夜の予定がキャンセルになった3月25日の月曜日、さてどうしよう。そういえば、名古屋フィルの東京公演があり川瀬賢太郎指揮でレスピーギのローマ三部作をやるという。名フィルはまだ実演では聴いたことがないので気になる。これに行こうかと思っていたところ、知り合いに、「題名のない音楽会」で出光賞の受賞者の演奏シーンをやっていて、そのプロコフィエフのピアノ協奏曲3番が凄いので観てみたらどうかと言われた。観てみると一部分だけであるが、確かに気合が入った演奏である。弾いているのは亀井聖矢という若手である。そういえば、最近、プロコフィエフのピアノ協奏曲3番を聴いていないなと思っていたら(水戸室内管がアルゲリッチと共演する演奏会のチケットは一瞬で完売してしまい入手に失敗した・・・)、その亀井がプロコフィエフのピアノ協奏曲3番を演奏するという演奏会のちらしを見付けてしまった。名フィルも捨て難いが・・・と少し悩んだ末に、ローマ三部作は5月にルイージ指揮のN響で聴く予定もあるしと思い、プロコ、もとい、亀井の演奏会に足を運んでみた。

 

3月25日(月)東京芸術劇場

チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ

プロコフィエフ ピアノ協奏曲3番

ガーシュウィン ピアノ協奏曲

亀井星矢(pf)/原田慶太楼/東京交響楽団

 

正直にいえば、あまり若手の音楽家に関心を持っていない。特に、最近、言い方は失礼だが、雨後の筍のように出てくる若手ピアニストには到底目配りをしていられない。コンクールで入賞したと言われても、そうかと思う程度である。もちろん、何かの機会に演奏を聴いて気に入ることもあるが、自分から積極的に聴こうとは思わないし、それほど熱心に情報収集もしていない。なので、亀井星矢については予備知識がなかった。2001年生まれで、2022年にロン=ティボー国際音楽コンクールで1位を受賞しているという。そして、忘れていたが、若手ピアニストの演奏会に行くと大抵客席の女性率が異常に高い。最近は、辻井伸行、反田恭平、小林愛美、角野隼斗といったピアニストが登場する演奏会は、チケットも取りにくい。若手という点がポイントなのか、ピアニストという点がポイントなのか、その合わせ技なのか、よく分からないが、いつも行く演奏会とは客層も、雰囲気も違う。何となくしまったと思ったが、後悔先に立たず。

 

最初はオーケストラのみでチャイコフスキーの有名なポロネーズから。原田が元気のいい指揮で壮麗に開始する。躍動感のある、しなやかな冒頭はなかなか良かったし、オーケストラも最初からよく鳴っていたが、その後は同じ調子で特に変化もなく淡々と音楽が進む。特に面白く聴かせようといった仕掛けがあるわけではなかったようだ。ただ、オーケストラを響かせる技術は非常に高いようで、最後まで東響が豪快に鳴らしていた。

 

続いて今回のお目当てのプロコフィエフのピアノ協奏曲3番になる。「題名のない音楽会」で少しやっていたのは3楽章で、なかなか歯切れのいい弾きっぷりが良かったが、さて実演ではどうか。原田の指揮する東響は、冒頭の木管ソロから明るめの音色で始まる。伸びやかに歌わせてはいるが、かなり楽天的な歌わせ方で面白い。弦楽器の速いパッセージが始まると、音楽が前に進み出し、亀井のピアノが入ってくる。亀井のピアノは、まずとにかく指の回りが速いし正確である。タッチも安定している。高音域の鐘のようなクリスタルな響きが美しいが、中低音域はそれほど特色のある音色というわけではないように思われた。亀井は、腕を上下に大きく動かし、ジェスチャーが大きく、かなり弾いている姿は派手である。他方、表現はかなりオーソドックスである。曲の運動性はかなり巧みに引き出していて、ある種のスポーティーな快速さがある。

 

他方、プロコフィエフの音楽には、独特に諧謔性、毒のようなものがあるが、そういった要素は亀井の演奏からはあまり出て来ないし、原田の指揮もいたって爽やかなもの。何か二人のアスリートの協演を観ているような、爽やかな風が吹き抜けるような演奏である。アメリカ音楽を得意とする原田は、いつも爽やかな(他方、失礼ながらやや表層的な)演奏をするように思ってきたが(ちゃんと実演を聴いたのは初めてなので分からないが)、その原田と亀井の音楽的趣向は似ているようで、プロコフィエフの3番を、鮮やかな超絶技巧協奏曲として解釈をしていたようである。意図的な不協和音の利用や妙にせかせかした焦燥感に満ちたところなども、あっけらかんと弾かれると、その毒が見えて来ない。むしろ、その程度の毒は、現代では毒と受け止めるほどでもないということなのかもしれない。実に爽やかである。

 

