毎年3月から4月に開催される上野の東京春祭であるが、毎年、ワーグナーのオペラを1作演奏会形式で演奏する。バイロイト級の歌手を集め、管弦楽はN響という贅沢さ。最近は指揮もヤノフスキが担当しており、正直にいって、日本で聴ける最もレベルの高いワーグナーといっても過言ではないだろう。今年取り上げられたのは新国立劇場でも上演していた「トリスタンとイゾルデ」が取り上げられ、結局、1週間半の間に「トリスタンとイゾルデ」を3回観ることができた。何という贅沢(というか、もう少し散発的にでもいいので、頻度を多く上演してもらいたい)。本当は平日の公演にも行きたかったが、年度末の平日はとても無理なので諦めて、土曜の公演にのみ足を運んだ。

 

3月30日(土)東京文化会館

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン スチュワート・スケルトン

マルケ王 フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ

イゾルデ ビルギッテ・クリステンセン

クルヴェナール マルクス・アイヒェ

メロート 甲斐栄次郎

ブランゲーネ ルクサンドラ・ドノーセ

牧童 大槻孝志

舵取り 高橋洋介

若い水夫の声 金山京介

東京オペラシンガーズ(指揮:エベルハルト・フリードリヒ/西口彰浩)

マレク・ヤノフスキ/NHK交響楽団

 

舞台の奥に男声合唱団が入りその前にN響が所狭しと入る。例年客演コンサートマスターとしてキュッヒルが入るのだが、今回はキュッヒルではなく、ベンジャミン・ボウマンというアメリカはメトロポリタン歌劇場のコンサートマスターを招聘したとのこと。この人、ジェスチャーが大きく、弾き方も妙にせかせかしていて落ち着きがない。時々、速く弾きすぎていて、他のファースト・ヴァイオリンが付いて行ってないのではと思うところもあり、名コンサートマスターなのか謎の多い人物であった。なお、トップサイドには郷古簾が入りこちらもコンサートマスターらしいアクション大きめで演奏していたので、ファーストのトップ二人が妙にオーバーアクションで面白い。

 

御年85歳のヤノフスキであるが元気そうである。3時開演で途中2回の30分の休憩があるにせよ、終演は8時近くと約4時間を立ったまま指揮していた。ヤノフスキは、若い頃から活躍してきたし、1980年頃にシュターツカペル・ドレスデンと「ニーベルンゲンの指輪」を録音したりしていたが、そこまでメジャーな指揮者という印象もなかった。しかし、2010年代前半にベルリン放送響と演奏会形式で次々とワーグナーのオペラを演奏し、その録音がPENTATONEレーベルから次々発売されると、いきなり巨匠扱いされるようになり、バイロイトでも「指輪」を指揮したりしている。ヴァント、スクロヴァチェフスキと同様に急に巨匠に祭り上げられた老匠であるが、この上野の春祭でも「指輪」を指揮して大変評判が良かった。その後、コロナ禍で中止の2年を挟んで、昨年のマイスタージンガーでもタクトを取った。今年もトリスタンのため来日してくれており、最近は、すっかり春祭のワーグナーの顔になっている。ベルリン放送響との一連のワーグナー録音は、一流の歌手陣を揃えつつ、ヤノフスキの辛口の快速の指揮が好悪を分けていたところもあるが、トリスタンはどうであろうか。

 

まず前奏曲からN響の演奏が素晴らしい。煽るようなところはなく、むしろ端正に、淡々と音楽を進めていくのだが、その分、音楽それ自体が持っている劇性が立ち上る。最初からオーケストラの音色が艶やかで響きもしっかりとしている。やる気のある時とない時で演奏のレベルが極端に変わるN響であるが、いつになく本気モードである。N響は老巨匠に細かく練習を付ける実力者にきちんと練習を付けられると底力を発揮する印象があるが(録音で聴いても、スクロヴァチェフスキとの共演はいずれも極めて高いレベルで圧倒される。)、まさにこういう時にその真骨頂を聴ける。

 

素晴らしい集中力で演奏された前奏曲が終わると、舞台裏から若い水夫の歌が聴こえてくる。金山京介の歌唱とのことだが、なかなか伸びやかな美声でドイツ語の発音も美しい。そこにイゾルデとブランゲーネが出てくる。イゾルデを歌うクリステンセンは、あまり声量が大きくはないが、澄んだ声で旋律線をきれいに浮かび上がらせようとする。聴いていると、声を張り上げるのではなく、リリックに歌おうとしているようである。元々、ワーグナーよりも、ヴェルディやプッチーニなどを得意としている歌手のようであり、イゾルデも美しく歌いたいのだろう。どちらかといえば猛女であるイゾルデの解釈としては少し変わっているが、最後までそのような歌い方であったので首尾一貫している。ブランゲーネを歌っていたデノーセの方が、一般的なワーグナーの歌い方で、張りと輝きのある美しい声で王女イゾルデを気遣う侍女を演じていた。なお、女声二人は楽譜を見ながら歌っていた。

