渡辺綱(わたなべつな)は、明日源頼光に渡すために茨木童子の片腕を五条烏丸坊にある自宅に持ち帰った。布に包まれた片腕を部屋の隅に置き、母に声をかけた。
「今帰った」
「今日はお早い帰りですね、ぶぶ漬けでも食べはりまっか」
「先ほどまで酒を飲んでおりましたゆえいりませぬ。母上は今日も恙無うお過ごしでしたか」
「今日はの、秋も深まってきましたので、鴨川まで行きました。東山はすっかり真っ赤になりはって、鴨川は銀杏の葉が黄色く咲き乱れておりました。」
「それは良いものを見なさったな、しかし近頃は物騒だ。一人歩きはおやめなされよ」
「はいはい、わかっておりまする」
そのとき、入り口の戸が少し開き、声がした。
「ごめんくださりませ」
「……」
「あのお、ごめんくださりませ」
「はい、どなたでございますか」
「私、摂津国西成郡渡辺より参りました、居村と申します。本日、私が京に参ることをお知りになられたご実家の渡辺さまより、ついでにこちらに寄って渡して欲しいものがあると言われまして、伺わせていただきました」
「まあ、それはそれは、お使いなどさせましてすいません。さ、どうぞこちらにおあがりやす」
初老の男は下僕に包みを持たせて部屋に案内された。そのとき、手前の部屋の隅で血の匂いを嗅いだ。茨木童子は歩きながら栗童子へと振り向いて目だけで伝えた。
「突然の訪問にもかかわらず、このようなおもてなしを申し訳なく思います。これ、その荷物をわしのところに置いて、入り口で待っておきなさい」
「へい」
「何もおもてなしできなくて、お茶でもどうそ」
「いえいえ、こちらこそ、突然うかがいまして」
「あ、さ、これがお言伝させていただきました反物です。どうぞ」
「まあ、綺麗なこと」
「なんでも、宋国より送られてきたものとか」
「そのようなものを、兄はご健勝でございましたでしょうか」
「えーそれはもう、ご心配に及びません。おっと、長居するつもりは、ではこの辺で」
「もうお帰りですか」
茨木童子は立ち上がって廊下に出ようとした。
「もし、お待ちくだされ」
「……はい、なんでございましょうか」
「叔父殿にはくれぐれもご健勝にとお伝えくだされ」
「……はい、戻りましたら、真っ先にお伝え申し上げます。では」
廊下を歩く童子の後ろを綱と綱の母が憑いてきた。
「わざわざここまで、では失礼いたします。」
「こちらこそ、また近くにおいでの折は遠慮なくお尋ねくださいませ」
会釈を終えた綱の目に、下僕が持つ布切れが飛び込んできた。
(もしや)
綱はすぐに引き返し、腕を置いた部屋を覗き込んだ。
(くそ、やられたか。ふっふっふ、鬼め見事な程の化けようじゃ。この度はわしの負けだな)
数ヶ月が経った。
赤く燃えていた山は、春になり山桜で白く燃え出した。
茨木童子の腕は戻った。
桜が燃える堀川に、一つの橋が架かっている。
一条戻り橋。
死に行く人の魂が戻る橋。
桜の花の枝影から、一人の男が飛び降りた。
茨木童子。