紀尾井ホールのレジデント・シリーズとして3年間、毎年1回の演奏会を開いてきた葵トリオがその3回目として、シューマン夫妻とブラームスのピアノ三重奏曲を取り上げた。諏訪内晶子プロデュースのブラームス室内楽マラソンコンサートで初めて聴いて以来、その意欲的な音楽表現とスリリングなアンサンブルが気に入っていて一度聴きに行こうと思っていたところであるが、サントリーホールのチェンバーガーデンの演奏会は全然チケットが取れなかったり、そもそも日程が合わなかったりで、今年2月の諏訪内晶子プロデュースのシューマン室内楽マラソンコンサートまで実演に接する機会がなかった。今回はブラームスのピアノ三重奏曲1番をやるというので、年度末だけれど予定をやり繰りして足を運んでみた。

 

3月19日(火)紀尾井ホール

クララ・シューマン ピアノ三重奏曲

ロベルト・シューマン ピアノ三重奏曲3番

ブラームス ピアノ三重奏曲1番

葵トリオ(Pf:秋元孝介、Vn:小川響子、Vc:伊東裕)

 

メンバーの頭文字を並べて「あおい」トリオにしたのだとか。ミュンヘン国際音楽コンクールのピアノ三重奏部門で優勝したという実力派であるが、朗々と歌うチェロに、張りのある攻め気味の表現で音楽を引っ張るヴァイオリン、その二人に安定感があり控え目ながら、出るべきところはちゃんと出てくるピアノというバランスがよい。安直に予定調和的な音楽を目指していないところがアンサンブルのスリリングさを出していて好ましい団体である。

 

紀尾井ホールでの演奏会はシューマンにフォーカスし、シューマンとその周辺の音楽を取り上げて来たという。実際、2022年と2023年の演奏会はライブ録音が出ており、シューマンのピアノ三重奏曲の1番と2番がそれぞれ収録されている(1番はシューベルト1番とカップリング、2番はショパンのピアノ三重奏曲とカップリング)。今回は、そのシューマンを中心に、妻のクララと弟子のブラームスのピアノ三重奏曲1番を組み合わせてきた。シューマンとその周辺者といっても、まさに本拠地に切り込んだような感じだ。

 

最初に演奏されたのがクララ・シューマンのピアノ三重奏曲である。クララが生前に出版を許可した唯一のソナタ形式の曲であり、シューマンがこの作品に刺激を受けてピアノ三重奏曲を作曲するようになったという作品であるという。率直にいって作曲家としてのクララについては、それほど感心するところはないのだが、今回演奏されたピアノ三重奏曲も、きちっとした形式感をもって作曲されており、書法はなかなか凝っているとは思うものの、それほど才気を感じる作品ではない。葵トリオの演奏も、最初の曲ということもあり温まっていないのかもしれないが、割とおとなしい。さほど面白くない曲でも、刺激的に演奏してくれるのではないかという変な期待をしていたが、それは残念ながら裏切られてしまった。

 

最近、フェミニズムの影響もあるのか、女性の作曲家の作品が見直されている。もっとも、割と取り上げられるのが、クララ・シューマンやアルマ・マーラー、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルなど、有名人の周辺者だったりするのは残念である。もちろん、シャミナード、スマイス、バシェビッツ、クラーク、ビーチなど演奏される機会は増えているが、なかなか集客にはつながらないのだろうか。今回は女性だからというよりも、シューマンの周辺者ということなのだろうが、他の女性作曲家の作品もまた取り上げてもらいたい。

 

