TASUKU(たすく)です。
今回はイマジナリーフレンドとぬいぐるみのお話。
やあ、おばけくんだよ。
このブログは自閉スペクトラム症当事者である
TASUKUの内面世界をひたすら紹介しているよ。
詳しくは初回記事へ。
宇宙人くんもときどきコメントするよ~。
いつも一緒の安心感
2008年8月23日。ぼくの大切な "弟"・"くまくま" の誕生日。
これが当時の"くまくま"だよ。
その日、家族で出かけたテーマパークで出会ったクマのぬいぐるみのことです。
祖母と電話で話したとき、「弟ができたよ」と言って驚かせたり、2018年には10歳のお祝いをしたり、本当に家族みたいに想ってきました。
ちなみにその数年後、"まくまく"という弟分も誕生したよ。同じく、クマのぬいぐるみ。
今の例は少し大げさだったかもしれませんが、ぼくは"くまくま"との出会い以降、ぬいぐるみたちに心を寄せるようになりました。
こちらのタコのぬいぐるみは、大人になってから買ったもの。
こうした大きなぬいぐるみを見ると、一緒に眠ったり抱いたりするだけではなく、なんとなく話しかけてしまいます。
"くまくま"を弟に見立てるくらいだから、話しかけるなんて当たり前のような気もしますが、ある日、ふと疑問に思いました。
「どうしてぬいぐるみを見ると、こんなに話しかけてしまうのだろう」
イマジナリーフレンドと関係があるのかな?
2-3歳の頃、ぼくには他の人たちには見えない友だち、"イマジナリーフレンド" がいたようです。
イマジナリーコンパニオンという言葉で、発達心理学の文献に登場することがあるよ。
その友だちはぬいぐるみとは違って物理的な身体は持たず、ただぼくにその存在が感じられていました。かくれんぼをしたり、じゃんけんをしたりして遊んだ思い出があります。
映画『インサイド・ヘッド』に出てくるビンボンのような空想の生き物とは異なり、ぼくの場合は人間でした。
このエピソードと、ぬいぐるみへ特別な感情が湧くこと。どちらも主観にとって自然発生的で、ごっこ遊びとは異なるものがありました。
安心感をえられるという目的の共通性から考えてみても、ぼくのイマジナリーフレンドとぬいぐるみの擬人化には、同じ原理が働いているのかもしれない――そんなふうに思えてきます。
研究の中では、目に見えないものをイマジナリーコンパニオンと呼び、ぬいぐるみを含めない場合もある一方、想像上の友だちとして扱われていれば含めるという立場もあるみたいだよ。
再び空想の世界へ
ぼくは(ぼくにとっての)現実の中でぼくだけに見える友だちと遊んだり、ぬいぐるみとコンタクトを取ろうとしたりしてきたけれど、これらは客観的には "想像上の"と呼ぶべきものなのだろう。
その想像の世界をそのまま他者と共有することは難しいかもしれないけれど、自発的に物語を紡いでいけば形にできることが増えると思います。
この記事を書いているうちに、自分の中だけで終わりにしたくないという気持ちが強いのだと感じたTASUKUでした。
ここまで読んでくれてありがとう。
いいね、コメント大歓迎~!
「想像力」はぼくが人と関わる上でもっとも大切にしていることの一つでもあります。
今回も読んでくださりありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。TASUKUより