3月末にトリスタンとイゾルデの名演を聴かせてくれたヤノフスキが4月のN響の定期演奏会に登場した。土曜は午後早い時間の公演が多いので、6時開演というN響のA定期の時間設定はありがたいところである。この日は、午後に上野でケーニヒス指揮のブルックナーを聴いたが、そのままNHKホールに移動してN響を聴くことにした。

 

4月13日(土)NHKホール

シューベルト 交響曲4番「悲劇的」

ブラームス 交響曲1番

マレク・ヤノフスキ/NHK交響楽団

 

N響に限らないが、日本のオーケストラは老巨匠指揮者に弱い。老齢になるとどうしても身体的な能力が落ちるので、器楽や歌手のような演奏家は、「味わい」は増しても、メカニカルなテクニックには陰りが出てしまうことが多い。他方、指揮者は、もちろん物理的に棒を振るという身体的動きはあるが、器楽奏者や歌手に比べるとその影響は限定的で、むしろ、経験値が上がれば上がるほど、オーケストラに自らの意思を貫徹する技術が高まる。これに、老齢になると威厳のようなものが高まり、よりオーケストラが言うことを聞くようになる。もちろん、長年のお付き合いも重要だ。ブロムシュテットとN響、インバルと都響、(最近は来日出来ていないが)ラザレフと日フィル、今は亡きスクロヴァチェフスキと読響などの名コンビは、長い(あるいは濃い)付き合いによって築き上げた信頼関係が物を言っているだろう。

 

遅れて来た巨匠というとヴァント、チェリビダッケ、スクロヴァチェフスキなどの物故者の顔が頭を過ぎるが、ヤノフスキもその傾向がある。若い頃からヤノフスキは活躍していたが、ドレスデンで録音したワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」はあるものの、フランスで活躍していたためか、その他の録音というと、メシアン、ダンディやルーセルの交響曲などのフランスもの、協奏曲の伴奏やオペラの録音など、それなりの数があるものの、あまりヤノフスキといえばこれといったトレードマークになる作曲家や録音も思いつかず、強い印象はなかった。それが、ベルリン放送響との演奏会形式での一連のワーグナー録音がPENTATONEレーベルから発売されて、丁度、ヴァントが亡くなり巨匠不在となりつつあった時期と重なったこともあったのであろうか、急に脚光を浴び、そのままPENTATONEからどんどん録音が発売されるようになった。さらに、バイロイトに登場して「指輪」を振るなど活躍の幅を広げた。その一方で、やはりヤノフスキがどういう指揮者かというとよく分からないところがある。基本的には快速テンポで引き締まった音楽を目指しているのかなと思う。録音で聴く限りでは、ワーグナーやシュトラウスなど巨大編成の音楽を要諦を押さえつつ、速めのテンポで辛口の演奏をするのかなと思うが(ワーグナー以外だと、シュトラウスのアルプス交響曲は名演。)。

 

前置きが長くなったが、そんなヤノフスキが今回指揮するのはシューベルトとブラームスという独墺の王道プログラム。前半はシューベルトの交響曲4番。シューベルト自身が付けたという「悲劇的」という副題が付いている作曲者19歳の作品である。ハ短調というベートーヴェンの交響曲5番と同じ調を採用し、「悲劇的」と名付けている辺りに若き作曲者の心意気が感じられる作品でジュリーニも録音を残している。

 

ヤノフスキ指揮するN響は快速なテンポながら、アンサンブルが完璧である。特に弦楽器の揃いが凄く、軽めの細身の音色ながら、細かい動きでも全く乱れるところのない、鋼のアンサンブルが圧巻であった。ちなみに、ゲスト・コンサートマスターにヤノフスキの手兵ドレスデン・フィルのヴォルフガング・ヘントリヒを連れてきていた。1楽章は短い序奏部があるが、すぐに短調の比較的劇的な旋律が印象的であるが、とにかく粒立ちの良いしっかりとした音で、速めのテンポで、過度の表情を付けることもなく淡々と進めていく。外連味のない辛口の演奏であるが、とにかく隙が全くない。面白味も華やかさもないが、ひたすら硬派な音楽作りに圧倒される。2楽章以降もひたすら硬派で辛口で隙のない演奏が続く。速めのテンポが醸し出す前進性と緊張感が音楽を全く弛緩させず、聴く側にも緊張を強いる。演奏者側の集中がこちらにも伝わってくるのか、目と耳が演奏から離せない。とにかく、惚れ惚れとするほど見事な演奏であったが、改めて聴いてみるとシューベルトの交響曲4番はなかなかの力作でいい曲だなと思った。

