上野の春の音楽祭の千秋楽はヴァイグレ指揮する読響による「エレクトラ」である。これは元々は2022年に読響の定期演奏会で行うはずであったがコロナの関係で中止(確か、代わりに井上道義がショスタコーヴィッチを指揮した。)された公演と主要キャストに同じ歌手を集めてのリベンジ戦である。「エレクトラ」は少し前にノット指揮の東響が演奏会形式で演奏し、その名演が記憶に新しいが、この難曲をこれほど頻繁に東京で聴けるという状況も面白い。2022年に聴き逃したこともあり、足を運んでみた。

 

4月21日(日)東京文化会館

R.シュトラウス 「エレクトラ」(演奏会形式)

 

エレクトラ エレーナ・パンクラトヴァ

クリテムネストラ 藤村実穂子

クリソテミス アリソン・オークス

エギスト シュテファン・リューガマー

オレスト ルネ・パーペ

第1の侍女 中島郁子

第2の侍女 小泉詠子

第3の侍女 清水華澄

第4の侍女 竹多倫子

第5の侍女 木下美穂子

侍女の頭 北原瑠美

オレストの養育者/老いた従者 加藤宏隆

若い従者 糸賀修平

新国立劇場合唱団(指揮/音楽総合アシスタント 冨平恭平)

セバスティアン・ヴァイグレ/読売日本交響楽団

 

「エレクトラ」は恐らくシュトラウスが最も尖っていた時期の作品で休憩なしの約100分間に、ひたすら大編成のオーケストラががなり立て、ほぼ出ずっぱりのエレクトラ役を含めて歌手もそのオーケストラの大音響に対抗するように声を張り上げることが求められる。要するに大音響、絶叫がひたすら続くとんでもない曲である。

 

バイロイト、バルセロナのリセウやフランクフルトの歌劇場で活躍し、ワーグナーを始めとするドイツ浪漫派のオペラを得意とするヴァイグレが、関係のよい手兵の読響を振るのであるから、管弦楽には期待できるし、そのヴァイグレが、わざわざ同じメンバーを集めたほど満を持して選び抜いた歌手で臨むというのであるから期待は高まる。

 

「エレクトラ」はアガメムノンのテーマが大音響で響き渡るところから始まる(なお、最後もこのアガメムノンのテーマが大音響で響き渡り、この作品がアガメムノンという物故者に絡む人々の怨念に支配されていることが音楽的に表現されている。)が、ヴァイグレ指揮の大編成の読響が最初から凄い大音量で開始したのに驚いた。午後3時開演の公演であったが、ウォーミングアップは完全であった。その後も、オーケストラは絶好調で、他の作曲家の曲では気になるヴァイグレの大味な音楽作りが、この作品ではむしろ曲の起伏を思い切り強調し、鳴らすところは思い切り、鳴らさないところでもかなりしっかりと、要するにひたすら鳴らし続けており、その音圧が凄い。ノットと東響の熱くもよりしなやかでスタイリッシュな解釈に比べると、ヴァイグレはより武骨であるが、オーケストラの特性もあろうが、とにかくパワーフルである。やや馬力に頼っているという感じもあるが、その音響が圧倒的で、音のシャワーをひたすら浴びているようで、聴いていて変なアドレナリンが出てくるような妙な興奮の渦に巻き込まれる。

 

そんな大音響のオーケストラに対し、最初に登場するのは侍女達である。聞いたことのある名前も何人か含むかなり充実の日本人女性歌手陣が全員黒のドレスで登場する。正直、誰が誰で、どこを歌っているのかよく分からなかったが、いずれも声がよく通っており、一部の歌手はまるでワーグナーのように豪快に声を響かせていて聴き応えが凄い。侍女達というよりも、ワルキューレの娘たちのようである。

 

そしてエレクトラ役のパンクラトヴァが登場する。この人も声のパワーが凄い。ノットの時に歌っていたガーキーとは違ったタイプで、エレクトラになりきったような歌というよりは、正面から曲に忠実にしっかりと声を出して響かせる真っ直ぐな解釈で、父親の復讐への感情に支配された猛女を熱唱する。この人の歌は一本調子といえば一本調子なのだが、パワーがあるので、管弦楽の表現が劇的なので、その振幅に支えられ、決して単調にはならない。

 

