生誕200年のブルックナーであるが、在京オーケストラも割と取り上げるが、在京以外のオーケストラの東京公演でもよく取り上げられる。1月は大フィルと札響が6番を東京に持ってきたが、2月から3月は8番の季節になる。まず2月に高関健率いる富士山静岡交響楽団(静響)が8番で東京公演を行い、3月には下野竜也が広島交響楽団との東京公演で演奏する。その第1弾を演奏する静響は初めて実演に接するオーケストラであるが、静岡県内唯一の常設プロ・オーケストラとのことで2020年に静岡交響楽団と浜松フィルハーモニー管弦楽団が合体して誕生したといい、現在は高関健が首席指揮者を務めているという。今年は意外に8番が演奏される機会が多くないので、静響がどんなものか分からないが、足を運んでみた。

 

2月6日(火)東京オペラシティコンサートホール

ブルックナー 交響曲8番

高関健/富士山静岡交響楽団

 

客席は思ったよりも埋まっていた。開演時間になると高関が舞台に出て来て軽くトークをしていた。スコアへのこだわりの人である高関らしく、いつものように楽譜の話で、ブルックナーの「稿」の問題について話していた。高関としては、作曲家の最終的な意思を尊重したいので、マーラーのように自作を演奏する際に、曲に手を入れたり、スコアに書き込みをしているような場合には、その最終形を体現した楽譜を使うようにしている。その結果、最新の研究を参照するのが通常であるが、ブルックナーの場合には、ブルックナー自身の意思での改訂なのか、周囲の意見に迎合しての改訂なのかを気を付けなくてはならず、最新の稿が作曲家の真意か分からないとのこと。多くの交響曲において第1稿から第2稿はブルックナー自身の改訂であることが多いが、第2稿から第3稿は、周囲のアドバイスを受けての改訂であることもあり、ブルックナーの本意か分からないものもあるとのこと。今回は、第2稿のハース版で演奏するが、一部、ブルックナーの意図か明らかではない部分はカットしているとのこと。かなりマニアックな話をしていた。なお、さりげなく東京シティ・フィルとブルックナーの8番の第1稿を秋に演奏することの宣伝を差し挟んでもいた。そして、もう一点が、開始時間を5分遅らせたくて話をしたとのこと。理由は、定時に開始すると、1時間後が丁度3楽章のクライマックスの後の静かなところを演奏している頃になるのだが、そこで携帯や腕時計の時報のアラーム音が鳴ると興覚めだからとのことである。確かに、一番いいところで、アラーム音が各所で鳴るのは嬉しくない。先立つ三島公演でも鳴り響いたとのことである。

 

静響は客演奏者で増強はしていたが、かなりの部分を正式メンバーで揃えていた。東京都、神奈川県と愛知県の中間にある静岡県であれば、それなりにメンバーは揃えられるのだろう。初めて聴いた静響であるが、演奏はというと、(申し訳ないのだがそれほど期待していなかったところもあり)想像していたよりもレベルは高く、期待していたよりも熱演ではあったが、まだまだ克服すべき課題もあるように感じられた。

 

全体的な印象としては、高関の指導もいいのであろうが、弦楽器は一所懸命歌っているし、表情も豊かである。アンサンブルも悪くはない。ただ、個々の奏者の音色の方向性がバラバラなところがあり、まだ、楽団としての音色の特徴、統一感までは出ていないようである。他方、木管楽器は少々こなれていないところがあり、パッセージを吹くのにもたついたり、アンサンブルがバラバラになったりしている部分が散見された(特に木管アンサンブルが吹き始めるところが揃わないことが多いのが気になった。)。特に、ホルンのアンサンブルは、かなり微妙に感じられたところが散見された。ホルンに限らず、前日に大雪が降ったりしたこともあり、楽器のコンディションが悪かったということもあるのかもしれないが、アンサンブルの精度に課題を感じたところはあった。金管楽器はかなり馬力があり、力強く、また、金管楽器内の音量バランスはよく取れていて、ハーモニーも美しかった。ただし、他の弦楽器や管楽器のパートとのバランスが悪く、金管が活躍する部分では、他のパートが聴こえなくなってしまうところの評価が難しい(ややブラスバンドのノリ)。ティンパニは大人しくもう少し力感が欲しい。全体のアンサンブルについては、もう少し練る余地は感じられた。

