すみだトリフォニーホールは、3月10日前後に「すみだ平和祈念音楽祭」を開催している。1945年の3月10日のアメリカ軍による東京大空襲で東京の下町が壊滅的な被害を受け、多数の方が亡くなったという。その戦禍を悼むための音楽祭であるが、その後、東日本大震災の犠牲者を悼むというニュアンスも加わっているのだろう。今年は3月9日の土曜日に井上道義が新日フィルを指揮してマーラーの交響曲3番を、3月10日の日曜日に下野竜也が広島交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲8番を、それぞれ指揮するという。まずは井上道義が指揮するマーラーの交響曲に足を運んでみた。

 

3月9日(土)すみだトリフォニーホール

マーラー 交響曲3番

林眞暎(Mezzo)

栗友会合唱団(指揮:栗山文昭)、TOKYO FM少年合唱団(指揮:伊藤邦恵)、フレーベル少年合唱団(指揮:佐藤洋人)

井上道義/新日本フィルハーモニー交響楽団

 

年末での引退を宣言している井上道義の演奏会は大人気で、チケットが完売している公演も多い。そして、井上の演奏予定をざっと見た感じでは、これが最後のマーラーの交響曲の指揮ではないであろうかと思われる。最後に3番を取り上げるというのも面白い。

 

演奏は、新日フィルの献身的な熱い演奏が印象的であった。解釈はオーソドックスで、細部まできちんと作り込み、丁寧かつ堂々たる歩みで演奏されていた。正直にいえば、新日フィルは、決して上手ではない。アンサンブルが乱れたり、弾き損じたり、吹き損じたり、いろいろな事故はあった。しかしながら、敬愛する井上の指揮に喰らい付き、必死になって井上の意図を実現しようとしていた。その熱意がなかなか素敵であった。プロの楽団について、こんな高校野球好きのようなコメントをするのが失礼なのは重々承知しているが、そんな細かい瑕瑾を吹き飛ばすようなオーケストラの献身が良かったということなのだ。

 

そういう意味では、演奏が進むに従って良くなって行った。長大な1楽章は比較的普通の、オーソドックスな解釈の演奏であった。もう少しホルンや金管が爆発するような迫力を出してもいいのではないかとも思ったし、もっといろいろと指揮者の解釈で面白く聴かせられそうにも思ったが、昨年の2番「復活」もそうであったが、井上はインテンポで、小細工はせず、曲に正面から向き合い、愚直なほど曲に寄り添った演奏をする。2番で共演した読響の方が馬力があるので、その分、迫力はあったが、解釈の基本線は全く同じであり井上の中には何らのぶれもない。そうした外連味のなさも井上の到達した境地なのだろう。

 

2楽章と3楽章も同様で実に自然体な演奏であった。全体的に好感の持てる演奏であったが、3楽章の舞台袖から響くトランペット(コルネット?)がなかなか歌心に満ちていて良かった。なお、合唱団については、栗友会合唱団は冒頭から着席していたが、児童合唱とソリストは3楽章の最後の騒がしいところで入場した。成人からなる栗友会合唱団はオーケストラの奥に座り、少年合唱団は上方のオルガンの脇に座る。ソリストは栗友会合唱前に陣取った。そして4楽章であるが、メゾソプラノの林眞暎の歌唱が声量豊かで非常によく響いていた。声も引き締まった鋭さがあり、凄みがある。ドイツ語のイントネーションがもう少しクリアであればとも思うが(藤村実穂子に慣れ過ぎているのかもしれない)、それ以外は全く不満のない歌唱でしっとりと聴かせてくれた。

 

そして合唱の入る5楽章は、ノリの良い合唱に井上もノリノリで楽しそうに踊るように指揮をしていた。テンポは中庸で決して速くならず、落ち着いた歩みながら、井上が上手に曲をドライブするので、合唱団も楽しそうに歌っており、オーケストラも溌溂としている。

 

しかし、この日の演奏の白眉は6楽章であった。聴いていて、井上がこの楽章をやりたくて、最後に3番を選んだのではないかと思われた。それまでの楽章とはうって変わって、芳醇な音色で、嫋々と歌い込む弦楽器がまず異常なまでに濃密で驚く。6楽章については、かなり落ち着いたテンポで、ゆったりと丁寧かつ慈しむように曲を進めていく。この交響曲3番は、ブラームスの交響曲1番4楽章の有名な旋律を短調にしたテーマから始まり、異常に長い1楽章、軽めのスケルツォ風の2楽章と3楽章を挟んで、急にメゾ・ソプラノの歌曲である4楽章が入り、児童合唱の入るメルヘンチックな5楽章と進んできて、突然6楽章で、まるで交響曲5番や6番の緩徐楽章を思わせるような、メランコリーなゆったりとした楽章が出てくる。9番の4楽章に連なる、まさにアダージョ・マーラーというべきマーラーのとろけるような緩徐楽章のルーツがこの3番の6楽章にあるのだろう。そして、そのトロトロの音楽を、井上がメロメロになりながら珍しく情感を込めて歌いまくる。アンサンブルの乱れもあったし、最後の二人のティンパニが揃わなかったり、細かいところでは色々とあったが、最後にまるで舞い上げるように指揮する手を上方に向けて、弦の音を優雅に減衰させて曲を終えた。井上も満足そうであったし、聴いている方も、何か心が温かくなるような気がした。最後は指揮者のハートと、それに喰らい付いたオーケストラが感動を生み出していたといえるだろう。

 

名演の多いマーラーの交響曲3番の中で、ずば抜けて素晴らしい仕上がりであるとか、目から鱗が落ちるような解釈であったとか、そういった演奏では全くないが、引退に向けた井上が作り出す物語の一つなのかもしれないが、何か良いもの、心が洗われるような音楽を聴いたように感じられた。