続いてシューマンのピアノ三重奏曲3番である。シューマンらしい、捉えどころのない哀愁を帯びた主題が弦楽器で繰り返される1楽章から始まるが、この作品も何度聴いてもよく分からない曲の一つである。葵トリオの演奏も、情熱的というよりも、シューマンの作品によく寄り添うような解釈で、もう少し白熱したアンサンブルを期待していたので意外な感じがした。あまり暴れると曲が崩壊するということなのかもしれず、パート間の絡みをきちんと合わせるとすると、あまり勢いを付けて演奏するのも難しいのかもしれない。おとなしくは感じられたものの、よく解釈は練り上げていて、3人が全く同じ方向を向いて、明確なイメージを持って演奏していることはよく伝わってきた。ただ、割と開放感が出そうな4楽章まで、今一つ燃焼度が高まらなかったように感じられたのは残念であった。

 

聴いていて思ったのは、そのおとなしく感じられた理由はヴァイオリンの立ち位置である。このトリオの場合は、ヴァイオリンが割と突き上げるように音楽を引っ張り、刺激を与えるのが常であったのだが、ヴァイオリンが以前に比べるとまろやかになっていたように思われた。4月から名古屋フィルのコンサートミストレスになるという小川が、協調性をもって演奏するようになってしまったためであろうか。たまたまかもしれないが、少し心配である。オーケストラのリーダーとしての立ち位置と室内楽奏者としての立ち位置は違うが、ピアノ三重奏では、もっとしっかりとチェロとピアノに刺激を与えてもらいたい。

 

後半はブラームスのピアノ三重奏曲1番である。ブラームスが若書きの作品を後年に大幅に改訂したことから、若々しいフレッシュな感性と、老練な作曲技法が融合した稀有な傑作となっている(6月に同じ紀尾井ホールでフランスの名三重奏団、トリオ・ヴァンダラーがオリジナル版を演奏するというが、そちらも楽しみである。)。この作品については、冒頭から安定感のあるピアノが印象的なメロディを奏で始め、それを朗々と歌うチェロが受け、ヴァイオリンが最後に入ってくるが、ピアノとチェロがかなり感情を込めて演奏を始めたので、ヴァイオリンも比較的高ぶった状態から弾き始めたので、いつもの葵トリオの演奏に近い印象であった。ただ、攻めのヴァイオリンが存外歌うヴァイオリンになっていて、なかなか艶のある音色も駆使してしっとりと歌っていたのが印象的であった。チェロは首尾一貫して伸びやかに歌い、ピアノも緻密に曲を組み立てつつ、弦楽器への配慮も行き届いている。なかなか歌心に富んだ1楽章と、かなり熱量が出て来た2楽章のスケルツォ、特に中間部の美しいメロディのところは、ピアノを中心に音楽を盛り上げていてよかった。3楽章も美しく、4楽章もなかなか熱の入った演奏になってきていて、最後は白熱の演奏となっていた。ブラームスはかなり満足できたが、もう少し葵トリオならば刺激に富んだ演奏が出来るのではないかなとも思った。

 

ヴァイオリンの小川は名古屋フィルで、チェロの伊東は都響で首席を務めているというし、ピアノの秋元もメトネルなどを取り上げるリサイタルを開いたりしているようで、葵トリオとしての活動以外も忙しくなっているのかもしれないし、売れっ子になって、急にレパートリーを広げているというところもあるかもしれないが、各自のキャラクターを活かして、また刺激的な演奏を聴かせてもらいたいものである。

 

アンコールはシューマンのピアノ三重奏曲2番の3楽章。丁度録音を発売した直後ということで、そのプロモーションも兼ねたアンコールであると、割と正直にヴァイオリンの小川が話してから演奏された。緩徐楽章を美しく演奏して演奏会の最後をしっとりと締めていた。なお、紀尾井ホールはレジデンツ・シリーズの特別回として10月に葵トリオの演奏会を企画してくれたとのことで、コルンゴルド、ツェムリンスキーのピアノ三重奏曲にシェーンベルクの浄夜のピアノ三重奏版を演奏するらしい。プログラムの貪欲さには感心する(聴けてないが、サントリーホールのミュージックガーデンでも、ラフマニノフやフランクの三重奏曲を取り上げていて、今年はスメタナを取り上げるらしく、心憎い選曲である。)。益々の活躍を期待している。