3月末に急に暖かくなって桜も咲き急に春めいたと思うと、ふと気が付くと4月になっていた。どうも職場を早く出られそうだと思い、何か面白い演奏会がないかと検索してみたら、全くノーマークだった凄い演奏会を見付けてしまった。フランスの名ヴァイオリン奏者のレジス・パスキエの参加する演奏会である。瀬﨑明日香というヴァイオリン奏者とのヴァイオリン二重奏の夕べだという(一部、ヴァイオリンとヴィオラの曲も入るという)。敢えてヴァイオリン二台で演奏会をしてしまおうという趣旨はよく分からないが、パスキエもかなりの高齢(78歳とのこと)であるし、あと何回実演に接する機会があるかも分からないの。確認してみたら当日券はあるというので足を運んでみた。

 

4月2日(火)王子ホール

ルクレール 2つのヴァイオリンのためのソナタ作品3-5

モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K423

ヴィエニャフスキ エチュードカプリス作品18より1番、2番、4番

プロコフィエフ 2つのヴァイオリンのためのソナタ

レジス・パスキエ(Vn, Va)、瀬﨑明日香(Vn)

 

王子ホールは初めて出向いたが、銀座の三越デパートの建物の一部に入った瀟洒なホールである。アファナシェフのものなど時折気になる演奏会があるが、席数がそれほど多くないこともあってか、行こうか悩みだす頃には大方完売している。この4月にも河村尚子の演奏会があって気になっていたが、いつの間にか完売していた。

 

瀬﨑は初めて実演に接したヴァイオリン奏者であるが、フランスに留学してパスキエに師事したとのことである。録音も何枚かあるようで、「コバケンとその仲間たちオーケストラ」のコンサートミストレスを18年間務めているらしい。後進の指導にも熱心という。そのせいか、会場には銀座に相応しいお洒落な有閑マダム達(とその付き添いの紳士達)や関係者らしい人達に加えて、ヴァイオリンを習っているらしい子供達や楽器を持った学生らしい人(学生には割引がある)なども集まっていた。

 

プログラム冊子やプログラムが終わった後に瀬﨑が話したところによると、瀬﨑は師事したパスキエが大好きで、是非その演奏を聴いてみらいたいのだが、最近は、高齢になってきたせいかパスキエは来日してもマスタークラスなど指導しかしない。そこで、師匠に演奏してもらいたい、可能であれば共演もしたいということで、今回の演奏会を企画したとのことである。師匠愛の溢れる企画とのこと。

 

レジス・パスキエは有名な音楽一家に生まれ、12歳でパリ国立高等音楽院をヴァイオリンと室内楽で1等賞を取ったとか、伝説に彩られた人物である。室内楽の名手として有名であり、ヴィオラ奏者のブルノ・パスキエ、ピアノのペネティエ、チェロのピドゥーなどと多数の優れた室内楽の録音を出している。教育活動に熱心なためか、演奏活動は限られているようであるし、録音もハルモディア・ムンディ・フランスへのレ・ムジシャン名義の一連の録音以外は、フランスのマイナーなレーベルへのものが中心なため、実力の割には注目される機会が少ないように感じられるのが残念であるが、日本には教育活動でよく来てくれており(瀬﨑のようにフランスで教えた弟子も含めるとかなり日本人の弟子は多いようである。)、その際に、演奏会を開くこともあったようで、日本では比較的知られているかもしれない。かつてはラ・フォル・ジュルネにも登場していた。

 

かくいう自分も一連の室内楽の録音で名前は知っていたが、随分前になってしまったが、学生時代にたまたま足を運んだ演奏会で実演に接した際に、最初の一音からその妖艶とすら言いたくなる音色に打ちのめされ、それ以来のファンである。録音も探しまくり、かなり架蔵しているつもりであるし、来日公演にも何度か足を運んだ。少し前に、所有していたグァルネリの銘器を若い人に使ってもらいたいなどと約2億円で売りに出したというネットニュースを見たので、もう演奏活動からは引退したのかと思っていたが、まだ元気に活動しているようで安心した。

 

このままパスキエの話をずっと書いてしまうのも何であるので、演奏会の様子である。まずはルクレールの2つのヴァイオリンのためのソナタ。ルクレールは2つのヴァイオリンのためのソナタを何曲か残しているようでこの編成の定番のようである。コーガン夫妻(奥様はギレリスの妹のヴァイオリン奏者)の録音でもルクレールがあった。正直にいえば、2台のヴァイオリンのための作品となると、基本的には合奏して楽しむ、ある意味、弾き手のための作品のようにも思えるのだが、パスキエが入るとどうなるか。

 

