クリスチャン以外にも読んでもらいたい聖書物語 -8ページ目

クリスチャン以外にも読んでもらいたい聖書物語

世界には多くのクリスチャンがおられます。様々な教会があり、様々な聖書解釈があります。これから描いていく聖書物語は、人間から見た聖書解釈ではなく、あくまでも神様の目的や視点から見た聖書解釈であり、そこから知り得た人間の責任について書き綴っていきます。

 

 

 

イエスは意的教育もされた。死線を越える覚悟がなければ悪魔には勝てないことを教えようと試みられた。
ルカによる福音書9:23
それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。
3.5年の歳月は瞬く間に過ぎ去ろうとしていた。イエスは、ペテロがHOW代表としてどんな悪魔の攻撃にも耐えて勝利できる弟子として確立したかどうかをいつも考えていた。しかしその確信をもつまでには至っていなかった。
弟子がイエスの前で喧嘩を始めた。
「イエス様が天国の王座につかれたら私の次の席に座る。」
それを聞いた他の弟子は抗議した。
「私こそイエス様の次の席だ。」
この喧嘩を見ながらイエスは愕然として言われた。
「お前達は考え違いをしている。もし偉くなりたいなら仕える者になりなさい。私が来たのは仕えられるためではなく、仕えるために来たのである。」
真意がほとんど通じていない弟子を前に、どうすることもできないイエスだった。
定められた時は満ちようとしている。しかし弟子の基盤は確信できない。イエスは深刻な事態に直面した。
イエスは運命をかけた最後の挑戦に踏み切った。
ヨハネによる福音書6:55
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。これは、イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。このユダは、十二弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

イエスの肉を食べ血を飲むという意味は、イエスと一体となって神の子となりなさいという奥義を持っている。イエスは理解しがたいメッセージを与えながら、弟子の洞察力とイエスに対する信頼の深さを確かめようとされた。しかし多くの弟子がイエスにつまずき、その後行動を共にしようとはしなかった。12人の弟子の中ですら悪魔に心を奪われた者がいることを示していた。この時点で弟子120人版図は崩壊し、70人版図も崩壊した。イエスと運命を共にするとペテロは明言した。しかし、ペテロが悪魔の総攻撃を超えるだけの覚悟ができていないことをイエスは見抜いていた。
イエスは覚悟を決めなければならなかった。
バプテスマのヨハネに続いてペテロまでも、イエスを捨てて逃げ出すようなら、もはやイエスに選択の余地はない。残された道は異邦摂理へ移行するしかなかった。ペテロがどのような道を選ぼうともイエスだけは悪魔の侵入を防がなければ、第三のトライアングル出発のHOWゼロ位置を確立することができないことをイエスはよく自覚していた。
イエスは最後の勝利に希望を抱きつつも、その行動はイエス亡き後の準備に重心が移動していった。
最後の晩餐の時が来た。イエスは12弟子と共に夕食の席を設けた。
つづく

ここまで読んで下さりありがとうございます。なにか意見感想などございましたらぜひコメントお願いします。今から2000年も前のイエスの言葉が現在の私達の心を震わせます。多くの預言者や宗教家が登場しましたが、イエスほど神様の真意を理解した方はおられません。私達人間は神様の深い愛情によってこの世に誕生しました。その神様の心の真意を理解するには、神の一人子であるイエスの言葉に学ぶことが重要であると思います。未だに世界中から殺人や戦争が絶えないのは、私達人類が神様の愛情を見失ってしまったからではないでしょうか?それでも私は日本人の心には神様の愛情が失われていないことを確信します。世界中の人が日本人の争いを好まない姿勢、利他のことをまず考える行動、団結心、助け合いの精神に驚愕している事実があるからです。この日本人が本来持っている助け合いの精神を神様の心に繋げるための活動をしています。聖書は単なるキリスト教の教えに留まらず、日本人の、いや全人類にとって人生の哲学書としての役割があります。私達が生まれてきた意味、人生の目的、生きる意義を聖書全般を通して教えて下さっています。これからも神様の人間に対する期待と願いを一緒に学んでいきたいと思いますのでよろしくお願いします。