 

他方、今回の公演はとにかく男声歌手が素晴らしかった。クルヴェナールを歌うアイヒェは見た感じは中間管理職のような雰囲気ながら、声を発すると、その太く艶のある声の音色、朗々と響く声量で堂々たる風格がある。クルヴェナールには第3幕に長大なモノローグがあるが、そこも一人舞台で、表情豊かにトリスタンに忠実な騎士を演じていた。

 

そして、トリスタンを歌うスケルトン。巨漢で、騎士というよりはプロレスラーのような風体なのだが、声を発すると、朗々とよく響き渡る声量豊かな、しかし美しい声で会場を圧倒する。しきりにペットボトルから水を飲んでいたので、コンディションは必ずしも良くなかったのかもしれないが、その圧倒的な存在感が凄い。このトリスタン役はなかなか満足できる歌唱に出会うことがないが、このスケルトンはこれまで実演で聴いたことのある中でも最も満足できるトリスタンであったように感じられた。不機嫌そうな表情で、むすっとしているが、歌い出すと内側から感情が溢れ出るような、かなり細やかな表情を付けて歌っていた。また、ドイツがの発音がとても聞き取りやすく(なお、スケルトンはオーストラリア出身)、暗譜で歌っていたが、トリスタンを完全に手中に収めている。

 

第1幕の後半でトリスタンとイゾルデが対峙し、愛の妙薬を飲んで相思相愛となる場面は、このような風格のあるトリスタンに、声量では負けているものの、意外に対抗意識をむき出しにして表情を付けようとするイゾルデの対決となり、なかなか緊迫して手に汗を握りながら聴くことになる。オーケストラも全く弛緩したところがなく、一見淡々と指揮するヤノフスキにリードされ、肌理細やかにスコアを鳴らす。

 

そして、実は第1幕でさらに素晴らしかったのは合唱団である。精度が高いのに、リズムが正確で弾けるように勢いがあり、躍動感のある水夫の合唱となっていた。合唱が第1幕でのみ登場するという費用対効果の悪さにもめげず、むしろ第1幕に全てをぶつけるような力強い合唱に、この作品の合唱がこれほど充実していたとはと再認識した。ワーグナーの水夫の合唱というと「さまよえるオランダ人」を思い出すが、若書きのオランダ人のノリのよい合唱を彷彿とさせるヴィヴィッドな合唱で、合唱が入ることで音楽がどんどん熱を帯び、前に進んでいった。第1幕の最後は、港で待っていたマルケ王を表現するように、舞台裏から鋭いトランペットのファンファーレのような音型が響き、歌わないものの、マルケ王役のゼーリヒが舞台に出て来て、トリスタン役のスケルトンと向かい合うという演出になっていた。最後の音を鳴らした後に、ヤノフスキもぴくりとも動かず残響が全て鳴り終わり、余韻を楽しんでいた。一部フライイング気味で拍手をした客もいたが、すぐに空気を読んだのか静かになり、ヤノフスキが力を抜いて、動き出してようやく大きな拍手となる。なかなか小粋な演出である。

 

30分の休憩を挟んで第2幕となる。第2幕は衣装を着替えてきたイゾルデとブランゲーネの対話から始まるが、第1幕よりもイゾルデ役のクリステンセンも声が出て来ており、さらにトリスタンとイゾルデの二人を心配するブランゲーネ役のドノーセもどんどん声に張りと鋭さが出て来ていた。思ったより女声陣もよいかなと思っていたが、トリスタンが登場すると再びその声の威力に圧倒される。第2幕のトリスタンとイゾルデの逢引の場面は、歌手が普通だと少し退屈になってしまうのだが、トリスタンの表現力と、それに絡んでくるリリックなイゾルデの表情がなかなか魅力的で、全く退屈するところはなかった。ブランゲーネ役のドノーセは、2階の舞台に向かって右方向の客席から見張りの歌を歌っていたので、指揮者としては、後ろから声が響いてくることとなっていたが、この部分では、ヤノフスキは何度も後ろを向いて、ドノーセに歌い始めるタイミングを指示していた。確かに、距離があるせいか、少しオーケストラよりも遅れて出そうになっていたので、的確な指示であったと思われる。そして、ブランゲーネの歌が終わり、再びトリスタンとイゾルデが二人の世界に入っていき盛り上がっていくところも実に見事で、このまま終わってしまうのではないかと思わせるほどの盛り上がり方をする。

 

