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これで第三節は終わりです。

 

――ここから――

 

堕落によって生じた悪は、原理路程を越えて、先に結実するようになっている。その悪の結実の時が、キリスト教でいう終末、即ち、審判の時であり、再臨の時である。この時に、決してこの世が無くなるのではない。地上天国を完成させるために再臨されるのである。

再臨主は、完成した人の姿で来られる。それは、原理から分かるように、イエスが肉身で果たすことのできなかったみ旨を、再臨主が肉身で果たさなければならないためである。つまり、再臨主は、堕落したアダムとエバを復帰し、この世に善の基盤を立てなければならない。

神様は、原理を通して、万事を成そうとされる。それゆえ、神様は、サタンを強制的に屈服させるのではなく、原理通り、自然に屈服させようとされるのである。また、神様が、6千年の歴史を歩んで来られたのは、この世に原理世界を実現するためである。

それゆえ、神様は、原理通り、サタンにも自由行動ができるようにされたのである。聖書には、サタンが神様と対話していたこと、人を讒訴したこと、イエスに試練を与えたことなどが記されている。これらを見ても、サタンに自由が許されていたことが分かる。

また、神様が、パロをかたくなにされたのは、イスラエル民族を完全に放棄させるためであったが、イスラエル民族を放棄するかどうかは、パロの自由だったのである。そして、神様が、イスラエル民族の行動結果を残念に思われたという事実は、人の自由行動の結果を見ておられたということを示しているのである。

神様は、このようにして、全ての理想を完成させようと、今まで苦心してこられたのである。我々は、これに対して、どのように対応しなければならないのか。それは、考えるまでもない事である。

 

――ここまで――

 

2019.2.25 更新:原理原本の直筆版と比較して修正し、更に、分かりやすい表現に変更しました。

 

2020.9.21 更新:さらに分かりやすく変更しました。