【宮中の公家貴族は一度着た服を洗わなかった】
忙しそうに着物の仕立てをする宮中の上級女房たち。
もちろん時代は平安時代、当時は「たいらのみやこ」と言っていたとか。
忙しそうにしている様子ですが、一体何をしているのでしょうか。
これは季節季節に合った服を作っているそうです。
この時代の服と言うのは、今で言えば金やダイヤモンドのような価値があったみたいですね。
そしてこの服を染め、裁ち縫いが出来る女性は器量よしとされたみたいです。
特に宮中ではその器量やセンスが問われたみたいです。
①織物
②染殿
③打ち物(絹を砧(きぬた)で打って光沢を出す作業)
④張物(米糊付け)
⑤縫物(仕立て)
⑥糸の所(組紐)
宮中ではこんな作業工程になんと100人以上が携わっていたそうですよ。
もちろん染殿などは実際に女房が染めるわけではないでしょうが、どのように染め上げるかを考えるだけでもかなり大変だったのではないでしょうか。
砧(きぬた)打ち。衣板(きぬいた)が語源。織り上げた堅い織物を円棒に巻いてゴロゴロ転がしながら時折木槌でコンコンと打って柔らかくする。
冬などは、繭から作った真綿を装束に詰め入れたりもしていたそうです。今で言うダウンジャケット真綿版みたいな感じでしょうか。
因みに木綿の綿は室町時代以降になります。
有名な清少納言は縫物があまり得意ではなかったみたいです。
さて、宮中の人の着物を作るのが人数が人数だけに大作業です。
季節ごとに、イベントごとにどんどん着物を仕立てて行くわけですが、その割には今で言うクローゼットのような部屋を見たことがありません。
出来上がった着物はどこに行くのでしょうか。
宮中の皇族や高級貴族は、実は着物を洗わないのだそうです。
汚いなぁ・・・
なんて思いますが、平安時代では着古した着物をどうするかと言うと、下級貴族などに払い下げてしまうのだそうです。
下級貴族などはそれをばらして洗い直し、縫い直してまた着ていたと言われています。
なるほど、この時代に貴重な絹はこうやって再利用されていたのですね。
風俗博物館さんありがとうございました。