと弾き流させることなく、曲の造型をきちんと作り出している。しかも、舞台上の歌手の状況をかなり的確に把握していて、歌手のコンディションや声量に応じて、オーケストラの音量も絶妙にコントロールする。シンフォニックなのに、声を絶対に邪魔しない。現場感覚に裏打ちされつつ、オーケストラを預かる立場としての仕事もきっちりとやる。なかなか有能なオペラ指揮者である。
ヴィオレッタを歌う中村恵理は決して声量が大きいわけではないが、引き締まったよく通る声で、勢いに任せることなく、音程を丁寧にとり、非常に正確に歌う。感情表現もよく織り込んでいて、よく考えられ、練られた歌唱である。演技も細かく付けていて、小柄ながら派手目の衣装で目立つように仕掛けられていることもあり、舞台映えもよい。第1幕の長大なモノローグなどは、愛の喜びに目覚めたにしては冷静で少し勢いに欠けたところがあったが、第2幕1場のジェルモンとのやり取りなどは、感情移入が凄く、冷徹な父親に別れを強制される中で気丈に振舞うヴィオレッタを見事に表現していた。さらに、第3幕は全体的に中村の独壇場で、死への恐怖と諦観、それに再びアルフレードやジェルモンと相見えた際の歓喜と死期が迫っている絶望感を実に感興豊かに表現していた。どうも中村は、幸せいっぱいの役よりも、健気で不幸な役柄が似合うようである。そういえば、大野和士指揮の「トゥーランドット」でのリューが素晴らしかった。
アルフレード役のシュッカは特に強い個性がある訳ではないが、上品なたたずまいと、少しおっとりした歌い口が、思い詰めてしまった良家の子息というアルフレードの役柄には意外に合っていて悪くはなかった。もう少し随所で歌に切れがあればと感じたところもあったし、第2幕2場などはもっと吹っ切れたような、感情にかられたようなところが欲しかったが、全体に安定した歌唱であった。
ジェルモン役のカスティーリョは、ベネズエラ人でドゥダメルと同じエル・システマ出身というが、張りのある美声で深みのある低音に威厳もある。あまり包容力は感じない、妙に厳しい歌い方で、ひたすらヴィオレッタを悪者と決めつけて追い込んでいくようなジェルモンである。まだ若い人のように見えるので、これから包容力や深みが出てくるのかもしれないが、冷徹一辺倒のジェルモンというのも少し新鮮な役作りであった。ただ、アリアの歌唱は見事で、その美声に酔いしれることができる。
その他の歌手にも不満はなかったが、出色だったのがいつもながら見事な新国立劇場合唱団である。演技をしながらの合唱なのに、とにかく異常なほど一糸乱れぬ揃い具合で、全ての発声がピタリと合っている精緻さ。迫力も凄く、とても華やかなパーティーの客とは思えないほどの鋭さをもって問いかけたり合いの手を入れたりする。歌手陣の声量がそこまで大きいわけではないこともあり、合唱団が入ることによって、音楽に迫力が生じ、また、全体に引き締まるところがある。いつもながら惚れ惚れとする仕事振りである。
今回の上演を観て、これまでヴィオレッタが亡くなるまでの、言い方は悪いがやや消化試合のような印象を抱くこともある第3幕の濃厚さに圧倒された。それは、中村が、ヴィオレッタの感情のひだを、振幅を大きく、丁寧に歌い込んだということもあるが、それを静謐さも湛えた管弦楽が実に巧みにサポートしていたためもあるように思われる。
全体的に楽しめた舞台であったが、どうも中村は不幸そうな役が似合いそうである(写真ではきつめの表情で割と強そうに見えるのだが。)。「トゥーランドット」のリューははまり役だったように思ったが、「ラ・ボエーム」のミミ、「オテロ」のデズデーモナ、アイーダ、「リゴレット」のジルダ、「カルメン」のミカエラ、「ホフマン物語」のアントニアなども似合いそうな気がするので、今後の活躍に期待したい。