ロボジーを観て思った事 | アオタケ囲碁通信

ロボジーを観て思った事


親が借りてきたDVDでロボジーを見ました。


内容を一言で言うと、ロボットスーツを来ながら
高性能なロボットのふりをして頑張るおじいちゃんと、
その周辺の人々を巡る青春映画です。


これを観ていると、
自分の老後の生活の事を嫌でも考えさせられますが、
たった一人で生きていくのは考えられないですね。


僕らはたまたま若い世代に囲碁の普及活動をしているけれど、
本当に囲碁が必要な人達って、若い世代よりもむしろ
この映画に出てくるような、仕事を辞めた世代の人とか、
一人暮らしの人とかじゃないでしょうか?


高齢者が持つ悩みって、今までピンと来なかったけど、
この映画の主人公のおじいさんみたいに、
地域のコミュニティがあっても
性格が内気な人、みんなとワイワイやるのが
苦手なタイプの人は必ずいるはず。


また、僕は今一人で生活しているけれど、
20代の場合と、50代60代の一人暮らしの意味は全く違う。
寂しさも将来に向けてのイメージも、大分差があると思う。



だから、囲碁をやっていたり囲碁のコミュニティが
あるだけで救われる人達は、高齢者の中にも
たくさんいるんじゃないだろうか?


囲碁が弱くて強くなりたい、囲碁を覚えたいという動機は
満たされなくても大したストレスにはならないけれど、
囲碁をやるやらないで、自分が何かのコミュニティに
属することができるかどうかが決まる状況ならば、
どんな手段を使っても、どんなに金を払ってでも
解決したいと思う人だっているんじゃないかと思う。


若い人で碁が強くなりたいという動機も、
突き詰めれば「何かに属していたい」
という動機であることが多いです。


誰かとハンデ無しの対等な関係になりたいとか、
○○碁会所や○○サークル、
○○チームに属していたい、とか。


人からの承認欲求・権威欲が強い人にとっては、
それこそ、囲碁が周りの人より強いかどうか、
囲碁自体を続けられるかどうか程度のことでも、
人生の死活問題になってくることが予想されます


だから、碁を人に教える事っていうのは、
相手の状況次第では、かなりの価値が
生まれることなんです。


その人が将来、何に属し続けられるか、数十年後に
人と繋がる手段を持てるかどうかが決まるのならば、
僕らがボランティアや仕事として
人に碁を教える価値は、絶対にあると思います。





気持ち的に引っかかるのは、
「高齢者の中には、寂しい人が多い」
という前提が、僕の個人的に立てた仮説であること。


実際の状況を知るためには、何かの場で
高齢者の方と実際に関わって、話を聞いてみたり
実際に自分が同じような生活をしてみる必要があります。


例えば、インターネットを全く使えなくして、
携帯電話を全く使わない状態にして、
使える金を年金の支給額相当にして、
一ヶ月~三ヶ月生活してみたとしましょう。



少なくとも、僕だったら、猛烈に寂しくなります。
実家や特定の相手に、頻繁に
電話をかけるようになるかもしれません。






あと、すっげえ話題反れますが、
吉高由里子の劇中のオタクっぷりは良かった。
囲碁にもあれくらいハマってほしいものです。