上野の春の音楽祭も終盤に差し掛かり遂に大物リッカルド・ムーティが登場した。ここ数年マエストロが続けているヴェルディのオペラ・シリーズであるが、今年は人気作「アイーダ」である。オペラハウスでは派手な演出が競われることも多い「アイーダ」であるが、演奏会形式ではそういう楽しみはないが、むしろその充実した音楽に集中できるのではないかと期待も高まる。平日マチネはなかなかハードルが高いので週末の2回公演の2回目に足を運んでみた。

 

4月20日(土)東京文化会館

ヴェルディ 「アイーダ」(演奏会形式)

 

アイーダ マリア・ホセ・シーリ

ラダメス ルチアーノ・ガンチ

アモナズロ セルバン・ヴァシレ

アムネリス ユリア・マトーチュキナ

ランフィス ヴィットリオ・デ・カンポ

エジプト国王 片山将司

伝令 石井基幾

巫女 中畑有美子

東京オペラシンガーズ(指揮:仲田淳也)

リッカルド・ムーティ/東京春祭オーケストラ

 

ヴェルディなどイタリア・オペラといえば、どちらかというと女性の客が多いのだが、ムーティ・ブランドのせいか男性客がかなり多く、チケットが高いせいか年齢層も高めな印象がある。

 

管弦楽の東京春祭オーケストラは若手ソリストを中心に、要所にオーケストラ奏者を配した特別編成オーケストラ。コンサートマスターはN響の郷古廉であり、他にもコンサートマスター級や首席奏者などが含まれている。この春は違ったようだが、元々、この春祭のムーティのヴェルディ・シリーズはアカデミー的な教育的な要素があり、そういう意味では若手ソリストに巨匠の下での演奏の経験を積ませることを目的としているということなのだろう。

 

さて、オーケストラは通常配置で、セカンド・ヴァイオリンとヴィオラが左右に寄せられていて、指揮台の前に歌手が配置されている。最初に歌手が入場して拍手を受けてから定位置に座り、その後、指揮者が登場する。御年82歳というムーティであるが、髪の毛こそ少しグレーになってきたが、動きも機敏でまだまだ元気そうである。

 

「アイーダ」はヴェルディ後期の傑作である。「アイーダ」の後には「オテロ」と「ファルスタッフ」しか書かれていない。エジプトのエキゾチックな舞台設定や、カイロの劇場のこけら落しのために委嘱を受けたという作曲の経緯からか、祝祭的な部分も多く、有名な凱旋の場面など派手な印象も強いが、ヴェルディの作曲技法が冴え渡っている作品の一つではないかと思われる。正直にいえば、ストーリーは大したことないし、派手な割にはその中核にあるのは、政治に翻弄されるアイーダとラダメスの身分違いの純愛であり、悲劇的な心中物語的な側面もある。しかし、音楽が実に精緻に組み上げられていて、いつ聴いてもその音楽的完成度に惚れ惚れする。

 

序奏の冒頭は弦楽合奏で静かに開始されるが、弦楽器を楽器内でも細かく分割して複雑な対位法的な音楽である。オーケストラの弦楽セクションがなかなか繊細で、細かく表情を付けながらよく歌っていた。緊張していたところもあるのか、多少の硬さはあったが、臨時編成オーケストラにしては、かなり一体感をもって弾いていたし、音色も美しかった(メンバーの中で「ソリスト」とされている人達の正体はよく分からない。どこの楽団にも属していないフリーランスの音楽家程度の意味かと思うが、もしかするといい楽器を使っている奏者も多いのかもしれない。)。

 

ムーティはイタリア・オペラを得意としているが、その作り出す音楽はまろやかで上品なもの。決めるべきところはきちんと決めてくるし、アッチェルランドもかけるが、慣例的な改変を排する原典主義を標榜しているだけあって、全体的に楽譜に忠実である。つまりオーソドックスな解釈で上質な優雅な音楽を奏でることを目指しているのだろう。指揮姿も爽やかで格好良い。そういう芸風なので、イタリア・オペラが合っているし、過度に歌い込まないところから、プッチーニよりもヴェルディの方が相性がいいし、本人もヴェルディを得意としている。他方、コンサート指揮者としてのムーティは、上質な優雅な演奏をするので、どれもレベルは高いが、ムーティでないと出来ない表現などはなく、これといって代表的な録音は思いつかない。むしろ、プロコフィエフの交響曲3番のような、かなり尖った曲を指揮しても、実に上品でマイルドな演奏にしてしまうことに感心した記憶がある。つまり、一時の優雅で上質な音楽で、素敵な時間を過ごさせてくれる、そういう音楽家である(チョン・ミュンフンと似たタイプかもしれない。)。まさに、イタリア・オペラの指揮者に相応しい。

 

