近づく母を見てイエスは言った。
「女よ、私とお前と何の関わりがあるか。私の父母、兄弟とは神様を愛し神様の願いに生きる者のことである。見よ、ここに父がいる、ここに母がいる、ここに兄弟がいる。」
イエスは、イエスを慕って集まった他人を指して父母であり兄弟であると言ったのだ。ヨセフとマリアに間にはその後6人の子が生まれたが、イエスは、父ヨセフ、母マリア、そしてその兄弟に対して、積極的に神様の願いに生きた人とは評価しなかった。
ここにもイエスの人知れぬ苦しさがあった。イエスの偉大な愛のルーツを家族の中に見出すことはできなかった。
寂しい環境の中で育ったイエスだったが、その魂は磨かれ、その心はぐんぐんと神様に近づいていった。イエスは自然の中で神様と語り合い、人々に不幸の中に神様の嘆きを知り、直接の対話の中に複雑な事業を悟るようになった。
イエスは心の内で言った。
「神様は私の父なのだ。世の中にはいろいろんな人種がおり、神々を信じたり、全能の神だとか、恐怖の神だとか、万軍の主だとかいろんなことを言ったりしているが、どの呼び方も私の心には全くなじまない。神様は宇宙の造り主だが、ただ力に溢れた技術者ではない。もっと近く、もっと親密で、もっと優しく、もっと深い愛のお方だ。どう考えても私の親であり、私の父だ。「お父さん」この言葉以外に私の心を納得させてくれるものはない。」
イエスは考え、求め、心の中で必死に叫んだ。成長の段階に応じて疑問が生まれ、成功の段階に応じて解答を得た。
「宇宙とは何は、そもそも宇宙の成り立ちはどうなっているのか
。人間の生まれてきた目的はどこにあるのか。どうして人間はその本姓においていけないと思いながらも悪に弱いのか。なぜ人は殺し合うのか、なぜ戦争をするのか、なぜ貧富の差があるのか、なぜ支配する者と支配される者があるのか、なぜイスラエルは巨大帝国ローマの奴隷になっているのか。そもそも奴隷制度はいつ、どうして始まったのか。どうして、どうして、どうして・・・。
動物は生まれ、成長し、子孫を残して去ってゆく。定められた運命に従って流れてゆく。彼らはなぜ、なぜとは考えない。しかし親子の法則に従って生まれてきた人間は、自己の存在に対して、なぜを追求することができる唯一の存在である。中でもメシヤとしての私は文字通り神様と親子の位置に立っている。その私が、なぜを追求すれば必然的に神様との出会いが深くなる。そして神様を深く知れば全ての疑問は解決する。私は貧しい家庭に生まれた。特別な学問は受けていない。しかし世の中の学問はHOWに偏った学問であり枝葉末節の学問だ。私は宇宙を創造した神様から本質的知識を直接学んだ。神様以上に正しい教師はいない。」
イエスは神様が父であることを確信した。そして神様に初めて声を出して語りかけた。
「我が父よ、私のお父さん、私はあなたの息子です。」
「父よ」と慕う心で語りかける声に、神様は激しくイエスを抱きしめた。肉体のない神様は自分に手がないことがもどかしかった。胸がないことがもどかしかった。もし手があれば、もし胸があればイエスの骨が折れるほどに強く抱きしめたかった。それでも、イエスは神様が自分を抱きしめていることを深く感じていた。間違いなく神様が父であることを細胞の奥深くまで実感していた。
神様は、遠く忘れてしまった心地よい言葉を今更のように思い出した。それは最愛の子供から「お父さん」と呼ばれることだった。アダムとエバから「お父さん」と呼ばれる度に舞い上がったあの時の、あの抱きしめたい衝動を思い起こした。自分が人類の父だったということを改めて思い起こしていた。あの頃は幸せな日々だったが、今や遠い思い出になってしまった・・・。
神様は心の中で言った。
「アダムとエバが去って以来、私の耳は耐え難い言葉しか聴いたことがない。私を否定し、私を冒涜する言葉だけが飛び込んできた。「我が子よ」といくら呼んでも応えはない。人間は私に関心すら示さない。私の子供は変わり果ててしまった。その心は邪悪に染まり、価値のない偶像を神だと言って慕う始末だ。
じっと耐えてきた私の耳にイエスはささやいた。「お父さん」この言葉に私は自分を抑えることができない。私は感動で爆発しそうだ。」
それ以来、父と子の心の交流は日常のこととなった。
イエスは父の深い愛が全宇宙に満ちていることを日増しに強く感じた。そして人間の犯した罪の重さをまた日増しに強く感じた。同時に父が宇宙の中で最も寂しく、最もかわいそうで、最も苦しいお方であることを知るようになった。かくも深い愛のお方がその愛のゆえに、人間に最高の位置を約束されたことが分かった。そのために人間に父と同格の創造者の資格まで与えようとされたことも分かった。そのための人間の責任分担、三大責任があることも分かった。三大責任は、使命完成、調和完成、敬慕完成を成し遂げなければならないことも分かった。どうして悲劇が始まったのか、歴史はどのようにして流れてきたのか、あらゆる事情が分かった。イエスは、神様が如何にイエスを愛しておられるかを悟った。歴史にはアベルトライアングルがありノアトライアングルがあり、アブラハム、イサク、ヤコブのトライアングルがあり、その後モーセトライアングル、ダビデトライアングル・・・、多くの戦いがあった。その間、一瞬もイエスの生まれる日を忘れたことのない父であることを知った。イエスを迎えるこの一瞬のために全力を注がれた父であることを知った。イエスは自分の価値がそんなにも大きく、自分にそんなにも重大な使命があること知った。イエスは涙が溢れてどうすることもできなかった。
イスラエルはローマの奴隷から解放して欲しいと神様を呼び救世主を呼び求めた。結局は自分の都合しか考えていない。しかし本当に救ってあげなければならないのは、私の父だと考えるようになった。父を救うために人類を救わなければならないのだと知った。父に何かをして欲しいなんて死んでも言えないと思った。放蕩息子をかかえて苦しんでいる親を救えるのは放蕩息子自身だ。我が子を失って苦しんでいる父を、金、銀、財宝で救えるだろうか。私の使命は、父のふところを離れて勝手なことばかりしている放蕩息子を正しく導いて父のもとに連れて帰ることだと決意した。それ以外に父の心を耐え難い苦痛から解放する道はないと確信した。
つづく
