1月の読響は常任指揮者ヴァイグレが振る演奏会が続く。定期演奏会では、ヴァイグレが得意なワーグナーやR.シュトラウスに、若手ヴァイオリン奏者のロザコヴィッチを迎えてのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲という正統ドイツ・プログラムが取り上げられた。意外に好きな「リエンツィ」序曲と意外に実演で聴く機会が多くはない気がする「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いてみようと足を運んでみた。

 

1月16日(火)サントリーホール

ワーグナー 歌劇「リエンツィ」序曲

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(独奏:ダニエル・ロザコヴィッチ)

R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

セバスティアン・ヴァイグレ/読売日本交響楽団

 

バイロイトで上演されるのはワーグナーの作品の中でも、ワーグナー自身が認めた「さまよえるオランダ人」以降に書かれた作品でああるが、その前に作曲された作品の中では最も規模が大きく、時折上演されることがあるのが歌劇「リエンツィ」である。特に序曲は演奏されることも多く、若書きとはいえワーグナーっぽさが濃厚な曲であり、割と好きな曲である。

 

バイロイトでも活躍し、ワーグナーを得意としているヴァイグレは暗譜で指揮していたが、演奏は、最初のトランペットが少し緊張気味で始まったし、最初はオーケストラが温まっていない感じで少しぎこちない印象もあった。ヴァイグレは、ゆったりとしたテンポで雄大に音楽を作ろうとしていたようであるが、雄大になるよりもむしろ音楽が前に進む力が弱くなっていて、音楽の流れが停滞してしまっていた印象であった。あまりオーケストラの響きも整理していないので、全体的に軽く流しているような演奏になっていた。良くも悪くも、基本的に楽譜のとおり音楽を段取り良く鳴らしていくことが求められるオペラ・ハウスでの仕事の多いヴァイグレらしいが、折角の序曲なので、もう少し指揮者の解釈が入ってもいいように感じられた。少々期待外れに終わった。

 

続いてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲となる。独奏者はダニエル・ロザコヴィッチで2001年にストックホルムで生まれたという若手である。既に、DGに録音をしているとのことであり、今回取り上げたベートーヴェンの協奏曲をゲルギエフ指揮するミュンヘン・フィル(今となっては幻の組み合わせになってしまった。)と、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をスピルヴァコフ指揮のロシア・ナショナル管と録音しているらしいが、いずれも未聴で、今回初めて接する奏者である。登場したロザコヴィッチは痩身長身の若者で、長身ながらかなりお腹回りに貫禄のあるヴァイグレと並ぶと対照的な印象である。

 

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は管弦楽部分の比重が大きいが、ヴァイグレは、あまり拘りを見せずに淡々と流していく。ロザコヴィッチのヴァイオリンは、そこまで美音というわけではないが、ベートーヴェンの曲に寄り添うような素直な解釈で、瑞々しく丁寧に歌っていく。抒情的な表現には優れたものがあるが、とても清潔感があり、歌い回しなどもやり過ぎる感じがしない。非常に自然体の演奏である。最近の奏者であれば、この曲についてはカデンツァに拘る人も多く、特に、ベートーヴェンがピアノ協奏曲として編曲した際に作曲したカデンツァをヴァイオリン用に編曲した版を使う人なども増えてきているが、ロザコヴィッチは有名な、確かクライスラーのカデンツァを弾いていて、そういったところでの自己主張もない。研ぎ澄まされた解釈でも、尖った解釈でもなく、非常に素直な解釈であるが、中では2楽章の抒情性が、演奏と曲の特性が合致して美しかった。読響の弦楽セクションがソリストとよい意味での化学反応を起こしていたように感じられた。他方起伏に乏しい1楽章の演奏は途中から少々マンネリ感があり、3楽章も丁寧に演奏されていたが、迫力に欠けていてややパワー不足の感があった。この人は抒情的な音楽に適性があるように感じられたが、アンコールで演奏されたバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ1番の1楽章は、強奏を使わず、弱音を駆使して、ひたすら抒情的に遅いテンポで弾いていて、最初は不思議なバッハだと思ったが、その解釈の徹底ぶりに、一つの確固たる音楽世界を作り出していて興味深かった。ある意味軟弱な演奏なのかもしれないが、徹底して軟弱の美学を追求しているので、それはそれで面白い。そう考えると、ベートーヴェンも一貫した解釈であったのかもしれない。なお、客席はベートーヴェンの協奏曲から熱狂的な反応であり、立ち上がって拍手する人も散見された。よほど気に入ったのか、応援団がいるのか、案外こういった音楽を好む人も多いのかもしれない。

 

後半はR.シュトラウスの「ツァラトゥストラ」である。大編成の管弦楽団に多数の打楽器、オルガンまで動員される大曲であるが、冒頭が有名な割に、全曲を聴く機会は決して多くないように思う。管弦楽法の大家でらうシュトラウスの音楽であれば、放っておいてもかなりスコアとしては鳴るであろうが、こういう曲になると、指揮者も手練手管を用いて、音楽を盛り上げたり、整理したりしたくなりそうだが、ヴァイグレの指揮は、とにかく楽譜をそのまま豪快に鳴らしたようなもの。有名な冒頭部分など、もう少し方向性を持って盛り上げてもいいように思われたが、あっさりと済ませてしまう。もしかすると、音量バランスも含めて調整しまくった録音で聴き親しんでしまったせいで、実演での音響バランスにかえって違和感を持ってしまったのかもしれない。もちろん、その後30分続く巨大な交響詩であるので、冒頭からそんなに頑張らないというのもあるのかもしれない。

 

他方、その後も、基本的にはシンプルな解釈で、シュトラウスの精緻に書き込まれたスコアを分析することなく、基本的に豪放磊落に鳴らし続けた演奏で、読響のパワーはよく分かったが、豪快ながら、ちょっと未整理な印象のある演奏であった。コンサートマスターの林悠介のソロはとても美しく艶のある音色で素敵であったし、トップサイドとのデュオ的な部分もしっかりと聴こえて来て良かった。

 

結局、ヴァイグレという人は良くも悪くも、楽譜を解釈でいじることなく、そのまま手際よく鳴らしていくという手法の人なのだろう。スクロヴァチェフスキやカンブルランといった比較的分析的な解釈を深める指揮者と共演してきた読響が、ヴァイグレのような指揮者の棒で喜んで弾いているのは不思議な気もするが、案外、演奏する側は気持ちよく弾ける棒なのかもしれない。威勢はそれなりに良いが、ちょっと漫然とした印象の残る「ツァラトゥストラ」を聴き終えて、何となくもやもやが残りつつ帰路についた。