2楽章もなかなか毒に溢れた楽章だと思うのだが、非常に明るく、明朗に演奏される。テンポの速くなるところの運動性は実に凄いし、ピアノの音もとてもよく響いているのだが、やはり何か足りない気もしてしまう。その点、ひたすら無窮動的といっていいほど快速テンポで進み続ける3楽章は、その運動性が非常に効果的であり、なかなかの疾走感があった。速いところもテンポを落としたりすることなく、かなり攻めていたのが印象的であった(やや一部合っていたのか分からなかったところもあったが)。この3楽章の一部を流した「題名のない音楽会」のセレクションのセンスは良かったのだろう。ただ、やはり全体にあまりにも健康的でスポーティーで爽やかで、そして諧謔性や毒に欠ける。その結果、どうも同じ調子でずっと演奏されているような印象になりプロコフィエフの各種の仕掛けが見えてこない気がした。そう、リストのピアノ協奏曲のようにプロコフィエフが弾かれていたのだろう。見事なテクニックながら、音楽的にはまだまだ進化・深化の余地がありそうである。

 

後半はアメリカ音楽を得意とする原田と共演するということで選曲したというガーシュウィンのピアノ協奏曲である。同じガーシュウィンでも「ラプソディー・イン・ブルー」に比べると演奏機会は少ないが、ガーシュウィンが自らオーケストレーションを研究して独力で書き上げた力作である。ガーシュウィンらしくジャズのイディオムを使いつつ、古典的3楽章構成の堂々たる大曲である。後半の開始前に、原田と亀井が舞台に出て来て、ちょっとしたトークセッションをしていた。何でも、ガーシュウィンについては、オーケストラとの合わせ練習の前に、原田と亀井で2時間ほど相談し、小腹が空いたと、練習開始直前にそばを食べに行ったのだとか。かなり原田がジャズのイディオムの弾き方について話をして、それを受けて亀井が1日で解釈を練り直して来たのだとか。なお、二人の共演は、原田が京都市交響楽団を指揮した演奏会で、降板してしまったピアニストの代役でラフマニノフのピアノ協奏曲3番を10代であった亀井と共演したのが初めてだったのだとか。1日でラフマニノフの3番を準備してきたのに驚いたのだとか。

 

演奏は、原田がガーシュウィンのスコアを、時にしっとりと歌わせ、時に派手に鳴らしと手練手管を駆使して盛り上げており、亀井は、確かにジャズのイディオムを意識したような、即興的な装飾音や旋律をアレンジするなどして弾いていた。歌い回しもジャジーに作り込んでいて、全体的にガーシュウィンのジャズのイディオムを強調した表現となっていた。もちろん、ジャズ・ミュージシャンのような即興ではなく、むしろグルダなどがモーツァルトでちょっとした装飾音を足したり、ちょっと旋律を変奏してみたりする、そういうレベルで、ジャズっぽくしているという程度である。技術的にはよく練り上げられており、スピード感もあるが、ピアノもオーケストラも全体的に元気が良すぎ、どうも音楽的な起伏のようなものには欠けている。つまり、やや一本調子なのだ。ガーシュウィンのスコアがそれなりに面白く書かれているので、聴いていて退屈するわけではないのだが、もう少し工夫が欲しいなとも思ってしまった。このガーシュウィンの作品は、ジャズ風のイディオムを使いつつ、どっしりとした古典的な協奏曲を書いたという、その表現手段と表現形式の齟齬が面白いところがある。ジャズも得意なプレヴィンなど、ガーシュウィンを弾く際には意外にも楽譜に忠実に弾いている印象があるが、生兵法は怪我の元である。無理にジャズ風に演奏する必要はないようにも思う(楽譜のとおりに演奏すればジャズ風にはなる)。それ以上に、プロコフィエフの後にガーシュウィンを弾こうと思ったのはどういう選曲のコンセプトなのかなと、ちょっとよく分からなくなった。原田指揮する東響は、全体的に能天気なガーシュウィンという感じはあったが、よく鳴らしており、万全のサポートをいていた。

 

翌日にも演奏会があるという亀井であったが、舞台から下がろうとする亀井を原田が無理に引き留めて再びピアノの前に座らせてアンコールを弾かせた。弾いたのはリストの「ラ・カンパネッラ」である。ゆったりとしたテンポから始めて美しい高音をキラキラと響かせていたし、最後にテンポと音量を上げて一気阿世に弾き切っていたものの、普通に上手な演奏といった印象であったが、ガーシュウィンよりは彼の芸風には合っていたようである(アンコールにプロコフィエフの小品か、ガーシュウィンの前奏曲でも弾いてくれたら、ちょっと見直しただろうが)。

 

一部スタンディング・オベーションもあり、ブラボーも乱れ飛び、なかなか客席の反応は良かったが、このピアニストについては、もう少し成長振りを見守った方がいいなという印象で、自分としては少し聴きに行くのは早過ぎたかなと思ったところ。ホールを出たところで、近くにいた老紳士が、連れの奥様らしき女性に、「プロコフィエフはもう少し掘り下げないとね」とぼそっと語っていたのを聴いて、何か少しほっとした気持ちになった。

 

とはいえ、素晴らしい技術の持ち主であるし、選曲も面白いところがある。これからの展開が楽しみである。それにしても亀井の下の名前の星矢は、どうしても有名な漫画を思い出してしまうのだが・・・