しかし、この公演まだ驚きがあった。最高潮に達したトリスタンとイゾルデの歌を遮るようにマルケ王とメロートが登場する。メロートを歌っていた甲斐栄次郎も、なかなか深みのある豊かな声で、やはりこの人は凄いなあと思った直後に、マルケ王役のゼーリヒが歌い出す。その声量の大きさと、低く腹の底から湧き出るような太く美しい声に驚いた。声の威力が凄すぎて、まるで空気がビリビリと震えているような感じすらする。最初の一声で場の空気と、舞台の全てを支配してしまった。ゼーリヒとは、こんな凄い歌手であったのかと驚く。やはり暗譜で歌っていたが、演技も含めて若い妻と可愛がってきた甥の軽率な行動に心を痛め、二人に慈愛の気持ちを向けている老王を切々と表現していて、聴いていて、何と良い人なのだろうと思ってしまう。完全にマルケ王になりきっていて、これは圧巻であった。第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱で折角感激していたのに、その感動を上書きしてしまった、ゼーリヒの歌の威力には圧倒された。何か歌手が凄い公演である。圧巻の第2幕は最後まで凄い水準であった。

 

もう一度30分の休憩を挟んで第3幕となる。第3幕はヤノフスキのみが入って来て演奏が始まったが、ヤノフスキが入って来ただけで、ブラボーが乱れ飛ぶ。熱狂している気持ちはよく分かる。N響もどんどんアンサンブルが熟していき、音楽が熱くうねるようになってきている。第3幕は最初はクルヴェナールの語りが続くがアイヒェが熱っぽく歌う。舞台に向かって右側の、ヴィオラの後ろにイングリッシュ・ホルンの席が作られており、池田昭子が長大なソロを吹いていた。なお、イングリッシュ・ホルンのソロが終わった後には、池田は舞台裏に引っ込んだが、その後、同じ位置で、イゾルデの船が近付いてくるのを表現するパイプのような形をした長めの管の先に角笛のようなものが付いている楽器が登場していたのが面白かった。

 

その後、トリスタンのモノローグがあるが、スケルトンは、弱々しく歌う箇所は座ったまま静かに歌い、感興がのってくると立ち上がり熱唱していた。弱った騎士を表現するためか、調子が悪かったのか第2幕ほどの迫力はなかったが、やはりかなり細かくトリスタンの心の動きを表現していて聴き応えがある。最後に歌い終わって椅子に座った後に、ネクタイを緩めていたので、やはりコンディションが悪かったのかなと思われた。それでも、あれだけの圧倒的な歌唱を披露できるのだから凄い歌手である。

 

しかし、やはり最後に登場したマルケ王のゼーリヒが会場の空気を支配してしまった。ブランゲーネから真相を聞き、二人を許そうと駆け付けた老王が、多数の死者だらけの現場で愕然としている様子を、実に真情を込めて歌っていた。その後の、「愛の死」が不要なのではないかと思うくらいの圧倒的な表現力であった。

 

そして、最後にイゾルデの「愛の死」となるが、ここれはクリステンセンのリリカルな歌唱がなかなか美しく、そこまでの人間世界のドラマとは全く別の世界の音楽のように、清潔感と透明感のある声で熱唱した。これをヤノフスキが万全の構えで、異常なまでの集中力で演奏しているN響で伴奏するのであるから悪いはずがない。この長大なオペラの最後をまるで浄化するように閉じてくれた。ここをこう歌いたくて、全体的にリリックな表現を選んだのではないかとすら思われたほど。クリステンセンも最後は凄かった。

 

最後の音が終わってもピクリとも動かないヤノフスキであったが、野暮な一部の聴衆が拍手を始めた。ヤノフスキはすかさず指揮棒を持ち上げて、拍手を止めるような合図を出し、一部の聴衆が、「しーっ」と拍手を止めさせ、ようやく完全な静寂が会場を支配した。そう、最後の余韻までが演奏なのである。しばらくして満足したのか、ヤノフスキが力を抜き、今度こそ爆発的な拍手が始まった。

 

ヤノフスキの指揮する一連のワーグナーの録音は、テンポが速すぎて、少し落ち着かない気持ちになることが多かったが、今回のトリスタンとイゾルデについては、テンポ自体は比較的速いものの、落ち着いていて、むしろ自然体ながら、じっくりと作り込まれたような印象を受けた。N響の反応もよく、ヤノフスキ自身も満足そうにしていたので、指揮者としても満足のいく完成度だったのではないかと想像される。また、ヤノフスキはトリスタンとイゾルデが好きなのではないかと思われた。

 

なお、オペラの場合、舞台があった方が面白いところもあるが、じっくりと音楽を堪能するのであれば、演奏会形式の方がいいコンディションで聴ける。オーケストラも舞台で伸び伸びと演奏できるし、歌手も余計な演技なしで歌う方が歌に集中できるだろう。トリスタンとイゾルデのように動きの少ないオペラであれば特にそうである。上野の春祭のワーグナー・シリーズは今後も是非続けていただきたいものである。新国立劇場と春祭の東京3月のトリスタン祭りの掉尾を飾るに相応しい名演であった。