ミカエルは神様に質問した。
「ご主人様、あなたはいつも義人を探しては責任者に任命されました。しかし今回は迫害者として有名なサウロを選ばれましたが、何か理由があるのでしょうか。」
神様は答えて言われた。
「上層部摂理に失敗すれば下層部摂理に移行することは知っている通りだ。しかしこの二つの摂理はあくまでも過去の基盤を前提としている。詳しく説明しよう。ヤコブが初めて善の天使の出発点となった。その版図を拡大しつつHOW99の位置を目指して歴史は流れてきた。バプテスマのヨハネはその2000年の基盤を受け継いだのだ。だから彼はイエスと一体となるだけで過去の2000年を生かすことができた。しかしバプテスマのヨハネが失敗すると再度トライアングルを作り直さなければならなかった。しかし作り直しといっても基盤となる舞台はあくまでもイスラエル民族だった。つまり選民の中での作り直しだったと言える。しかし下層部まで失敗した時はそのイスラエル自体が悪魔のものとなる。もはや過去の基盤は一切意味を持たないことになる。私は全く新しい摂理を開始しなければならない。それが異邦摂理だ。この時点では全人類が同じ位置に立つことになる。善人でも私の目的に合わなければ用いることはできない。悪人でも悔い改めて私の目的に一致すれば摂理を担当することができる。異邦摂理では本人が望みさえすれば、そして私の目的に一致すれば誰でも摂理を担当できるのだ。」
サウロが大迫害者から大いなるイエスの大伝道者に変わったいきさつは次のようなものだった。
使徒行伝 9:1
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
この体験からサウロは回心し、名前をパウロと変えて生涯イエスを宣べ伝えることに専念した。このパウロの働きがなければローマ帝国を凌駕し世界版図を築くことはできなかったかも知れない。こうして新しい選民クリスチャンを中心として異邦トライアングルは出発した。ヤコブからイエスまでの歴史とイエスの復活以降の歴史は再現清算の公式によって同じ道を辿る。版図がより拡大される点が違うだけである。まさしくエジプトでイスラエルが400年虐待を受け、殺されながらも着実に版図を拡大したようにクリスチャンも同じ運命を辿った。クリスチャン達はローマ帝国の凄まじい迫害に遭遇し殉教した。しかし彼らは讃美歌を歌い、感謝の言葉を残し、その敵にさえ許しの言葉を残して死んでいった。
地下墓地(カタコンベ)に教会を築き、コロセウム(闘技場)で大いなる辱めを受けてもひるむことなく、着実にその版図を広げていった。
悪魔はクリスチャンに言った。
「お前達はイエスのもとに帰りたいのだな。私の領域にいることがそんなにいやなのか。それならお前達の好きなようにするがいい。しかしお前達はイエスの枝になる。幹に対して私は肉体の所有権を勝ち取った。どうしてもイエスのもとに行きたいならお前達も肉体を私のもとにおいて行きなさい。イエスにしたように私はお前達を、耐えられない逆境に追い込む。イエスのいるパラダイスへ行きたいのなら死を覚悟するんだな。」
イエスは悪魔の作戦を知り尽くしていた。だから生前から教えられた。
「あなた方が拷問と迫害を受ける時、その拷問と迫害は私が既に通過したことを思い起こしなさい」と。
悪魔は全力を上げてクリスチャンを死に追いやった。
イエスに最も愛される位置に立っているクリスチャンが、イエスのゆえに最も悲惨な逆境に立たされた時、どのように考えどのように行動するかでその所属が決定する。即ち真理から離れず神様の絶対的愛を貫けば神様のものとなり、不平と不満に心を奪われれば悪魔のものとなる。これが運命を分ける公式だった。
火で焼かれ十字架の苦しみの真っ只中でクリスチャン達は考えた。
「私はクリスチャンだ。私はイエス様を受け入れ神様を受け入れた。私はイエス様の弟子として、イエス様の教えに忠実に生きてきた。今、私はイエス様を信じたことが原因でまさに死のうとしている。この苦しみの凄まじさを知れば知るほど、私の心は恨みよりも感謝に動く。この苦しみは私よりも先にイエス様が通過されたのだ。それにも拘わらずイエス様は愛の言葉を残された。何と深いイエス様の愛なのだろうか。私は苦しければ苦しいほどその愛の深さを実感する。私は決して負けない。どうぞ私を殺す者たちを許して下さい。彼らはイエス様の愛を知らず、何をしているかもわかっていないのですから・・・。」
霊界のイエスは言われた。
「わたしの愛する子供達、クリスチャンよ。あなた方は私を見て愛の生き方を貫こうとしている。しかし私にこの尊い愛を教えてくれた人は地上にいなかった。私は天にいます私の父から教わったのだ。私の生涯は父の辿られた悲惨さから見れば取るに足りないものなのだ。摂理は延長された。最後のチャンスは異邦トライアングルにかかっている。その責任はお前達にかかっている。私の伝統を受け継ぎ版図を拡大し、見事に神様トライアングルを完成するのだ。頑張ってくれ。私の悲願を成就してくれ・・・。」
聖書物語おわり
ここまで読んで下さりありがとうございます。なにか意見感想などございましたらぜひコメントお願いします。今から2000年も前のイエスの言葉が現在の私達の心を震わせます。多くの預言者や宗教家が登場しましたが、イエスほど神様の真意を理解した方はおられません。私達人間は神様の深い愛情によってこの世に誕生しました。その神様の心の真意を理解するには、神の一人子であるイエスの言葉に学ぶことが重要であると思います。未だに世界中から殺人や戦争が絶えないのは、私達人類が神様の愛情を見失ってしまったからではないでしょうか?それでも私は日本人の心には神様の愛情が失われていないことを確信します。世界中の人が日本人の争いを好まない姿勢、利他のことをまず考える行動、団結心、助け合いの精神に驚愕している事実があるからです。この日本人が本来持っている助け合いの精神を神様の心に繋げるための活動をしています。聖書は単なるキリスト教の教えに留まらず、日本人の、いや全人類にとって人生の哲学書としての役割があります。私達が生まれてきた意味、人生の目的、生きる意義を聖書全般を通して教えて下さっています。これからも神様の人間に対する期待と願いを一緒に学んでいきたいと思いますのでよろしくお願いします。
