日フィルが面白いプログラムを組んでいた。ドイツ出身の指揮者のリープライヒが、三善晃、シマノフスキ、シューマンという何とも脈絡のない3人の作曲家の作品を並べた。リープライヒはシマノフスキやルトスワフスキの録音を聴いたことがあり、勝手にポーランド人だと思っていたがドイツ出身で、アバドやギーレンに師事したという人である。プログラムが面白そうだと足を運んでみた。

 

3月22日(金)サントリーホール

三善晃 魁響の譜

シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲1番(独奏:辻彩奈)

シューマン 交響曲3番「ライン」

アレクサンダー・リープライヒ/日本フィルハーモニー交響楽団

 

マニアックなプログラムなためか、客席がガラガラだったのは残念であったが、最初は三善晃の作品で、岡山シンフォニーホールの開館記念演奏会のために1991年に委嘱初演されたという15分強の作品。多数の打楽器にピアノやチェレスタも入る大編成オーケストラのための作品である。三善晃の作品の例に洩れず、決して分かりやすいものではないが、非常に精緻に組み立てられており、色彩感も豊かである。打楽器がビート感のあるリズムを刻んで大いに盛り上がるところもあり、聴いていて意外に楽しい。難解な印象もある三善晃であるが、1991年といえば、1933年生まれの三善は50代後半になっており、少し尖ったところは減退し、むしろモダンな作風ながら温かみや人懐こさが出て来ているように感じられる。三善晃については、山田和樹指揮する都響によるレクイエムなどの三部作の熱演が記憶に新しいが、リープライヒは、アバドやギーレンといった現代作品への適性が高い指揮者に師事したということもあるのか、精緻なスコアを的確に読み込んで整理し、怜悧かつ分析的ながら大きな流れを損なうことなく、共感をもって指揮していたし、日フィルもかなり熱の入った演奏をしていた。

 

続いてシマノフスキのヴァイオリン協奏曲1番となり、ソリストの辻彩奈が登場した。近時評価が高まっているシマノフスキの中でも演奏機会の多いヴァイオリン協奏曲1番である。2曲あるヴァイオリン協奏曲について、2曲とも録音する奏者も多いが、1番のみを取り上げる例も多く、古くはオイストラッフが録音し、ベネディッティがデビュー録音に選び、ブーレーズもテツラフをソリストにして録音している。2番にはシェリングの名演があり、そのせいもあって個人的には2番の方が曲としては好きなのだが、どちらかというと世間的な人気は1番に集中しているようだ。

 

民俗的な分かりやすさがある2番に比べると、単一楽章の1番は印象派的な色彩感と、時折、民俗的な素材も顔を出し、いろいろな要素が詰め込まれている。比較的派手なオーケストレーションの管弦楽に対し、時に高音を駆使して旋律を奏で、時に重音の連続でリズミカルなパッセージを軽快に鳴らすなど、ヴァイオリンの技法も多岐にわたっている。シマノフスキが、コハインスキという名手とのコラボレーションが生み出した曲ということもあるのだろう(1番も2番もカデンツァはコハインスキのものが当然のように書き込まれている)。

 

辻は曲によっては、少し粘りのある表現が、べったりとした印象を与えることもあるが、このシマノフスキは曲想が非常に合っている(辻であれば2番より1番だろう。)。しっとりとした艶のある高音で、弓が弦に吸い付くような濃密な音色で嫋々と歌い、そうかと思うと、完璧なテクニックで速いパッセージや重音の連続を華麗にこなす。少し管弦楽の元気が良すぎたのか、時折、管弦楽の音にソロがかき消されてしまうこともあったが、重要な部分については管弦楽が音を落とすように曲がなっているので、かなりソロがきちんと聴けるように曲が出来ている。何より、辻がかなり曲に深いシンパシーを持って弾いているようであり、素敵な演奏に仕上がっていた。シマノフスキについては、交響曲やまさにこのヴァイオリン協奏曲1番の録音があるリープライヒの伴奏もしっかりとしている。辻も満足そうであったが、集中して弾いたということもあるのだろうか、アンコールはなし。

 

後半はシューマンの交響曲3番「ライン」である。現代曲を得意とするリープライヒは、シューマンもあまりロマンティックには解釈しない。曲をまるで腑分けするように一度解体し、各パートに意味付けをし、しっかりとエッジを利かせて演奏させる。したがって、オーケストラが非常に立体的に響く。また、リープライヒは、シューマンの音楽を細かいブロックに分け、ブロックごとに最適のテンポを考えているようで、意外に細かくテンポを変えていく。その結果、瞬間瞬間の音響が非常にクリアで、まさに最適なリズムで演奏されるが、横の流れはあまり良くなく、時折、音楽が滞留しているようにも感じられるが、そういう解釈なので違和感がある訳ではない。一気阿世に開放的に演奏するような、明るいシューマンではない、怜悧で分析的なシューマンである。日フィルの音色も、前半の色彩感のあるオーケストレーションから急にモノクロ写真のような世界に戻ったようで、意外に地味目に変わる。こういう変化を出せるのは指揮者の解釈がきちんとオーケストラに伝わっているからだろう。かなり繊細かつ感情を込めて4楽章を演奏していたのが印象的であった。普通は4楽章の終結部から、間を置かずそのまま5楽章に突入しそうなものなのに、たっぷりと時間を取ってから5楽章に改めて入っていたのも印象的であった。

 

そして、どうでもいいし、もしかしたら有名な話かもしれないが、この「ライン」の5楽章の後半を聴いていて、トランペットが派手にファンファーレ風のパッセージを吹くのを聴いていて、これどこかで聴いたような音楽だなあとはたと気付いた。そう、マーラーの交響曲1番の4楽章の最後の部分に似ている。というよりも、マーラーが真似したのだろう。マーラーといえば、パクリが多いことで有名であるが(交響曲3番や5番の冒頭などやり過ぎ)、こんなところからもアイディアを取っていたのかと気付いた。そういえば、マーラーはシューマンの交響曲のオーケストレーションをいじったマーラー版を作っているではないか。

 

最後によく分からない発見をして驚いているうちに演奏は終わっていた。凄い名演というわけではなかったが、一貫した解釈の下で、きちんと組み立てられた良質の音楽を聴いたという印象で、爽やかな気持ちで帰途についた。

 

三善晃の音楽は決して演奏されないわけではないが、もう少し頻繁に取り上げられてもいいのではないかと思い、それ以上に、シマノフスキについては、1番ばかりではなく、ヴァイオリン協奏曲2番を誰か弾いてくれないかなと思った(世間の感性とずれているのだろうか・・・)。

 

会場でもらった来シーズンの日フィルの演奏会のラインナップのパンフレットを見て、遂にラザレフの名前が消えたなと悲しい気持ちになった。ウクライナやイスラエルの紛争が早く終わることを改めて祈ってしまった。