登場した瀬﨑は薄い青系のドレスで長い髪を下ろしてティアラのような髪飾りを付けている。対する、かなり好々爺風になったパスキエは黒を基調とした服装。何となく、お姫様とじいやのような組み合わせであるが、当日券で後ろの方だったのでよくは分からないが、割と目鼻立ちのくっきりとした瀬﨑の雰囲気にはよく合った衣装なのだろう(流石は銀座と言いたくなる。)。ルクレールはパスキエがファーストで瀬﨑がセカンドを弾いていた。パスキエは、最初は調子が出ていなかったのか、少しかすれたような音も入りつつ、かなり省エネモードで弾き始めていた。これに対し、瀬﨑は師匠との共演に気合が入っていたのか、元々の芸風なのか弓を思い切り使い、お姫様風の衣装とは裏腹に豪快な弾き方である。ただ、パスキエが会場も大きくなく、それほど大きな音は出さずに、密度の濃い音色と細部まで丁寧な弾き方で弾いているのに対し、瀬﨑の音量が大きく、音色も弓を大きく使った豪快なものの一方で、少し荒っぽい印象を与えるものであり、アンサンブルとしてはちょっとアンバランスな印象があった。折角のパスキエのセンスのあるファーストの音がかき消されていたように感じられ、瀬﨑の音の方がよく聴こえて来たからである。もう少し音量を調整してもらいたかった。ルクレールの作品自体はいかにもバロック的な聴きやすいもので、弾いたら楽しいだろうなと思わされるものであった。

 

続いてパスキエがヴィオラに持ち替えてのモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲となる。これは2曲あるうちの1番の方で、パスキエは、ヴィオラ奏者ブルノ・パスキエ(兄弟?)とヴァイオリンで(HMF)、これまたフランスの名ヴァイオリン奏者ジェラール・プーレとはヴィオラで(Arion)2回この二重奏曲を録音している。十八番といえるだろう。パスキエのヴィオラの音はルクレールの時のヴァイオリンに比べると豊かに響き、そのいぶし銀のような渋みを持ちつつも広がりのある音色は実に蠱惑的である。力感はあまりないが、全てにおいて安定感のある弾き方であり、流石の老名匠の技を感じる。

 

他方、瀬﨑のヴァイオリンは、モーツァルトも元気一杯に豪快に演奏する。弓を目一杯使うのはいいのだが、音色が少し濁って聴こえる時があるのと、少し左手の指の動きの速度と右手の弓の動きの速度が合わずに、もたついたような指がもつれたように聴こえる瞬間がある。モーツァルトは、もう少し精緻に、しかし躍動感と溌溂さをもって演奏してもらいたいところである。どうもロマン派的な弾き方になっていて、様式的な違和感が拭い去れない。この奏者はあまりモーツァルトやバロック音楽向きではないように思われる。ヴァイオリンとヴィオラだと音域が違うので、ヴィオラの音に集中してひたすらパスキエの至芸を味わった。

 

休憩を挟んで後半はヴィエニャフスキの作品。エチュードカプリスという作品は初めて耳にしたが、ピアノの連弾のように、二人で同じ楽譜を見ながら弾いていた。エチュードとは銘打っているが、音楽的にもよく書かれた作品で、最初に演奏された1番は、民俗的な旋律が美しく、それを二人のヴァイオリンが順次演奏し、あるいは伴奏していく。ポーランド人であるヴィエニャフスキの故郷の旋律なのか、民俗的に作っているのかは分からないが、少し哀愁を帯びたなかなか美しい曲である。次の2曲目は緩徐楽章的なこれまた美しい静かな曲で、ゆったりとした息の長い旋律を交互に演奏する2つのヴァイオリンの絡み合いがなかなか見事な作品である。最後に演奏された4番はうって変わって舞曲風の曲で、なかなか愉悦感に満ちた曲である。瀬﨑が第1ヴァイオリンを担当していたが、第2ヴァイオリンを弾くパスキエが楽譜をめくっていた。この曲になると瀬﨑のヴァイオリンの弾き方が曲とかなり合って来て、前半ほどの違和感は感じない。やはり弾き方は省エネながら、引き締まった、密度の濃い音を出すパスキエに比べると、威勢は良すぎるが、2つのヴァイオリンの音色がそれぞれ響き合うように精巧に作られているヴィエニャフスキの曲がよく出来ているせいか、むしろ対照的な音色が音楽のコントラストを強調しているようで、悪くない演奏に仕上がっていた。これは選曲の妙が光った。

 

最後にプロコフィエフの2台のヴァイオリンのためのソナタであるが、この作品は、変則的な編成に対し、プロコフィエフがかなり意欲的で攻撃的な音楽を書いていて、最も瀬﨑の芸風に合っていた。ピッチカートを派手にはじいたり、激しく和音をがしがしと弾いたり、かなり尖った音楽が、思い切りのよい豪快な弾き方がようやくピタリとはまった感じがした。パスキエは実はプロコフィエフは得意としており、それぞれ2曲あるヴァイオリン協奏曲もヴァイオリン・ソナタも録音があるほどである。プロコフィエフの様式感をよく把握して、むしろ面白がるようにプロコフィエフの奇想天外な音楽を鋭く演奏していた。この曲になると急にパスキエのヴァイオリンの音が大きくなり、音色もより熟したものとなり、少し往年の演奏を思い起こさせるところもあった。かなり超絶技巧的な激しいところもあるが、そこは師弟が息もぴったりに攻めた音楽作りで大変に聴き応えがあった。これは選曲の勝利であろう。この曲を聴いただけでも、この演奏会に足を運んだ甲斐があったというものである。