今回の女声陣の中で最も輝いていたのはクリソテミスを歌ったオークスである。普通の幸せを願う妹という役ながら、しっかりと芯の通った鋭さもある声で、感情豊かに表情を付けて歌っていたが、声量も大きく、しっかりとエレクトラ役のパンクラトヴァに張り合っていた。このオークスはイゾルデなども歌っているようだが、パンクラトヴァと二人ブリュンヒルデのような凄い迫力で、最後に「オレスト」と弟の名前を何度も繰り返すところなど、盛り上がって音量が凄いことになっている読響を背後に従えつつ、しっかりと声が聴こえていて、凄い歌手だなあと思わされた。要注目の歌手である。

 

クリテムネストラを歌った藤村実穂子は安定の歌唱で声もしっかり聴こえるし、ドイツ語の発音がいつもながら美しい。このクリテムネストラという役は、エギストと組んで、というよりもエギストを唆して夫アガメムノンを殺害させた、やや怪物的なキャラクターとして表現されることも多い気がするが、藤村が歌うとむしろ理知的で、決して変わった人ではない、普通の人が実は内に抱えている悪意や欲望に負けてしまい、夫の殺害に至り、それ故にエレクトラの存在そのものに脅威を感じている、そういった等身大の人間的なキャラクター造型のように感じられた。

 

男声陣については、エギストを歌ったリューガマーは、独特の甲高さのある声で、性格テノール的な、声だけでコミカルさを感じさせる演技的表現力のある歌手で、それほど長くは歌わないエギスト役であるにも関わらず割と強い印象を与えてくれた。しかしながら、やはり圧巻であったのはオレストを歌ったパーペである。オレストも決して長く歌う役ではない中で、パーペほどの大物を呼んで来た心意気には感服していたが、期待を上回る名唱で、パーペが登場し歌い出した瞬間から、その深みのある声と放つオーラが尋常ではなく、いきなり会場の雰囲気が変わったようにすら感じられた。ずっと楽譜を見ながら歌っていたので、少なくとも最近は舞台では歌っていないのかもしれないが、流石の貫禄である。パーペといえば、「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王を得意としていた。一時期、ヴォータンを歌ったりもしていたが、あまりヴォータン歌いとして評判を取ったという話は聞かないが、少し静かで、じっくりと聴かせるような場面では絶大な力を発揮する歌手である。とりあえず、やっぱりパーペは凄いなあと圧倒された。もっとこの人の歌を聴いていたかったが、「エレクトラ」では少々出番が少ない。

 

これだけの豪華歌手が熱唱し、ヴァイグレ率いる読響がひたすら大音響で迫る。休憩を敢えて入れず100分を一気に聴かせるというシュトラウスの計算にまんまとはまり、全く長さを感じることなく、一気に聴き通してしまった気がする。アガメムノンのテーマ以外にはそれほど印象的なメロディもないながら、120人近くを必要とするという超大編成のオーケストラが、これでもかと大音響を響かせ、それと対抗するように歌手が声を張り上げる、ある意味非人間的な特殊な作品であるが、さほど面白くもないストーリーに、これだけの仰々しい音楽を付け、聴いているうちに、どんどんその大音響に興奮させられていく。シュトラウスは「エレクトラ」以降に似た方向性の作品は書かなかったが、それはこの方向性で一つ満足行く成果が出たからなのであろう。シェーンベルクのような、あるいはストラヴィンスキーのような方向に走らなくても、十分に尖った音楽を書けることを証明したと思ったのかもしれない。

 

たまたま昨年にノット指揮の東響による演奏会形式もあったのでつい比較してしまうが、知的に計算され、しなやかでスタイリッシュ、その上で情熱的なノットの指揮に比べて、ヴァイグレはひたすら熱く、うるさく、激しく鳴らさせる。しかし、読響という底力のあるオーケストラをここまで鳴らしきることは凄いし、「エレクトラ」という作品の演奏としては一つのあり得べき方向性のように思われた。どちらが良いというよりも、違うタイプのエレクトラを続けて聴かせてくれたノットとヴァイグレに感謝したいところである。コロナ禍の中で代役で指揮した二期会の「タンホイザー」も素晴らしかったが、ヴァイグレを聴くならやはりオペラだなとも再認識した。読響では演奏会形式で「ヴォツェック」が予定されているので、これまた楽しみである。

 

上野の春の音楽祭の千秋楽ということで、終演後には東京文化会館のロビーの一部がレセプション・パーティー用にセッティングされていた。きっと関係者による盛大なレセプションが行われたのであろう。週末以外は行けなかったが、行きそびれた中にも数々の名企画があったこの音楽祭、来年もまた好企画に期待したい。