 

1楽章は東京公演ということの緊張感なのか、まだ楽器が温まっていなかったのか、少し硬さがある演奏になっていたが、楽章を追うごとに音色もアンサンブルも良くなっていた。テンポは中庸なものながら、ブルックナーを振る時には遅めのテンポで丁寧に描き出す傾向の強い高関としては、気持ち速めの印象がある。オーケストラの音色自体はどちらかというと色彩感があるというよりはモノクロなものなので、瞬間瞬間の音を響かせるよりは、ブルックナーのスコアを読み解いて、曲の構造をクリアに示すため、音楽の動きにフォーカスしていたように感じられた。その結果、高関指揮のブルックナーを聴く際に時々気になる、丁寧過ぎて音楽が停滞するということがなかった。楽団の性質を考えて解釈を調整しているのであろう。経験豊かな高関の真骨頂はこういうところにもあるのかもしれない。

 

1楽章は中低弦が音色も整っており表現も落ち着いていたが、ヴァイオリンのアンサンブルと音色が落ち着くのに少し時間がかかっていたように感じられた。また、各パッセージを弾いた後に余韻を残さずに次のパッセージに移っているところがあり、その辺が、高関指揮にしては前に進んでいくような解釈になっていた所以かもしれないが、ブルックナーに特有のオルガンのような響きは出ない。先にも書いたが、金管が強力なので、比較的小さめの東京オペラシティコンサートホールでは金管が入ってくると、少しノリがブラスバンドのようなところがあることもあり、金管の音だけでホールが充満してしまう。そこを迫力があると感じるか、バランスが悪いと感じるかはブルックナー観によるだろう。

 

2楽章は動きがある楽章ということもあり、音楽の流れに乗ったオーケストラがかなり一体感を持って演奏していた。中間のトリオ部分もいい雰囲気を出していた。そして、アラーム音を警戒してまで臨んだ3楽章であるが、楽章が始まる前にチューニングも行って万全の構え。この楽章はかなりしっかりとした足取りでじっくりと演奏していた。ハープの音が効果的に鳴るように音量を調整するなど、高関らしい綿密なスコアの検討の結果がよく表れている。盛り上がるところは金管の馬力を活かして豪快に鳴らして起伏を大きく作っていた。幸い、アラーム音が目立つこともなく無事に最後まで聴けた。深みがあるかというともう少し突っ込んだ表現ができるのではないかという印象もあるが、かなり力の入った演奏であった。

 

最後の4楽章は、金管が豪快に鳴り響く快演であった。弦楽器の音色も練れて来て、一番安定したアンサンブルとなっていたが、金管の強さに対し、木管楽器がもたもたしているところや、ホルンの曖昧な発音が目立つところなど、パート毎の練度の違いが気になる場面もあった。この楽章の場合、元々行進曲風の勢いのある楽章なので、そのままでもその爆音で楽しめるのだが、3楽章までの緊張感を吹き飛ばすように開放感すら感じさせるノリで力一杯弾いていたが、その一方で全体的に少し一本調子になっていた気もするところであるが、これはオーケストラの課題なのか、高関の解釈上の課題なのかはよく分からない。もっとも、コーダはかなりの迫力で、最後まで金管がばてることなく吹き切っていた。

 

客席の反応は上々であったし、熱演であったと思うが、この大曲を弾きこなすには、まだ少しオーケストラの練度に課題があるようにも感じられた。今の形になったのが2020年という新しいオーケストラではあるが、その前身の静岡交響楽団は1988年設立だという。高関の下で、これからもしっかりと経験を積み、アンサンブルや音色を練り上げていってもらいたい。