江戸吉原遊郭の散財話 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

 今日のニュースで「給付金」の実質的支給は来年になるようなことを伝えていましたね。

 昨年の12月に支給じゃなかったの?期待を持たせてもたもたしていると、受け取る側もどうでもよくなってくるよ。もう経済効果だってどうでもいい。じゃあ今のように不況でいいのかって?こんなもたもた配りなら結果的には使う側の士気も下がるし、経済効果だって何の影響にもならないでしょうという意味ですよ(^^)さっさと配れ!(笑)


 歴史を色々と調べていますと、(私は本来平安時代を調べてたはずですが)知らぬ間に江戸時代の事を調べていたりします。そこで、備忘録代わりに書きとめておきます。


 今日は「吉原遊郭と、そこで「散財」した豪商の話を少しだけ。


 「吉原」と言えば、今ではソープランド街だけど、それにもまして江戸時代は派手にやっていた風俗の街だったのは皆さんがご存知の通り。

 元々今の人形町あたりにあって、家康が駿府城下にあった7カ町もある遊郭の内5カ町を江戸に持ってきた(1617年)のが始まりとされています。

 江戸808町駿府96町と言います。96町のうち7町が遊郭だから大きいですね。

 1657年の大火事で浅草に移転しました。

 1700年前後の元禄時代には、ここになんと1500人もの遊女がいたそうです。

 これだけ沢山の人身売買が行われていたということは日本の歴史上不名誉な記録ではあるけれど話は続けます。

 この中でも太夫と呼ばれる一番位の高い花魁さんは5,6人しかいなかったそうです。

 太夫に会うには、指名客を認められてから

 最初に「初会」と言って顔合わせだけの日があり、遠くから顔姿を見るだけ。

 二回目に「裏を返す」と言ってチップを払って太夫を眺めるだけ。

 三回目に「馴染み」と言って、初めて太夫の自室に招かれるそうです。

 それに掛かるお金が、今の金額で約600万円。そこから更にお金がかかるわけです。

 それでも申込者が殺到したというから驚きです。


 元禄の頃になると商人が客の主流でした。材木商や札差と言われる商人がそうです。


 「札差」というのは恐ろしく儲かる商売でした。今は「蔵前」という名前が残っていますが、そのあたりでやっていた。

 江戸の御家人に支給される米を一手に管理する仕事なんだそうです。業者は100件前後と決められており、札差料と払米口銭というものを手数料に取っていました。当時150万表ほどを100件の札差が取り扱っており、1件平均で1.5万表。100表で3/4両だったそうなので大棚の札差なら15万表として1両はだいたい10万円なので、大体年間1億1250万円ほどの金が殆ど何もせずに入ってきた。それに加えて高利貸しもやっていたから(当時の金利は高くて一ヶ月に15%も取っていたらしい)笑いが止まらなかったでしょうね。


 この札差で、吉原で豪遊した人で有名な人は、大口屋暁雨(ぎょうう)。


 この人は弟に25万両(250億円)を渡して店を継がせて自らは5万両(50億円)持って、遊んで暮らした。この人は吉原に遊びに行ったけど、遊ぶだけではなく困った店や遊女を何度も助けたらしいです。

 有名な話では仙台藩の伊達宇十郎が仙台藩候の親戚であることを自慢して花駒という花魁を身請けすると迫ってきた。花魁は伊達が嫌いだったらしくて暁雨の所に泣きついてきた。伊達が追いかけてきて屏風の後ろに隠れていた二人を見つけた時、二人はナニの最中で、暁雨が「俺の情婦に用があるなら終わるまで待ってろ、見物料はただにしてやる」と言ったとか。伊達はあきれて帰ったらしいです。

 特に大口でもなく人としては小ぶりだが、お金と幕府や旗本に貸した借金で旗本の弱みを握っており、店も弟に任せて失うものは何も無い。けど吉原という所の人々の生き様になにかを感じたのでしょうか、吉原を助けて遊んで生きた人のようです。こんな人は今の時代いなくなりましたね。小室さんなんかそうなのかなあ。


 この時代、建造ラッシュだった。だから材木商からも豪商が出た。

 ご存知の紀伊国屋文左衛門奈良屋茂左衛門

 奈良屋は三代目までは貧乏商人だったが4,5代目で豪商になって6代目で衰退、その後は明治まで質屋をやっていたらしい。

 紀伊国屋は本屋とは関係が無いですが、和歌山のみかんを江戸で高く売って設けたお金で材木商をやった。それが当たって上野寛永寺の普請に使う材木を独占して500億円も儲けたらしい。(ホンマカイナ)、節分の豆まきで豆の代わりに小粒金を撒いたり、遊びのライバル奈良屋が催した雪の宴に嫉妬して雪に300万円ほどの金をばら撒いて、拾いに来た人々で雪景色を台無しにさせたとか、沢山の子蟹の甲羅に遊女と客の紋を描いてばら撒いたとか…(豪遊かもしれないけど小まめだね…)

 奈良屋はある日吉原に遊びに来た知人に蕎麦を二人前送った。するとその知人が「奈良屋といっても二人前かい、けちなもんだね」と言ったのをどこで聞いたのか、その後吉原に近いところにある蕎麦屋の蕎麦を全て買い占めたらしい。


 いずれにしても個人が好き勝手に遊ぶなんてこんな感じなんでしょうね。大したこともないと思うかすごいと思うか、今の政治家の豪遊話は聞かないけど大体今の政治化は、人の金や自分以外の名目で悪い遊びや無駄金を使っているからなんだかんだと騒がれる。

 ビルゲイツほどになったら、このような豪商なんか鼻くそのようになってしまうけど、自分の金で遊んだんだから!文句はいえませんね。

 

 それにしても、江戸時代に江戸に商機ありと頑張った商人は皆なぜか関西人。紀伊国屋、近江屋、奈良屋、松阪屋。ウナギやも大和田(守口市)とか…。

 今は逆ですけど、ヨドバシカメラとかビッグカメラとか(笑)

 

 では、また。