今日、テレビで「プリンセストヨトミ」を放映していました。
その中で、秀吉の子秀頼の長男である国松が、大阪城の地下道から逃げるところがあります。
実際の国松は京都で捕えられて処刑されたと言われていますが、逃げのびたと言ううわさもあります。その名は羽柴を隠して木下延由と名乗った人物だと噂されています。
この人は秀吉の正室寧々(高台院)の兄の子(つまり小早川秀秋の兄)の4男となっています。
もちろん本当か嘘かは神のみぞ知る・・・です。
大阪城をどうやって逃げたか?
映画では秘密の地下道を伝って逃げたみたいですが、地下道は本当にあるのです。
上の画像がその証拠です。中央下に見えている石垣は豊臣時代に作られた下水道の石垣で「太閤下水」と言われています。
この下水道は見事にしっかりしたもので、なんと412年経った今でも、大阪市が現役で使っている下水道なのです。
これが太閤下水の内部です。
大阪城が焼け落ちる時、この下水道を使って何人もの人が逃げ延びたのではないでしょうか。
下の地図を見ていただければわかりますが、この下水道の行き先は東横堀川。
この川は今でもあります。南に行けば道頓堀川で北に行けば大川に出られます。
あれだけの大群が攻め入って、大阪城には火が放たれ、北は大川東は寝屋川南は敵だらけの中を逃げるとしたら、この下水道しかなかったのではないでしょうか。
小さな子供を抱いた女性がこの下水道を必死で逃げて行った姿が目に浮かびます。