 

後半はブラームスの交響曲1番である。冒頭から快速テンポで始まるが、ティンパニも控えめに叩かせてバランスを精妙に取る。弦楽器はあまり歌わせず、すっきりとした音響を目指していたように感じられた。弓を速く動かさせているので、あまり太い音色にならない。細身でそれほど音量は大きくさせない。ブラームスながら粘着度は全くなく、どんどん音楽が先に進んでいく。興味深いのは、全曲を通じて、チェロとコントラバスを強調していたこと。非常にクリアに、他のパートに比べると大きい音量で弾かせていた。その低音の上に、中高音域をバランスよく乗せていくような音楽作りである。管楽器も全体的にあまり強く吹かず、むしろ速めのテンポの中で、音楽の自然な流れに乗ってすっきりと吹いている。シューベルトと同様に、淡々とした外連味のない演奏であり、硬派で隙がないのだが、インテンポで進む単線的なシューベルトの音楽に比べると、うねりのあるブラームスの方が曲の組み立てにヤノフスキの手腕が光る。低音を響かせているものの、必ずしも重厚にはならず、音楽は軽快である。アンサンブルは緻密で丁寧だし、音の密度は高いのに、すっきりとしていて軽快なブラームス、ヤノフスキならではの、なかなか新鮮なブラームス像である。

 

2楽章もそれほど歌わせずにすっきりと音楽を進める。全体的に透明感のある音楽作りになっていたが、楽章最後のヴァイオリン・ソロも妙にこざっぱりとしてあまり歌い込まないのはヤノフスキの指示であろうか。普段は牧歌的に響く3楽章も速めのテンポでぐんぐんと進んでいくと少し印象が変わる。牧歌的というよりは躍動感の方が目立ち、意外に動きが多く、細かく作り込まれた曲であるなと発見も多かった。

 

4楽章は、かなり控え目に音量を上げずに開始した印象である。弦楽器のピッチカートの掛け合いの精度が高く、聴いていてその揃いっぷりに惚れ惚れとする。有名な旋律が始まる前もそれほど盛り上げようとせず、むしろすっきりと音楽を進めていく。ホルン奏者など、濃厚に歌いたいところ、淡泊に吹かされて少しフラストレーションが溜まったのではないだろうか。トランペットやトロンボーンなどもかなり大人しい。そして、弦楽器による有名な旋律が始まるが、これまたあっさりと粘らない。すっきりとした演奏でどんどん進んでいく。徐々に音量も上がっていくが、N響の本気モードであれば、もっと凄い音量を出せるだろうにと、その控え目な美学に少し首を傾げていたが、その結果、非常にバランスがよく、快速なのにオーケストラの全ての音が聴こえてくるような見通しの良さがある。ガラス細工のような、透過性の高い演奏である。しかし、これも実はヤノフスキの計算であったようで、楽章の後半で音楽が頂点に達するところで、遂にN響が本気で大音量を出した。そう、ちゃんと頂点まで全力を出さずに抑えていたのである。そこまでが抑え気味だったので、最後の方の迫力が凄かった。この4楽章の最後にヤノフスキはかけていたのである。よくもそこまで抑制的にやれたなと、さすがの読みの深さと、それを実現してしまう老練さに改めて脱帽した。

 

ヤノフスキはシューベルトもブラームスも暗譜で指揮していたが、特にブラームスはかなり会心の演奏であったようで、終演後とても嬉しそうな表情をしていた。もっと濃厚な、あるいは重厚な、もっと歌心のあるブラームスもいいが、このヤノフスキのただただ辛口のブラームスもなかなか面白い。発表された来年度のN響の定期のプログラムを見る限り登板予定はないようだが、また春の祭典でワーグナーを振ってくれないかと期待してしまう。とにかく、またの来日を楽しみにしたい巨匠の一人である。