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それゆえ、神様が、原理に反して、人の成熟期間に干渉し、未完成な人を愛したとしても、その人は、愛を求めるだけで、原理通りに完成することができない。結局、未完成な人は不完全であると、明らかになるだけなのである。そのため、神様は、人が原理によって完成するまで待たなければならなかった。つまり、ただ愛するだけで、理想的な愛が成就するのではない。神様は、原理によって、この上ない愛を成就しようとされたのである。
人が成熟して、神様の完全な愛を受けることのできる存在となれば、人は完全な美を表すようになり、神様を慕う思いが、直接、神様に通じるようになる。こうして、神様は、人から刺激を受け、さらに、人を愛することができるのである。このとき、神様の愛は陽であり、神様を慕う人の愛は完全な陰となる。このように、人は、神様の愛の対象となることができる。この時まで、神様は、原理主管格として居られるのである。人は、そのような時期にあって、完全に成熟する前に堕落したのである。
人も天使長も、原理によって自由に活動することのできる存在として、自由な世界をつくり、そこに神様の理想を実現することが目的であった。その目的を果たすためには、人が個性を完成させ、理想的な存在となり、愛の理想を実現しなければならなかった。つまり、神様は、自由な世界に、愛の原理で創造された人間を永遠に存在させることによって、愛の理想を実現しようとされたのである。
今、人々が、自由を求めているのは、堕落によって、自由が拘束されてきたためである。人々が、この自由を取り戻し、理想の愛を求めるようになれば、歴史は、必然的な方向に進むようになる。それは、原理によっても、理論的に導かれる結果によっても分かることであり、事実として、歴史は、自由と愛の理想を基盤として、個性を求める方向へと流れ始めている。これは、人々が復帰されていくことを示す証拠なのである。
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2019.2.23 更新:原理原本の直筆版と比較して修正し、更に、分かりやすい表現に変更しました。
2020.9.18 更新:さらに分かりやすく変更しました。