TASUKU (たすく)です。
今回のテーマは音楽。今日は何を聴こうかな~?音楽の中でも、ここではいわゆるポピュラー音楽を聴くことについて語っているよ。
↑宇宙人くんのコメントもよろしくね。やあ、おばけくんだよ。このブログは自閉スペクトラム症当事者であるTASUKUの内面世界をひたすら紹介しているよ。詳しくは初回記事へ。
「心が震える」をやめられない。
音楽の聴き方もさまざまあると思うけれど、ぼくは概ねCD→mp3→ストリーミングの順に通ってきた世代であり、スマホを手にしてからはYouTubeやSpotifyでガンガン気に入った曲を繰り返し聴いている。MDは一枚だけ持っていたよ。スマホを買ったのは2016年頃だけれど、3DSでYouTubeを観たこともあるよ。そしてラジオやテレビで流れてきた曲を聴くよりも自分の端末でポチっと再生して聴くことのほうが多いよ。
新しく曲を知るきっかけは、近頃だとアニメやドラマ経由だったり、既に推しているアーティストの新曲としてだったり、自作でないプレイリストを再生していたら……だったりします。そもそもあるアーティストをどうやって推すようになるのか?についてもいくつかパターンを持っているよ。例えば子どもの頃、カーステレオで家族が聴いている曲を無差別に聴くうちに染み付いた好みもあるし、自分から興味を持ってプロフィールや過去の作品を漁るうちに、という場合もあるよ。
そして「歌詞」「歌声」「メロディー」「楽器」「伴奏」「コード進行」など、音楽を聴くときに意識が向きやすい先という意味での「聴き方」について考えてみると、ぼくはどうやら、(あえていずれかの要素について分析してみようとする場合は抜きにして)そこそこ楽曲全体に注意がはたらいているようなのだけれど、「聴いている最中に湧き出てくる感覚」を鑑賞しているという言い方もできるかもしれない。
私は春を見る
米津玄師 作詞 / 作曲
『さよーならまたいつか!』より。
このように特に好きな一節を挙げることはできるが、本当にこの曲を繰り返し聴きたい気分にさせているものの正体は、この曲を聴くと響く、自分の心ではないだろうかと思った。
ポエムな表現をつかってみたけれど、要するに、「ここがいい、ここもいい、とパラパラと箇条書きできるよさより多くのよさ」、複合的な何かに対して「好き」と感じることができ、その感じたままをまた「好き」になっているということが言いたかったんだ。その感覚だって、通常の五感で、到底言い表せそうにない……もちろん、そんな中でも誰かに伝えたいと思えば、一生懸命言葉にしている。
数分間でこんなに満足できるものを他に知らない……。この記事のタイトルを思いついたのも、好きな曲を聴いている最中のことだよ。
星野源の『生命体』を聴いているときに、「響いてるな」とセリフめいたことを思わず呟いてしまったんだ。
「この感覚に浸りたいから、この曲を聴こう!」
そんな動機を常に感じて、今日も再生ボタンを押していきます。カラオケで歌いたい曲を決めるときにも同じ原理が働いているよ。
ここまで読んでくださりありがとう。いいね、コメント大歓迎~!