歌手陣では、主役級2人を差し置いて圧倒的な存在感を見せていたのは、アムネリスを歌っていたマトーチュキナである。声量が豊かでよく通るし、恋心と嫉妬と王女としての矜持の間で揺れるアムネリスを実に感情表現豊かに歌っており、聴き手の心を震わせる歌唱であった。昨年の春祭の「仮面舞踏会」でウルリカを歌っていた時も強い印象を与えてくれていたが、今回も極めて印象的であった。要注目の歌手である。祭司長ランフィスを歌ったデ・カンポも朗々たる低音を響かせ、表情豊かで温かみのある包容力のある歌唱で魅せてくれた。

 

ラダメスを歌ったガンチは声もそれなりに美しく歌も悪くはないが、最初はまだ調子が出ていなかったのか地味な印象で、将軍としてのカリスマ性がなく、周囲の歌手に押されている印象。第1幕の早い段階でいきなり始まる「清きアイーダ」も悪くはないが今一つ声が出切っていないし、少し声が濁ってしまっていたところもあった。徐々に調子は上げていっていたので、物語が進むに従っていい感じになっていったので、後半は良かったのであるが、少し全体におとなしい印象があった。

 

そしてアイーダを歌ったシーリが調子が悪かったのか、声も小さく、表情にも乏しく一本調子。声自体はそれなりに美しいし、調子がよければもう少しいいのだろうなとは想像できるのだが、折角のアイーダが弱いのは残念であった。

 

むしろ今回の主役ともいうべき活躍をしていたのが合唱団である。東京オペラシンガーズが物凄い熱の入った合唱で、精度も高いのに、声の圧が凄くて、まるで迫ってくるような迫力がある。少し荒っぽいけれども勢いのある合唱はまさにイタリア・オペラの醍醐味である。合唱がおとなしいと音楽の流れが滞りがちになってしまうが、むしろ合唱団が音楽を前に進めるようであった。今年の春祭の一連の東京オペラシンガーズの合唱は全てがレベルが高く非常に感心したところである。これまでそこまで凄いと思ったことがなかったがどうしたのか。合唱指揮の仲田淳也の指導がいいのだろうか。これまた要注目である。

 

そして意外なところで素晴らしかったのが、巫女を歌った中畑有美子である。第1幕第2場の儀式の場面であるが、オーケストラの左手後方でハープの横で歌っていたが、それまでの誰よりも声がよく通り、少しだけ音程が乱れたところもあったが、引き締まった声で音程の動きもクリア。主役級を歌えそうな鮮明な印象を与えてくれた。これも要注目の歌手である。

 

歌手では他にもアモナズロを歌ったヴァシレも、歌う量は少ないながら、なかなかの美声で良かった。この人もマトーチュキナと同じく昨年のムーティの「仮面舞踏会」でレナートを歌っていたので、ムーティのお気に入りの歌手の一人なのだろう。

 

あまり話題になることはないが、実は個人的に好きなのが第1幕2場の儀式の場面で、巫女の声に先導されるエキゾチックなメロディと祭司長の声に先導される男性合唱主体の壮麗なメロディが交互に歌われつつ、最後に合体していくヴェルディの巧みな作曲技法にいつも感心してしまう。旋律が印象的な凱旋の場面よりも実は好きである。

 

その凱旋の場面は金管が増強され、舞台の左右にアイーダ・トランペットも動員されて演奏されたが、そこは指揮するのがムーティということで、単なる大騒ぎにはならず、落ち着いたテンポで丁寧に音楽の旋律を浮かび上がらせる。迫力はむしろ合唱団に出させて、スケールが大きいというわけではないが、壮麗な演奏に仕上げていた。最初の方は、少しトランペットの音程が安定しないところもあったが、すぐに持ち直し、なかなかの迫力で吹いていた。そして、落ち着いたテンポでずっと進めていたムーティが最後だけ一気にアッチェルランドをかけてテンポを上げ、派手に最後の音を響かせるところは、さすがに聴かせ上手というところ。

 

第3幕になると、アイーダを歌うシーリも少し声が出て来て、これまた少し調子が出て来たガンチのラダメスとのやり取りも少し充実してきた。しかし、第4幕では前半のアムネリスとラダメスのやり取りが、やはりアムネリスを歌うマトーチュキナの表現力が素晴らしく、熱唱していた。歌だけであれば、アイーダではなくアムネリスに惹かれてしまいそうである。後半のアイーダとラダメスの二重唱は、静かに歌うところが、少し一本調子に感じられたところもあったが、全体的には抒情的で美しく、最後まで丁寧に繊細にオーケストラを歌わせたムーティの好サポートもあって、なかなか雰囲気がよく出ていた。

 

主役級の歌唱に少し不満は残ったものの、ムーティの優雅な音楽に、元気のよい合唱、そして、ほぼ主役のような存在感を放っていたアムネリスと楽しめた公演であった。ムーティはまた秋に来日して「アッティラ」をやるそうなので、お元気での再来日を期待したい。