愛情とは、いったい何なのだろう?
「愛」という言葉を、私たちは日常の中でよく使います。
家族への愛。
恋人への愛。
子どもへの愛。
友人への愛。
人類愛という言葉もあります。
けれど、
「では、愛情とは何ですか?」
と聞かれたら、どう答えるでしょうか。
優しくすること?
大切にすること?
相手のために何かをしてあげること?
どれも間違いではないと思います。
でも私は、愛情にはもっと根本的なものがあるように思うのです。
なぜ、わが子の笑顔を見ると嬉しいのだろう?
たとえば、親が小さな子どもにプレゼントを渡したとします。
子どもが包みを開け、
「わあ!」
と目を輝かせて喜ぶ。
その姿を見ている親も、嬉しくなります。
不思議だと思いませんか?
プレゼントをもらったのは子どもです。
親が何かをもらったわけではありません。
それなのに、子どもの喜びを見て、親自身も幸せを感じます。
なぜなのでしょう。
私は、ここに愛情の本質が表れているように思います。
人間は「人の喜び」を自分の喜びにできる
前回の記事で、
人間はどうしても「自分」という場所から世界を見てしまう、と書きました。
自分が得をすれば嬉しい。
自分が褒められれば嬉しい。
自分の願いが叶えば嬉しい。
これは自然なことです。
ところが、人間にはもう一つの心があります。
自分ではなく、誰かが喜んでいるのを見ても嬉しくなる。
子どもが喜ぶ。
家族が喜ぶ。
友人が喜ぶ。
自分の作った料理を「おいしい」と言ってもらう。
困っている人を助けて、「ありがとう」と言ってもらう。
そんな時、相手だけでなく、自分の心まで温かくなることがあります。
私は、
「相手の喜びを、自分の喜びとして感じる心」
これこそが愛情の大切な性質ではないかと思っています。
我欲と愛情の違い
ここで、これまで考えてきた「我欲」と比べてみましょう。
我欲は、
「自分が喜びたい」
というところから始まります。
愛情は、
「あなたに喜んでほしい」
というところから始まります。
しかし、ここがおもしろいところです。
「あなたに喜んでほしい」と思って行動し、相手が本当に喜んでくれると、
自分も嬉しい。
つまり愛情は、自分の喜びを否定しているわけではありません。
むしろ、
相手の喜びと、自分の喜びがつながっている。
そこが、我欲との大きな違いではないでしょうか。
愛情は「与える」だけではない
愛情というと、
「自分を犠牲にして相手に尽くすこと」
と思われることがあります。
しかし私は、少し違うと思っています。
一方がずっと我慢し続け、一方だけが喜んでいる。
それでは、いつか苦しくなってしまいます。
本来の愛情とは、
与える人も、受け取る人も、ともに喜べるもの
ではないでしょうか。
「あなたが嬉しいから、私も嬉しい」
「私が嬉しいことを、あなたも喜んでくれる」
そんな関係が広がっていけば、喜びは一人の中だけで終わりません。
人から人へ伝わっていきます。
愛情には「相手」が必要
ここで、もう一つ考えてみたいことがあります。
自分一人だけで、愛情を完成させることはできるでしょうか。
誰かを愛したいと思っても、愛する相手がいなければ、その愛情を表すことはできません。
優しくしたい。
助けたい。
喜ばせたい。
大切にしたい。
これらはすべて、
「誰か」がいて初めて成り立ちます。
愛情には、相手が必要なのです。
そして相手が喜んでくれることで、自分の中にも新しい喜びが生まれます。
そう考えると、人間は最初から、
一人だけで喜びを完成させるようにはできていない
のかもしれません。
お金では買えない喜び
もちろん、お金や物によって得られる喜びもあります。
欲しかった物を買う。
おいしいものを食べる。
旅行へ行く。
それも人生の楽しみです。
しかし、どれほど物を手に入れても、それとは違う種類の喜びがあります。
「あなたがいてくれてよかった」
「ありがとう」
「助かったよ」
「おいしかった」
そんな一言で、胸が温かくなることがあります。
それは物を所有する喜びとは違います。
人と人との間に生まれる喜びです。
もしかすると、人間が本当に求めている豊かさとは、物をどれだけ持っているかだけではなく、
どれだけ喜びを分かち合える人がいるか
ということなのかもしれません。
「奪う世界」と「与える世界」
第1回では、人類の歴史を振り返りながら、
なぜ人間は、豊かさを求めながら「奪う」のだろう?
と問いかけました。
ここまで考えてくると、もう一つの道が見えてきます。
奪って自分だけが豊かになる道。
そして、
与えることで、相手と一緒に豊かになる道。
我欲が、
「自分だけの喜び」
を求める心だとすれば、
愛情は、
「あなたと一緒に喜びたい」
という心なのではないでしょうか。
私は、この違いはとても大きいと思っています。
愛情を中心にした社会は、本当に可能だろうか?
ここで、こんな疑問を持つ方もいるでしょう。
「家族や友人なら分かる。でも、社会全体でそんなことができるのだろうか?」
確かに簡単ではありません。
人間には欲があります。
競争もあります。
利害の対立もあります。
しかし、私たちの社会はすでに、愛情に近い行動によっても支えられています。
子どもを育てる。
病気の人を看病する。
困っている人を助ける。
災害が起きれば、見知らぬ人のために支援する。
誰かの役に立つ仕事をする。
人間は「自分のため」だけで生きているわけではありません。
私たちの中には確かに、
誰かのために何かをしたいという心
があります。
もし、その心を社会の中心に置いたなら
もし、
「自分がどれだけ得をするか」
だけではなく、
「どうすれば、お互いが喜べるだろう」
ということを判断の中心に置いたら、社会はどう変わるでしょう。
家庭はどう変わるでしょう。
会社はどう変わるでしょう。
国と国との関係はどう変わるでしょう。
すぐに答えが出る問題ではありません。
でも私は、考えてみる価値のある問いだと思っています。
そして、ここで次の「WHY」が生まれます。
そもそも、なぜ人間には愛情があるのでしょう?
自分が生き残ることだけが目的なら、
なぜ人間は、自分とは別の人の幸せを願うことができるのでしょう。
なぜ、愛する人の喜びを自分の喜びとして感じるのでしょう。
そして――
なぜ人間は、一人ではなく「誰か」を必要とするのでしょうか。
次回は、
「なぜ人間は、一人では幸せになれないのだろう?」
という問いから、さらに考えてみたいと思います。
最後に、一つだけ。
今日、あなたの大切な人が笑顔になった時、
あなたも少し嬉しくなりませんでしたか?
その小さな喜びの中に、
人間が「愛情」を持っている理由を知る手がかりが、隠されているのかもしれません。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
