クリスチャン以外にも読んでもらいたい聖書物語

クリスチャン以外にも読んでもらいたい聖書物語

世界には多くのクリスチャンがおられます。様々な教会があり、様々な聖書解釈があります。これから描いていく聖書物語は、人間から見た聖書解釈ではなく、あくまでも神様の目的や視点から見た聖書解釈であり、そこから知り得た人間の責任について書き綴っていきます。

 

 

 

 

これまで聖書物語を読んで頂き感謝申し上げます。
どうだったでしょうか?今までの聖書解釈とは違った点が多かったのではないでしょうか?それは多くのキリスト教が教えているイエス誕生の目的の解釈が違っているからだと思います。この聖書物語で書いているイエス誕生の目的をもう一度整理してみましょう。多くのキリスト教の教えにあるように、イエスは全人類の罪の償いのために十字架にかけられましたが、本当にそれがイエス誕生の目的だったのでしょうか?目的先行の法則にあるように、全ての目的(原因)は結果より先になければなりません。ですからイエス誕生の目的は原因であるイエスをこの世に遣わされた神様の真意(目的)を理解する必要があります。
まず初めの人類であるアダムとエバを誕生させられた神様の目的を振り返って見ましょう。創世記の記述にあるように、アダムとエバは神様のかたちに似せて造られました。つまり神様自身も男と女を内包している存在であるということです。しかし神様は実体のない無形の存在でありますので、無形の親ということが言えます。それに対して神様は実体の存在としてアダムとエバを造られました。誕生したアダムとエバがそれぞれ男性として女性として神様の真意を理解し、神様の愛と一体となることで正しい男性、正しい女性として一人前に成長することを目指します。そして一人前として成長したアダムとエバは神様の愛の中で正しい結婚を行い、正しい夫婦、正しい父母となって神の子を生み増やし、神の家庭を築いてほしいという神様の目的、願いがありました。それが創世記 1:28にある、
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。という神様の言葉に集約されています。
しかし聖書物語で述べたように、アダムとエバは神様の目的どおりには成長することができませんでした。神様から「善悪知る木の実を取って食べてはならない、取って食べるときっと死ぬであろう。」という戒めを聞いていたにもかかわらず、天使長ルシファーの「取って食べると神様のようになれる」という甘い言葉に惑わされ、取って食べることで堕落してしまいました。そしてこの「取って食べてはならない」という言葉の真意は姦淫、つまりは不倫の性関係を結んではならないということでした。神様の愛の中で正しい結婚を望まれた神様でしたが、アダムとエバはルシファーとの間で間違った結婚をしてしまったのでした。それが人類の悲劇の始まりでした。正しい結婚ができなかったアダムとエバは当然として正しい父母となることができず、アダムとエバから生まれて来る子供はことごとく悪魔の子として誕生するしかなかったのです。そしてそのアダムとエバの罪の清算をするために、ヤコブから2000年かけて神の一人子イエスがこの世に遣わされたのです。
ですから結論として神様がイエスを遣わされた目的は、十字架の死をもって人類の罪の償いをするためではなく、生きて、アダムとエバができなかった神様の本来の願いであった正しい結婚をし、そして正しい夫婦、正しい父母となって、神の子を生み増やし、神の家庭を築くことにあったのです。そして悪魔の子である人類は正しい父母となられたイエスを通して、再び神の子へと生まれ変わるチャンスが与えられていたのです。しかしイエスラエルは、イエスが遣わされた本来の目的を理解することができずに、なんと十字架で殺害してしまったのでした。本当に残念で仕方ありません。。。

