みなさん、こんにちは。
5の付く日担当、小太刀です。
(6日になっちゃいましたね、すみません…)
「足がなくて不安」
4日に無事に初日の幕が開きました。
ご来場くださいましたお客様、まことにありがとうございます!
そして2日目も終わりました。やればやるほど愛おしくなる作品。
ここから少しネタバレ、というほどではないけれど、少し内容に触れようかと。
劇団のブログでネタバレもどうかと思うけれど書きたくて…
内容を知りたくない方は、ここからはお控えくださいませ。
今回の作品は、みんなで作っているんだということをいつも以上に強く感じる。
この物語は、谷本創という人物の一生の話であるのだけれど、これって、創役が頑張れば成り立つわけじゃなくて、むしろ、家族や友達や人生で関わる周りの人がいてこそ成り立つのだと、演じていて強く感じる。
自分の人生、自分こそが主役として生きているけれど、それも自分の外の世界があってこそのものだ。関わるものがなければ、僕らは何者にもなれない。
そう僕が創として舞台に立てるのは、みんなが各々の確固たる自分を作っていて、それで創と相対してくれるからだ。創というのは蜃気楼みたいなもので、みんなの思考によって現れ、その意思の強さでしっかりと具現化する、みたいに思っている。
特に僕は老年期の創なので、年齢的に周りと関わるのが遅い。それでもみんなの中にはその老年期までの時間がきっちり積み重なっていて、それを依代にすっくと立っている。だからこそ、僕が勝手に創を作り上げるのではなく、みんなが思い描き見ている視線から導き出される、みんなの思考の集合体でいればいいのだと、心強く安心していれるのだ。
あと心強いのは、老年期までの創の人生だ。
今回、創という人物を、幼少期、青年期、壮年期、そして老年期の4つに分けて4人の役者が演じている。だから、僕の前には3人の創がいるのだ。その幼少期のこはるちゃん、青年期のニューくん、壮年期のとりやべくんがしっかりと己が人生を全うしていて、創のレールを敷いてくれる。あとはもう僕はそのレールに乗ればいい。それくらい心強いのだ。
4人で創を演じることで、人間って案外不完全なのだと思い知らせてくれる。同じ人間でも人生においてふらふらと揺れる。現在から見たら、過去の自分も未来の自分も他人に見える。その時々によって考え方も行動の仕方も変わるもんだし、180度近く変化する場合だってあるやもしれん。確固たる自分と思っているものも、以外とそうでもなかったりするぜと、今回しみじみと思わされるのだ。だから創を4人で演じ分けるのは、ある意味正解なのかなと思ったり。
勝手な解釈だけど、僕はこの作品が、「ララランド」に似てるなと思っている。
「ララランド」を僕は、「劇的だけれど特別ではない物語」だと思っている。「ララランド」って、一応ミュージカル映画だから、歌あり踊りありで華やかな作品だけれど、ストーリー自体はすごくシンプルだ。むしろ、言葉は悪いがありきたりなラブストーリーである。よくある恋愛話を、派手な演出でコーティングしたものと身も蓋もなく言えちゃったりする。でもそれこそがこの作品の本質なのかなとも思うのです。男と女のラブストーリー、遠目から見ればそれはよくある話かもしれない。けれども近づいて見れば、2人の間にあるのは他の人にはわからない劇的な交流なのだ。当たり前で何の変哲のないものが、出来事が2人には特別に見えて、2人の間だだからこそそれが物語になる。
そんなような感じでこの「足がなくて不安」も、創くんの一生としてはある意味特別感のない人生だったりするけれど、彼が感じたものは、替えの利かない、劇的なたった一つの物語なのだ。魔王を倒しにいくような話じゃない、超能力が使えるわけじゃない、アンドロイドがでたりするわけでもない、それでも、人ひとりの人生は、どうやったって唯一無二だ。
そんなことをちろちろ考えたりする。でも一番は、劇場で感じてもらいたいということ。この作品もDVDとして残ります。でも、劇場でしか感じ取れないうねりのようなものがどうしてもあってしまいます。そしてそれがかなり強い作品だと思います。
8日までやっております。劇場でお待ちしております。