 

拍手(ちなみに、まるでアイドルのようにファンが多いらしく、瀬﨑の名前が大きく書かれた手拭いのような布を広げている人が多数いた。)の途中で、瀬﨑がマイクを持って舞台に出て来て少し話をする。最初の方に書いたように師匠のパスキエへの想いなどを切々と語っていたが、パスキエはその日の午前2時の便でフランスにもどり、さらにその後サンティエゴに移動して、ラヴェルのツィガーヌとサンサーンスの序奏とロンド・カプリチョーソを演奏する予定になっているのだとか。78歳ながら元気である。

 

その後、マイクを渡されたパスキエは、最初に片言の日本語であいさつをした上で、英語で少し話をする。要するに日本はいいところで、日本の音楽家は素晴らしい。沢山の日本人の弟子がいるが、皆、技術的にも音楽的にも素晴らしい。アスカも随分と長いこと知っているが素晴らしい。日本は聴衆もいいし、指揮者もいい(と言って客席を眺める仕草をする。パスキエは大友直人と仲良しで、よく共演をしていたし、パスキエのリサイタルにはよく大友が来ていたので、大友を探していたのだろうか。)、といった内容であった。たわいもない内容ではあるが、ちょっとお茶目である。

 

アンコールは2曲で、再びパスキエがヴィオラを持ち弾いた。最初の1曲目は何の曲だかよく分からなかったが、変奏曲形式でなかなかロマンティック激しい曲で、瀬﨑のヴァイオリンがよく映えていたし、パスキエもようやく調子が出て来たようで、なかなか力強い演奏をしちえた。最後はモーツァルトの二重奏曲のもう一つの曲の2楽章を演奏したが、モーツァルトとなると、やはり瀬﨑のヴァイオリンが少し荒っぽく聴こえてしまうのは、最後に少し残念であったが、全体としては、なかなか興味深い演奏会であった。

 

最後に少しだけパスキエの名演奏の録音を紹介してみよう。入手難かもしれないものが含まれている点はご容赦いただきたい。

 

まずは得意のフランス音楽はいずれも聴く価値があるものであるが、中でも圧巻なのは、フランクのヴァイオリン・ソナタ(Lyrinx)である。早逝したカトリーヌ・コラールとの共演であるが、歌い回し、音色、技術の全てが非常に高い水準で統合されている。この演奏家は、さりげなく弾いているようでも、それが全て優れて音楽的に響いてしまうという凄い音楽性を持っている。

 

そして、2回録音されたショーソンのコンセールは1回目のレ・ムジシャンでの演奏も素晴らしいが(HMF)、ビアンコ―にとパリジイ四重奏団と録音した再録音盤の方が演奏としては練られているように感じられる(Saphir)。同じショーソンについては、レ・ムジシャンで録音したピアノ三重奏曲とピアノ四重奏曲は圧巻の名演である(HMF)。

 

他には、ストロッサ―とのフォーレとドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ(assai)、ナウモフとのプーランクのソナタ(Saphir)、ペネティエとのラヴェルのソナタ(Saphir)も素晴らしい。

 

協奏曲の録音では、伴奏にやや難ありだがモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集は素晴らしく、ブルノ・パスキエのヴィオラが入った協奏交響曲は中でも絶品である(Valois)。また、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も秀演である(Caliope)。他方、バルトークやベルク、シベリウスなどの協奏曲(いずれもValois)は、悪くはないが、作品とパスキエのお洒落過ぎるヴァイオリンの芸風が今一つしっくり来ない感じもある。他方、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はヴァシャーリの指揮するハンガリー放送響の交響曲全集に入っている録音が素晴らしい(Hungaroton)。

 

独墺ものでは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集(Valois)やレ・ムジシャンでのブラームスの室内楽(HMF)などがあるが、いずれも悪くないがパスキエの真価が十全に出た気はしない。むしろ、ロシアものがなかなか良く、ロジェとのプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ(ADDA)など隠れた名盤だし、ショスタコーヴィッチのピアノ三重奏曲2番(Lyrinx)もロシアっぽくはないが、切れ味の鋭く、絶妙のセンスが光る名演であるし、圧巻なのはラフマニノフのピアノ三重奏曲集(Saphir)で、その感興の豊かな歌い回しは、このメランコリックな作品の中でも屈指の演奏だと思う。

 

やはり書き出したらきりがなくなって来たので、この辺にしておこう。ここで挙げたような録音を聴くと、どうしてもパスキエの年齢を感じてしまうところもあるが、まだまだ元気そうな様子を見て安心した。まだ来日する計画もあるようなので、またどこかでその至芸を聴かせてもらいたい。いずれにしてもお元気で長生きしてもらいたい。