私がこのブログを初めようと思った動機は、一人でも多くの人に神様の本当の愛情を知ってもらい、毎日神様の愛情によって生かされているということを実感して頂き、その感謝の思いを神様に伝えて頂きたいと思ったからです。そう言う私もこれまでの人生でどれだけ神様に感謝を伝えて来たかと言えば、自分の力だけで生きて来たという傲慢な考えの下、まったく感謝を現して来ませんでした。しかし私は本当の神様の愛情を学び、そして実感することで、私が生まれてきたこと、今生かされていることを神様のみならず、自分を産んでくれた親に対して感謝できるようになりました。
私も、そしてあなたも神様の偉大な愛を動機として誕生しました。
人間は、受胎の瞬間から胎内期間を通じて、地上生活ができる最低限の準備を整えて生まれてきます。受精卵はあまりにも小さいのですが、その中には、成長して必要になる全ての要素が初めから内在するように手配されています。総理大臣であろうと、男性であろうと、女性であろうと、如何なる人でも、受精卵から始まった事実を否定するらことはできません。胎内生活を通して、誕生後に必要なあらゆる機能が準備されます。
コントロールセンターとしての頭脳、情報収集のための目や鼻や耳が準備されます。自由に動き回るための手足が準備されます。
地上生活では、空気中の酸素を取り入れる必要があります。そのことをあたかも知っているかのように、胎内から肺の準備がなされます。地上の生活では食物からエネルギーを摂取しなければなりません。取り入れる口、そして食道、さらに消化のためのの胃や腸などすべてが準備されます。必要な目も、必要な手も、その準備は胎内から行われます。胎内にいるだけなら、目も手足も不要です。また、その準備は本人の意志に基づいて行われるのではありません。母親でさえ、その認識を持っていません。
母親の誰が、「今から肺の準備をしよう」とか「内臓を作ろう」などと考えたでしょうか。これは過去に生きとし生きたすべての人、地上に今生きているすべての人に通用する事実です。
受精卵を通過していない人は一人もいません。すべての人が、元の元を正せば、受精卵の変形体であることを認めざるを得ません。当の本人が、自覚もせず、親でさえなんの手出しもできない中で、受精卵は一人の人間を目指して変化します。
そのような経過を辿って、地上人生が出発できるようになりました。誕生一つとっても、人間を超える偉大な力が作用した事実を、決して否定することはできません。すべてが奇跡としか言いようがありません。
現代の優れた科学技術を持ってしても、如何なる科学者も人間誕生の事実を解明し、解説した者は居ません。
人生と宇宙は、奇跡の積み重ねで成立していると言えます。また、男性と女性の関連性においても奇跡は存在します。ある人は生まれてみて、自分が男性であることを認識します。またある人は生まれてみて、自分が女性であることを認識します。
ところがその男性と女性には、その両者を関連付けるもっと高い意志が先んじてあったことを認識せざるを得なくなります。
男性は男性としての存在の前に、女性は女性としての存在の前に、両者を関連付けるもっと大きな目的が前提となっている事実を認めざるを得ません。事実、この男性と女性の存在無くして、受精卵としての人生の出発点はありえません。
男性に聞いてみましょう。自分が一人の男性として人生を出発する時、女性が別に存在していることを知っていたでしょうか。女性に聞いてみましょう。自分が一人の女性として人生を出発する時、男性が別に存在していることを知っていたでしょうか。
人間がどう考えようと、人間の思惑を超えて、宇宙を貫く神様の意志が作用していることは否定できません。
その男性と女性が成熟すれば、相互に引き合い、結婚することになり、新たな人生の出発点としての受精卵が再び登場することになります。この事により、人生の連続性が可能となっています。
もちろん、個人としての人生は死によって消え去ります。それでも、新たな別の人生がすでに始まっている事実によって、人間の永続性が保証されます。受精卵から誕生までは胎内生活期間と言えます。誕生でその胎内生活は終わります。誕生から死までを地上人生と呼びます。死で地上人生は終わります。
ところが 男性と女性が結婚することにより、新たな受精卵を生み出し、新たな人生の芽を吹き出します。そのことによって、誰か個人の死が訪れても人間の歴史は消滅することなく、連続することが可能となっています。
男性と女性が存在するには、男性と女性の相互関係を必然とする共通目的が必要であり、意志が必要です。その意志こそが神様と呼ばれるものです。
親は子供の幸せを最優先します。
子供が病気で苦しんでいれば、できれば代わってやりたいと思い、子供には、親以上に立派になってほしいと願い、親以上に幸せになってほしいと切望します。同じく人間を生み出された神様も、我が子人間に対して、神様以上に立派になってほしいと願い、神様以上に幸せになってほしいと願われたことが理解できます。このように私たち人間は、神様の偉大な愛を動機として誕生したと結論づけることができるのではないでしょうか。
私たち人間の親である神様はご自分の持てる特権の全てを人間に与えようと願われました。
神様は100%与える存在です。
神様に奪うという概念は存在しません。それは神様の本質が愛であるからです。神様はこの宇宙を造り、この地球を造り、あらゆる生命を生み出してくださいました。鉱物も、天然エネルギーも、空気も植物も、あらゆる動物も、すべて私たち人間に喜んでもらいたいという親の愛を動機として準備して下さいました。私たち人間が神様の特権全てを相続するために、まずやるべきことは、私たちのために準備して下さった神様に、感謝の思いを伝えることからです。
神様!この美しくきれいな花を準備して下さり有難うございます。
神様!美味しい果実や野菜や魚たちを準備して下さり有難うございます。
神様!わたしという存在をこの地上に生み出して頂き有難うございます。
神様!男性なら女性を、女性なら男性を与えて頂き有難うございます。
と、つきない感謝を神様にお伝えすることからはじめましょう。
それが神様の喜びであり、幸せなのです。
神様に心から感謝をし、神様を真心の限りを尽くして愛すること、それこそが人生において最も尊いことなのです。
もし私の意見に賛同して下さり、もっと深く神様のこと、イエスのこと、聖書のことを学びたい方は是非こちらのHPにあります、助け合い主義第1章と第2章の動画を見て頂き、モデル都市推進本部まで感想を送って下さい。
ありがとうございました。