ロシアのウクライナ侵攻直後はロシアの作曲家の曲を演奏することに対する躊躇があった時期があった。特に槍玉に挙がったのがチャイコフスキーの「1812年」であったが、ポーランドではムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の上演が中止されたりといったこともあったらしい。その後、ロシアの作曲家に罪はないということなのか、チャイコフスキーが忌諱されることもなくなり、普通に演奏されている(そして忘れっぽい世間は、ウクライナ侵攻についてもあまり報道もされなくなり、その世界的な関心も徐々に薄くなってきているように感じられる。)。我が国唯一の常設オペラハウスたる新国立劇場も普通にチャイコフスキーのオペラ「エウゲニ・オネーギン」を取り上げた。正直、あまり関心はなかったのだが、知人にこれは行く価値のある公演かと質問されたことや、その際に見直したら、「ボリス・ゴドゥノフ」でボリスを得意とするツィムバリュクが出演するというのを発見し、急に気になってきていたところ、初日にたまたま職場を定時で出られたので、当日券で観てみた。

 

1月24日(水)新国立劇場

チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

タチヤーナ エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン ユーリ・ユルチュク

レンスキー ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵 アレクサンドル・ツィムバリュク

アーリナ 郷家暁子

フィリッピエヴナ 橋爪ゆか

ザレツキー ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ 升島唯博

隊長 成田眞

新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)

ヴァレンティン・ウリューピン/東京交響楽団

 

チャイコフスキーは幾つもオペラを書いているが、有名なのは「エウゲニ・オネーギン」と「スペードの女王」くらいである。ゲルギエフがマリンスキー歌劇場と行った一連の録音で、「マゼッパ」や「イオランタ」なども聴きやすくなったし、ロシア・オペラを得意とするキリル・ペトレンコも「マゼッパ」などを取り上げているので(「マゼッパ」にはネーメ・ヤルヴィの名録音もある。)、今後、他の作品にもより光が当たる可能性もあろう。もっとも、一般的な歌劇場のスタンダードなレパートリーに入っているというと、「スペードの女王」以上にこの「エウゲニ・オネーギン」が圧倒的に多いのではないだろうか。

 

「エウゲニ・オネーギン」はプーシキンが原作となっている。田舎の文学少女タチヤーナが、ちょっと斜に構えたやさぐれ気味の青年オネーギンに一目惚れして恋文を書くが、相手にされず、その後、オネーギンは軽率な行為の連鎖の結果、友人のレンスキーを決闘で殺してしまい、海外を放浪するなどし、久しぶりにロシアに戻ってきて参加したパーティーで公爵夫人となったタチヤーナに再会する。ここで再会した二人の恋が燃え上がり不適切な関係に発達するとドロドロのスキャンダル話になって、どちらかといえば、ヤナーチェク向きのテーマになるのだが、タチヤーナは少し心は動くものの、毅然たる態度でオネーギンの求愛を撥ね付ける。儚い初恋の思い出は、美しいままに永遠にということだ。

 

そんな青春群像であるが、新国立劇場のプロダクションはどうだったか。演出はロシア出身のドミトリー・ベルトマンという人だが、ストーリーそのままの演出であるが、淡い色に統一された舞台装置は美しい。衣装もそのままな感じであるが、主要な登場人物が舞台で浮かび上がるように、少し強い色合いの服を割り当てている。演出家の主張も、読み替えもない、物語を素直に表現した分かりやすく美しい演出である。

 

指揮のウリュービンはウクライナ出身の人で初めて接した。手際よく音楽を進めていくが、初日だったこともあるかもしれないが、東響とまだ練り上げられていなかったのか、コミュニケーションが十分に取れていなかったのか、アンサンブルの緩さが目立った。抒情野的なところで曲の雰囲気を作り出すところは悪くないのだが、全体的には曲をそのまま流している印象があった。他方、気合が入り過ぎたのか、解釈なのか、第2幕のポロネーズの部分などテンポが速すぎて落ち着きがなく、合唱が歌いにくそうだったし、第3幕のグレーミン公爵家の晩餐会の場面もテンポが速すぎてせかせかした落ち着かない雰囲気になっていたのが残念であった。

 

歌手の中ではオネーギン役のキーウ出身のユルチュクは低めの朗々たる歌唱で主役としての存在感を出していたが、歌は声の良さに少し頼ってしまっていて一本調子なところがある。オネーギンの若者らしい(偉そうにしているが、この人物は作品の最後の段階でも26歳である。)、心の動きをもう少し表現してもらいたかったように思う。最後にタチヤーナに言い寄り、拒絶される部分ももう少し思い入れたっぷりに歌うともっと劇性を高めるだろうにと少し残念であった。

 

善戦していたのはレンスキー役のロシア生まれのアンティペンコで、艶のある声をイタリア・オペラかのように鳴らしながら、血気盛んで、少し思慮の足りない若者を熱演していた。オリガ役のゴリャチョーワもコケティッシュな演技も上手で、内気な姉と違う活発な女の子という雰囲気がよく出ていた。

 

タチヤーナを歌ったロシア出身のシウリーナは凛とした声がなかなか魅力的であり、小柄で内気な少女に扮するにはほどよいが、一所懸命歌っているのは分かるが、手紙の場面など一人舞台になると、歌の一本調子なところが気になる。また、グレーミン公爵夫人になった後の演技などで、成長して素敵なレディになった感じがせず、もう少し夢見る少女と貴婦人の演じ分けがあったら良いのにと思ってしまった。そこまでオーラのあるタイプではないのだろう。

 

歌手の中で圧巻だったのはグレーミン公爵役のウクライナ出身のツィムバリュクで、アリア一曲しか歌わないのに、圧倒的な存在感で、表情も実に豊かで、一流の歌手とはこうしたものだなと思った。もっとも、よく考えると、まだ未熟な若者達に、まだ成熟したとはいえない洗練されていない歌手を充て、唯一の「大人」であるグレーミン公爵に、深みのある歌手を充てるという高度に考え抜かれたキャスティングなのかもしれない、若くて経験のない俳優を主役級に立てつつ、脇役はベテランで固められた映画やドラマのように。とりあえず、このツィムバリュクの1曲を聴くために行ったようなものなので、満足する形で目的は達せられたのは良かった。

 

その他の歌手の中では、乳母役の橋爪ゆかが演技も歌も勘所を押さえた上手なものであったし、トリケを歌った升島唯博がコミカルな演技を体当たりでやっていたし、タチヤーナを称える歌もきれいに声を響かせていた。この二人は敢闘賞ものである。

 

この曲の場合、合唱はそこまで活躍しないが、もちろん、新国立劇場合唱団もいつもながら精度の高い合唱を披露していた。

 

とはいえ、主役級の歌手がロシア・ウクライナ混成部隊で指揮者もウクライナ人という陣容で、日本でロシアのオペラをやっているというのが不思議な感じもする。極めて標準的な水準のオペラを観たという印象であったが、テレビカメラが入っていたので、NHKかどこかが将来放映するつもりかもしれない。